東日本大震災特別企画「ともに」です。宮城県山元町にある震災遺構・中浜小学校で、語り部ガイドを務める2人の大学生がいます。2人とも県外出身で、震災の記憶はかすかですが、次の防災につながることを伝えようと熱心に取り組んでいます。2人が伝えたいこととは。
山元町震災遺構・中浜小学校。海から約400メートルの場所にあるこの小学校は2011年3月、津波に襲われました。2階の天井近くまで津波が迫り、校舎のいたるところにその爪痕が残されています。当時、学校に残っていた人達は屋上の屋根裏に避難し、90人全員が無事でした。
この校舎を見学する際、「やまもと語り部の会」のガイドを申し込むことができます。この語り部に去年、2人の若者が加わりました。
遠藤てまりさんと貫洞美月さんです。2人とも東北大学3年生。山元町を中心に活動するボランティアサークルHARU(ハル)に所属しています。ボランティア活動でさまざまな人と接するうち、震災時の中浜小学校校長、井上剛さんと知り合いました。
井上さんは山元で起こった事を語り継ぐ新しい人材が必要と考えていました。語り部に2人は強い関心を抱きました。
中浜小学校元校長 井上剛さん
「学生の間、ガイト研修をして大学卒業したら、語り部を一切しないのはダメと条件をつけた。ハードルを上げて食らいついて来る人たちに、ぜひなってもらいたいなと思った。最後に残った2人が彼女たちでした」
この日、全国から集まった若者によるボランティアツアーの一行が中浜小を訪れました。全体を3班に分けて案内します。
貫洞美月さん
「中浜小学校の語り部をさせていただいています、貫洞と申します。中浜小学校の語り部をさせていただいてるんですが、出身地は東京です」
貫洞美月さんは震災時、6歳。東京で地震の揺れを感じました。
貫洞美月さん
「ここに3、4、5、6年生の教室があるんですけど、地震が起きた時にまずここに避難しました。最初は5~6mの津波だった、津波の予報だったんです。皆さんに問題です。5~6mの津波が来た時に、皆さんここにいて助かると思いますか?じゃあ10mの津波が来た時に助かると思いますか?それは助からないんですね。敷地のかさ上げで2m、1階分の高さが4mなので、ここが6mの高さになっています。プラス4m上がれば、屋上に逃げれば、10mの高さになるので逃げることができます」
遠藤てまりさんは福島市出身。幼稚園の送迎バスで地震の揺れを感じました。
遠藤てまりさん
「なんか、すごく暗いですよね。コンクリートが打ちっぱなしの床で、すごく冷たい床だったので、毛布だったり、運動会の小物だったり、敷き詰めてその夜を過ごしました。ここで一晩過ごすとなった時、想像してみてほしい、何が必要だと思いますか?」
参加者
「暖をとるもの」「トイレ」
遠藤てまりさん
「そうですね。トイレも大事ですね」
貫洞美月さん
「こちらが時計台になります。時計台は根元から鉄骨を曲げて折れてしまっています。こちらの石碑は重さ2トンあるんですが、17mこちらに流れてしまっています。疑問を持っていただきたいのが、この石碑は東から西に流れてきている。しかし、時計台の倒れている向きを見ると南から北に倒れています」
校長室の前にあった石碑は東から西に流されていますが、時計台が南から北に向かって倒れているのはどうしてでしょうか?
貫洞美月さん
「正解は、ここで津波の向きが変わったからです。その海からまず津波が来ます。その海は校舎にぶつかって、校舎をそれて進んできました。なので石碑は東から西に倒れています。しかし、ここで校舎がなくなった。校舎を巻き込むようにして津波の向きが変わって、時計台がこちら側に倒れてしまっています。このように津波は曲がります。これが交差点でも同じようなことが起きると考えてください。都会ほど交差点がたくさんあるので、津波が複雑な動きをして、海から逃げているのに前から来たり、右から来たりと予測できない動きをする可能性もあります」
遠藤てまりさん
「こちらの石碑を見てほしいんですけど、この石碑は東日本大震災の石碑ではないんです。元々ここに立っていたわけでもなく、地元の方たちもこの石碑の存在を知らない。地震があったら津波に気を付けることを残してくれていたが、伝わらないまま、東日本大震災まで時が経った。そういうことが今後繰り返されないように、この中浜小学校は残してある」
岡山からの参加者
「補足情報もつけ加えて話していただいて、非常に分かりやすくて勉強になりました」
北海道からの参加者
「同じような被害があるか分からないが、いつ起こるか分からないから、どこに逃げればいいか、川も近いので、自分の地域に目を向けて考えてみたい」
東北大学農学部で勉強している2人。同じボランティアサークルに所属していても、学校で打合せすることは少ないといいます。進学で仙台に来て、震災経験はほぼなくても、語り部に取り組むのはなぜ?
東北大学3年 貫洞美月さん
「今でもあるんですけど、周りに私よりも震災を経験してる友達がいる中で、特に東北大学はたくさんいるんですが、その中で私が話していいのかなっていう後ろめたさは昔も今も少しはありますね」
東北大学3年 遠藤てまりさん
「すごくそこは悩んだんですが、逆に語り部を聞いてくださる方たちのほとんどは初めて震災遺に来たとか、初めて震災について知ったという方もたくさんいるので、同じ立場の語り部ガイドから聞いた話は何か届くものがあるんじゃないか」
東北大学3年 貫洞美月さん
「全国から中浜小学校を見に来る来館者の方に会えるのが、私にとって語り部のいいところ。いろんな人と会って、いろんな刺激をもらえるのが語り部のいいところ」
東北大学3年 遠藤てまりさん
「経験してない私でも語り部ができるし、伝えようと思えば伝えられるし、全然経験していないからといって、その震災について勉強しちゃいけないわけじゃないということが伝えられれば」
参加者
「家に帰って、学校でもお話して下さった話をまた伝えていきたいなと思います」
中浜小学校から見出せる教訓が、さまざまな視点で伝えられていきます。