熊本地震で2度目の『震度7』の揺れを観測した本震からで9年です。
被害が大きかった阿蘇市や南阿蘇村などで犠牲者に祈りが捧げられました。
国内の観測史上初めて2度の『震度7』の揺れに見舞われた熊本地震では、災害関連死も含めて県内で275人が犠牲となりました。
本震では阿蘇地域で、大規模な土砂崩れが発生するなど大きな被害が出ました。
本震から9年。
阿蘇市では、午前11時に市内にサイレンが鳴り響き、職員らが市役所で黙とうを捧げました。
【阿蘇市 松嶋 和子市長】
「〈この教訓を風化させてはならない〉という思いを新たにした」
「自然に恵まれている半面、自然災害の恐れも非常に多い自治体なので、日頃からの備えの呼びかけももちろんだが、関係機関との協力連携をいっそう密にしていかなければならない」
16日午前1時ごろ、南阿蘇村の旧阿蘇大橋のたもと近くを訪れたのは、本震で犠牲となった阿蘇市の大学生大和 晃さんの母・忍さんと兄・翔吾さんです。
晃さんは、熊本地震の前震で被災した熊本市の友人に水などを届けた帰りに大規模な土砂崩れに巻き込まれ亡くなりました。
2人は、現場近くの祭壇に花を手向け、ロウソクに灯りをともしました。
そして本震が発生した午前1時25分。
冷たい風が吹きつける中、晃さんが見つかった眼下を流れる川を見つめました。
【大和 晃さんの母 忍さん】
「〈暗くて寒くて冷たい水の中に長くいたのか〉と〈さぞかしつらかっただろう〉と。この時間にここに来て苦しみを少しでも親として感じられたら…」
これまでは父・卓也さんも一緒に家族3人で悲しみを分かち合ってきましたが、卓也さんは去年、病気で亡くなり、ことしは母と兄、2人だけの時間になりました。
母・忍さんは「主人も隣で一緒に晃のことを思っていてくれたと思う」と話しました。
一方、2人が犠牲となった南阿蘇村立野の新所区では、住民たちが慰霊碑に花を手向け、祈りを捧げました。
新所区では、集落の上にある水力発電所の貯水槽が壊れ、大量の水と土砂が流れ込み9世帯が被災、夫婦2人が亡くなりました。
【当時の新所区長 山内 博史さん】
「亡くなった人の無念さを決して忘れることなく、本当につらい経験をしたので、常に災害には敏感でなくてはならないなと。隣にいた人がいなくなり、家があった所が更地になっているので、行政で防災対策、整備を進めてもらいたい」