朝ドラ「あんぱん」のモデルとしても注目されている高知県出身の漫画家・やなせたかしさん。いま一冊の伝記が多くの読者の感動を呼んでいる。執筆した作家の梯久美子さんが伝えたかったのは、母親と妻・暢(のぶ)さんを愛し、生きることを肯定し続けたアンパンマン作者の深い人生哲学だ。

「おうちに戻って、暢さんと毎日夕食を食べてらっしゃる」

3月発売の伝記『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋)。本人はもちろん、これまであまり知られていなかった妻・暢さんの人生も丹念な取材をもとに描かれている。

やなせさんの生涯を新資料をもとに書き下ろした“評伝の名手”梯久美子さん
やなせさんの生涯を新資料をもとに書き下ろした“評伝の名手”梯久美子さん
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著者でノンフィクション作家の梯久美子さん(63)は、20代の頃に7年ほど、やなせさんが編集長の雑誌「詩とメルヘン」で編集者を務めるなど、生前のやなせさんと親交があり、東京・新宿で夫妻と同じマンションに暮らしていた時期もある。

朝ドラでは今田美桜さんが演じている妻・暢さんとは話す機会がほとんどなく、「上品な奥様で控え目な感じ」という印象だったが、執筆のために調べると「ものすごく元気で積極的で、前向きで明るい“はちきん”だった」と分かったという。(はちきん:元気な女性を意味する土佐弁)

「少しでも本の価格を安くしたい」と文庫書き下ろしで出版
「少しでも本の価格を安くしたい」と文庫書き下ろしで出版

梯さん:
「(やなせさん夫妻は)それぞれが自分の世界を持ってらっしゃって、暢さんも登山をしたり、お茶の師範までなさった方。やなせ先生のお仕事に対しては全く口を出さない。」

結婚後、東京の新居で妻・暢さんと(1953年)
結婚後、東京の新居で妻・暢さんと(1953年)

やなせさんは仕事とプライベートを完全に分けていて、仕事の付き合いで食事に行ったり、接待を受けたりということはなかったのだという。マンション3階のスタジオで仕事を終えると、「6階のおうちに戻って、暢さんと毎日夕食を食べてらっしゃるという感じ」。

音読の宿題で…母親たちから大きな反響

梯さんは2015年に子供向けの伝記『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』(フレーベル館)を執筆。小学5年生の国語教科書にも掲載された。すると宿題で子供が音読するのを聞いた多くの母親から反響があったという。

やなせさんが亡くなって2年後に出版された子供向けの伝記
やなせさんが亡くなって2年後に出版された子供向けの伝記

梯さん:
「お母さんたちはみんな、子育ての時にアンパンマンにとってもお世話になってますよね。子供と一緒に見てきたアンパンマンの作者が、さみしい少年時代があったり、戦争で苦しい思いをしたり、『こういう人だったんだ』と初めて知って、『そういうことがいろいろあって、あのアンパンマンの物語ができたんだ』と。」

「ずっとお母さんのことが大好きだった」

やなせさんは幼い頃に父親を亡くしている。朝ドラでは松嶋菜々子さんが演じる母親は再婚し、離れて暮らすことになった。

梯さん:
「ものすごく寂しかったと思うんですが、先生はお母様のことを1度も恨んでないんです。ずっとお母さんのことが大好きだった。子供を置いて再婚したので『ひどい母親だ』と言われたらしいけれども。」

アンパンマンのキャラクター・ドキンちゃんの外見は母親に似ていると書いたやなせさん
アンパンマンのキャラクター・ドキンちゃんの外見は母親に似ていると書いたやなせさん

やなせさんは、母親が再婚せずに自分を育てようと「いろんなお仕事を探して、習い事もいっぱいしていた」ことを知っていたという。梯さんは「戦前、女の人がなかなか自活できない時代に、頑張ってくれたけれども再婚せざるを得なかったことを理解して、母を愛し続けたところが先生の“愛する力”」と強調する。

妻・暢さんと春の叙勲受賞式にて(1991年)
妻・暢さんと春の叙勲受賞式にて(1991年)

「誰かをずっと好きでいるのは意外と難しいことだと思うんですけど、それを持ち続けた人だったということを、世の中のお母さんたちにも知ってもらいたい」と大人向けの伝記執筆を考えるようになった。

『アンパンマンのマーチ』に“もう一つの歌詞”が

2019年、そんな梯さんの背中を押す出来事が起きる。やなせさんの故郷である香美市にある墓を初めて訪問。近くにあるアンパンマンミュージアムで、やなせさん作詞のアニメ主題歌「アンパンマンのマーチ」の手書き原稿を見た時のことだった。

故郷の旧・香北町(現・香美市)に眠るやなせさん
故郷の旧・香北町(現・香美市)に眠るやなせさん

『そうだ うれしいんだ/生きる よろこび/たとえ 胸の傷がいたんでも』と歌われる有名な歌詞。しかし、もともとの原稿では『たとえ 胸の傷がいたんでも』の部分が、『たとえ 命が終わるとしても』となっていた。それが線で消されて『胸の傷がいたんでも』に書き直されていたのだ。

東日本大震災の避難所で『アンパンマンのマーチ』を大合唱する子供の姿に感動したやなせさんは94歳で亡くなるまで復興のために尽力した
東日本大震災の避難所で『アンパンマンのマーチ』を大合唱する子供の姿に感動したやなせさんは94歳で亡くなるまで復興のために尽力した

「楽しくて明るい、子供がみんな好きなアンパンマンの物語の中には、死というものが含まれていた」ことに改めて気付かされた梯さん。「命は終わるけれども、次に伝わっていくものが必ずあると先生は思ってらっしゃたような気がした」という。

『何をして生きるのか』やなせさんのメッセージ

梯さん:
死を含んでいるけれども同時に希望もある。生きることはむなしいことではなくて、生きているうちに精一杯、楽しいことをして人も喜ばせてあげようという考え方。先生は確かに亡くなったかもしれないけれども、先生が残した物、それは作品でもあるし、私個人的にも先生から受け継いだ物があるはずだと思って、先生が残してくれた物を大事にしていこうという気持ちになれて、その歌詞とぴったり合った気持ちになった。」

「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」梯さんが大切にしているやなせさんの言葉だ
「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」梯さんが大切にしているやなせさんの言葉だ

今もやなせさんを「先生」と慕う梯さん。愛弟子が一冊の本に刻み込んだのは、高知に生まれ“愛と勇気の物語”を生み出し続けた一人の漫画家の人生だ。

(高知さんさんテレビ)

高知さんさんテレビ
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