マイページ
「時間ずれていたらあの高速で…」上沼恵美子さんが体験した大震災 阪神・淡路大震災から30年への“想い”は…|FNNプライムオンライン
イット!

「時間ずれていたらあの高速で…」上沼恵美子さんが体験した大震災 阪神・淡路大震災から30年への“想い”は…

Google ニュース プリファードソース

阪神・淡路大震災は、17日で発生から30年となった。

この30年、被災地の方々に笑顔を届けてきたのが、淡路島で生まれ、関西で活動を続けてきた上沼恵美子さんだ。
そんな上沼さんだからこそ言える震災30年への“想い”を伺った。

上沼恵美子さんと神戸で再会

青井実キャスター:
おはようございます。

上沼恵美子さん
上沼恵美子さん
この記事の画像(146枚)

上沼恵美子さん:
青井さん、ご無沙汰してます。

青井実キャスター:
ありがとうございます。

上沼恵美子さん:
6年ぶり、もっとかな。何も言わないで東京行くから。

青井実キャスター:
すみません、本当に。

上沼さんとNHK時代にテレビでの共演経験がある青井キャスター。

再会を果たした場所は、神戸の中心部にある「旧居留地」と呼ばれる観光エリアだ。

小さいころは、歌手志望だったという上沼さん。

上沼恵美子さん:
淡路島で生まれ育って、それで神戸が一番憧れの都会なわけですよね。神戸は小さい時から、何回かごほうびで連れてきてもらって、歌の予選で合格したら、ペコちゃんポコちゃんのお店(不二家)でクリームあんみつ食べて帰る。予選で合格したらおいしいものを食べさせてくれるという親でした。どんな親やねん!(笑い)。

青井実キャスター:
素敵なお出かけの場所が神戸だったと。

上沼さんにとって、思い出の詰まった神戸の街が一変した、30年前のきょう。

テレビ中継「かなり燃えています。黒い煙がご覧いただけますでしょうか、上がっておりまして、火の手もまだ火の勢いも衰えておりません」

テレビ中継「民家が炎上しております。その横には電車が転覆しております」

青井実キャスター:
このあたりもかなり被害を受けたりとか。確か建物が倒壊したりとか…。

ここに建っていた歴史ある洋館は、最大震度7の揺れを受け全壊した。

それでも倒壊前の資材を使い、震災前の姿を取り戻すことができた。

上沼恵美子さん:
復元と言いますか、元のまんまで。やっぱり人間は粋なことしますし、素晴らしい能力というか。

今も脳裏に鮮明に…

30年後の今、見た目ではもはやその傷跡を見つけることすら難しい、めざましい復興。
しかし上沼さんの脳裏には、今も当時の状況が鮮明に焼きついている。

上沼恵美子さん:
くっきり、揺れた感触、風景、揺れ方、いろいろもの飛んできました。全部覚えてます。明け方です。

青井実キャスター:
当時(震災時)から比べると、(震災後は)どんよりしていた街並みでした?

上沼恵美子さん:
テレビであれだけの被害を見るわけですよ。とんでもなかったわけですよね、夜が明けてみて。だからもう…私の知ってる神戸ではなかったし…。

「時間ずれていたらあの高速の上に…」

震災発生当時、大阪府内に住んでいた上沼さんは毎週、テレビの生放送のため、自ら車を運転し神戸に向かっていたという。

震災が起こった火曜日は、まさに神戸に向かう日だったが…。

テレビ中継「ご覧のように橋脚がもう完全に折れて、えぐられているような感じで倒れております」

上沼恵美子さん:
皆さんよくご存知でしょうけども、あの高速(道路)が、あめのように、ぐにゅってなってましたね。あの道を通って、私(神戸に)来てたんですから。時間本当にずれてたら、あめのようにひん曲がったあの高速(の上)で、私は運転してたかもわからないとか。あとからゾッとするようなことがいっぱい襲ってきて。震災で(神戸に)来られなくなって半年くらいは番組休んだんですけど、そのあと船で来ておりました。

青井実キャスター:
船で?

上沼恵美子さん:
はい、船で。だからポートアイランドに着くのかな?

青井実キャスター:
あのへんですよね。港の方ですよね。

上沼恵美子さん:
まあすごいことでしたね、やっぱり。もうガタガタの道を、船が着いて大阪と神戸の…。

青井実キャスター:
移動すらできなかったんですか?

