記者の手元には、ある無線音声を記録した音声ファイルがある。

再生ボタンを押すと、混線するような雑音が約1分間続いた後、遠くから「指令所、指令所」と呼びかける男性の声が微かに聞こえてくる。別の男性の声が応じると、広尾駅の駅員を名乗る声が、こう報告した。

「第8車両のドア付近に透明な液がこぼれていて、お客様から『かなり臭いがする』って言われたんですよ」何気ない駅員からの報告。それが、大規模テロの始まりだとは、誰も気づいていなかった。

地下鉄駅の出入り口外には救急用のテントも立てられた 1995年3月20日
地下鉄駅の出入り口外には救急用のテントも立てられた 1995年3月20日
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1995年3月20日朝、東京の地下鉄日比谷線、丸ノ内線、千代田線の計5車両で「オウム真理教」の信者らが猛毒の神経ガス「サリン」を散布した。

乗客や駅員ら14人が死亡し、約6300人が負傷した。

地下鉄職員の無線音声を独自入手

1995年3月20日朝に発生した「地下鉄サリン事件」から今年で30年。

フジテレビは関係者への取材を重ねる中、新たに、事件当時の営団地下鉄で乗務員や駅員らが、指令所と交わしていた無線音声を入手した。

音声には、事件発生直後、対応に追われた職員らの生々しいやり取りが記録されていた。これまで、警察や消防の無線のやり取りは公表されてきたが、それらに先駆けて事件の最初期に対応した、地下鉄職員らの無線交信の全容が明らかになるのは初めてだ。

倒れた乗客を介抱する営団地下鉄の職員
倒れた乗客を介抱する営団地下鉄の職員

21日に放送されるドキュメンタリードラマ「1995~地下鉄サリン30年 救命現場の声~」では、そうした未公開の音声と複数の関係者の証言を元に、あの日、何が起きていたのか救命現場の舞台裏を描いている。

オウム真理教の13人の死刑囚
オウム真理教の13人の死刑囚

サリンは、日比谷線と丸ノ内線、千代田線の計5車両で散布された。オウム真理教の信者らが、それぞれ液状のサリンが入った袋に傘の先で穴を開けた結果、揮発したサリンが地下鉄構内の広範囲に広がった。

音声に残る「急変」苦しむ駅員らの声も

フジテレビが新たに入手した音声には、散布直後の営団地下鉄内での無線のやり取りが克明に記録されていた。

当初、職員たちの声色はいずれも淡々としており、嘔吐物などの処理同様、通常通りに「汚物清掃」をしようとしていたことが伺える。

しかし、直後に状況は一変する。

「お客様が痙攣している」

「急病人がかなりいる」

「車内で爆発か」

防護服を着込んで除染作業が行われた
防護服を着込んで除染作業が行われた

次々と異常事態が報告される中、指令所は矢継ぎ早に、乗客の退避や駅構内の換気などを指示。だが被害は乗客のみならず駅員らにも広がり、無線記録にも苦しげに体調不良を訴える肉声が残されていた。

そんな中でも、駅員らは乗客の駅外避難を最優先に行動した。

原因究明に奔走した消防と警察

一方、地下鉄構内で多くの人が倒れる中、原因究明に奔走する人々がいた。

警察も消防も倒れた人々を救うため奔走した 1995年3月20日
警察も消防も倒れた人々を救うため奔走した 1995年3月20日

原因が特定されなければ、治療方法も分からない。東京消防庁の化学機動中隊は、防護衣を着て現場に入った。警視庁でも科学捜査研究所の研究員が採取された液体を分析。サリンと特定した。原因特定から、警察が「原因はサリン」と公表するまでの間にも、知られざる人間ドラマがあった。

医療現場の奮闘…薬入手に奔走した社員ら

事件当日、被害を受けた人たちはあわせて40の病院に搬送された(厚労省の研修班の調査より)。

医師たちは当初、原因不明の症状に困惑した。激しい嘔吐、痙攣、呼吸困難に陥る人もいた。適切な治療薬を投与する必要があるものの、原因が特定できない。

サリンを吸った人々は40の病院に搬送された
サリンを吸った人々は40の病院に搬送された

そんな中、墨東病院の救命救急センターの医師は、患者に共通する目の症状から、ある薬を投与することを決断した。だが都内の病院にはその薬の在庫が少ない。一刻も早く投与しなければ助けられない命があるかもしれない。

その時、ある医薬品卸会社の社員たちは病院に薬を届けるため、駆け回って独自に薬をかき集めていた。

事件の風化防止へ、未来に伝える世界でも類を見ない無差別テロ。

しかし、当初は原因も分からず、混乱が広がるばかりだった。

異臭のする液体、次々と倒れる乗客、無線で飛び交う「急病人発生」の声――。

事態は刻一刻と深刻さを増していった。

それでも、目の前の危機に立ち向かった人たちがいた。

テロに抗い命を救うため奔走した人たちがいた 1995年3月20日
テロに抗い命を救うため奔走した人たちがいた 1995年3月20日

現場で乗客らを救助し、原因不明の症状に立ち向かい、原因を突き止めるために奔走した人々。その決断と行動が、多くの命を救うことにつながった。

今回の放送では、そうした勇気ある人々の実像を描き、事件の知られざる側面に光を当てる。あの日何が起きていたのか。30年の時を経て事件の風化が叫ばれる中、その真実を未来へと伝える。

フジテレビは3月21日(金)午後9時から『1995~地下鉄サリン事件30年 救命現場の声~』を放送する。

世界に衝撃を与えた1995年3月20日の「地下鉄サリン事件」を題材にした一部フィクションを含むドキュメンタリードラマで、独自取材に基づき、あの日何が起こっていたのか、自らの命も危険にさらされる中で懸命に救助にあたった人たちの姿を救命ドラマとして描く。

「1995~地下鉄サリン事件30年 救命現場の声~」
3月21日(金)午後9時~一部地域をのぞく

松岡 紳顕
松岡 紳顕

フジテレビ報道局社会部記者
1991年生まれ、福岡県とカナダ育ち。慶應義塾大学法学部を卒業後、2015年に全国紙に入社。知能犯罪や反社会的勢力、宗教2世問題、農水省、宮内庁などを担当。2023年秋よりフジテレビ社会部で司法担当記者として、汚職関係を取材しています。趣味は冬山登山です。
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