上沼恵美子さん:
できなかったんです。こんなに神戸は遠かったかと思いましたもん。

「漫才界の白雪姫、海原千里です。どうぞよろしくお願いいたします」

1955年、兵庫県の淡路島に生まれ、16歳の時に姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」としてデビューした上沼さん。

人々を“笑みにさせる話術”で、やがて全国区の人気をつかみ取り、震災が起こる直前、1994年の暮れにはNHK紅白歌合戦の司会を初めて務めた。

そんなさなかに襲った阪神・淡路大震災。
関西在住の上沼さんのもとに被害状況についての取材があったという。

上沼恵美子さん:
新聞社から電話がかかってきて、それを言うたら主人にものすごい怒られたんですけどね。「ピアノが前に20cmせり出して、それでメロンが転げて、ワインの瓶が割れておりました。はいそういうことですって、頭ちょっとけがしただけです。ありがとうございます」って(電話を)切ったらね、「お前な、その取材までホラ吹くんか」って言われてね 。なんでやのホンマやもん、もうホンマなんですよ。

青井実キャスター:
本当ですか?

上沼恵美子さん:
本当です。そんな時になんぼなんでも、そんな…。本当は「みかん転がる」って方が好感度上がるんですよ、けどメロンだったから(笑い)。

お笑いの世界の人って難しい…

今は笑いも交え、あの時の状況を振り返る上沼さんだが、当時はとてもそんな気にはならなかったという。

青井実キャスター:
上沼さんのお仕事として、やっぱり笑わせたりとかしなきゃいけないお仕事だと思います。その時の気持ちってのは?

上沼恵美子さん:
それは難しいし、あの時、震災の話はまったく触れませんでした。「淡路島は私の島だからご自由に」なんて言ってた自分が恥ずかしくてね。「それはいい。それはギャグで言ってたんやから」って言ってくれても。

青井実キャスター:
上沼さんでも、言えないんですか?

上沼恵美子さん:
言えない、言えない。皆さんもなんか、神妙な面持ちでしたね。なんとなく日本列島が悲しみに暮れた何年かだったと思うんですよ。本当に私みたいなお笑いの世界の人って難しいなぁと思いましたね。ちゃかすわけにも…冗談言えないです。その時に堅苦しいことも言える知識はないし…。

葛藤を抱えながら上沼さんは、自分にできることを懸命に探していた。
その1つが、かつて漫才コンビを組んでいた姉と何度も開催したというチャリティーコンサート。
そしてもう1つが、当時は公表することのなかった被災地への寄付だった。

上沼恵美子さん:
揺れた次の日に、ATM(現金自動預払機)使えたんですよ。私はびっくりしました。まだ皆さんが「基金がよろしく」なんて言う前だったと思うんです。すぐに200万(円)振り込みに行きました、それからまた、1000万とか送らせていただいております。そんなの黙ってすることです。私が今言うてんの、30年たったから言ってるんですよ。

青井実キャスター:
でもそういうその外からの支援というのは、やっぱり当時をふまえると必要なんですね。
 

上沼恵美子さん:
絶対そうなんですよ。日本は一つなんで。ちっちゃい島国なんですよ。助けなきゃあかんの!私はよくしゃべるんですけど、「寄付しました」とか「やりました」って、あんまりしゃべれへんのです。ええ女なんです〜!

「震災復興の半ばで笑いを届けるのは不謹慎」…そんな上沼さんの心に変化が訪れたのは、震災から2年がたったころのことだった。

青井実キャスター:
つらかった時期もあると伺ったんですけど。やっぱりお笑いであったり、歌であったり、必要性というのは当時から感じられてらしたと。

上沼恵美子さん:
漫談ですけどね、あちこち行かせてもらってて、「きょうも実家の大阪城から参りました」かなんか言うんですが、それをね、2年ぐらい、震災から2年たった時に、「淡路島が震源地だったんですよ」って、皆さんご存知なんです。まだね、「私揺らしたんちゃいますよ」っていうのは爆笑でした。これは不謹慎やけど、こんな笑っていただけるんだっていうので、ちょっと確信しました。OKなんやなって。人間は強いから、そういう寛容な気持ちを私たちにも示してくださる。うれしかったです。

「生きてるだけでもうけもんやな」

その後も関西に根を張り、人々に笑いを届け続けた上沼さんは、震災から積み重ねてきた日々をこう振り返る。

上沼恵美子さん:
こんな経験、二度と嫌ですけど、人間はちょっとやっぱりつらいというか、現実というか目の当たりにしないと成長しないなっていうのは思いましたね。「生きてるだけでもうけもんやな」って思いましたもん。

続いて2人が訪れたのは、淡路島の北淡震災記念公園 野島断層保存館。
ここには震源に最も近い場所にあった断層が、そのままの形で残されている。

青井実キャスター:
ここですね。これが当時の断層なんですよね。

上沼恵美子さん:
怖いなぁ。このずれが7000人近い人の命を奪ったわけですよ。信じられへんわ。逆らえないなあ。こういうことにも逆らう気がないけど、こんなことがやっぱり地球に生きてたらあるわけですよ。

もっともっと国から手を差し伸べて…

震災から30年がたち、地元の人の中でも、当時の惨状を直接知らない人が増えてきた一方、それ以降も東日本や能登半島をはじめ、たびたび大きな地震に見舞われる日本列島。
だからこそ、被災者は伝えること、周りは手を差し伸べることが大切だと、上沼さんは訴える。

上沼恵美子さん:
悲しみなんて、外へ絶対に出せませんからね。本当に恐怖に見舞われた人って、それは私わかるんです。もう思い出したくないっていうのがあるんですが、そこは思い出していただいて、お孫さん・子どもさんに少し伝えてもらう力をね。

青井実キャスター:
時間が経過するにあたって、上沼さん自身の心境の変化とか、どういうことで変わってきたりするのか、それとも変わらないのか?

上沼恵美子さん:
それ(心境)は変わらない。あの揺れとこの素晴らしい復興。「素晴らしいね」いうて、拍手して終わっていないんですよ。「心と心を寄り添って」とか言うけど、そんな抽象的なことでは復興できないもの。だから輪島にしても、もっともっと国から手を差し伸べないとダメですよ。

震災から30年、節目の年に上沼さんがチャレンジしたいことがあるという。

上沼恵美子さん:
皆さんの力で、私はエネルギーいただきました。燃える心をいただきました。私のできるのは、やっぱりしゃべって、また今年、ひょっとしたら新曲出すんですよ。もう120%売れへんのですけどね。そんな売れるわけないじゃないですか!

宮司愛海キャスター:
こうして明るくお話ししてくださってますけれども、当時はすごく葛藤を抱えていらっしゃったということだったんですね。

青井実キャスター:
本当にもうしゃべりがうまい方ですから、人を楽しませたりするのは得意だと思うんですけど、その上沼さんが当時ずっと戸惑ってたし、「笑いの力って何なんだろう?」って、ずっと葛藤してたし、そんな思いを聞かせていただきましたし、30年たった今も覚えているんだっていうのが、やっぱり印象的でした。

スペシャルキャスター・橋下徹さん:
上沼さんも悩まれていたんですね。でもやっぱり、大阪・関西ってのは、お笑いが文化であり生活の基礎なので 、笑いがこの前向きな気持ちになったっていうことを言う住民の方は多くいますからね。

青井実キャスター:
きっと届いたと思います。貴重なインタビューありがとうございました。
(「イット!」1月17日放送より)

この記事に載せきれなかった画像を一覧でご覧いただけます。 ギャラリーページはこちら(146枚)
  • 1
  • 2
関連記事
【よく一緒に読まれている記事】
【祈り】「骨のかけらも見つかってない…唯一会える場所」阪神・淡路大震災あの日から30年…各地で追悼の集い“それぞれの鎮魂”  天皇皇后両陛下も追悼式典に出席
【祈り】「骨のかけらも見つかってない…唯一会える場所」阪神・淡路大震災あの日から30年…各地で追悼の集い“それぞれの鎮魂”  天皇皇后両陛下も追悼式典に出席
イット!の他の記事
海に浮かぶ謎の“漂流船” 正体は全長50メートルの無人台船 サイパンから3000キロ、台風でロープ切れ4カ月漂流か 北海道・浜中町
海に浮かぶ謎の“漂流船” 正体は全長50メートルの無人台船 サイパンから3000キロ、台風でロープ切れ4カ月漂流か 北海道・浜中町
社会
りくりゅうペアが電撃婚約 「やっぱり!」日本中が祝福 ミラノ五輪で金 カミナリが落ちたような相性で人生もペアに
りくりゅうペアが電撃婚約 「やっぱり!」日本中が祝福 ミラノ五輪で金 カミナリが落ちたような相性で人生もペアに
スポーツ
「殴られたようだ」17歳男子高校生死亡 防犯カメラにバイクと“追いかける”黒い車 現場に倒れたバイクも 神奈川・相模原市
「殴られたようだ」17歳男子高校生死亡 防犯カメラにバイクと“追いかける”黒い車 現場に倒れたバイクも 神奈川・相模原市
社会
「救急隊の靴は揃えないで」消防局のSNSが話題 「よかれと思った行動」が“裏目”に 「旅館で布団たたむ」は“忘れ物チェック”で結局また広げるとの声も
「救急隊の靴は揃えないで」消防局のSNSが話題 「よかれと思った行動」が“裏目”に 「旅館で布団たたむ」は“忘れ物チェック”で結局また広げるとの声も
ライフ
一覧ページへ
×