阪神・淡路大震災から30年。淡路島出身の上沼恵美子さんが、被災した経験、日本中が悲しみに包まれる中で「お笑い」を職業とする苦悩、そしてこの30年間の胸の内を青井キャスターに明かした。随所に笑いを織り交ぜたインタビュー中には、青井キャスターがタジタジになる場面も。放送では伝えきれなかった30分に及ぶインタビューの特別編。

「あの高速で私は運転していたかもわからない」

上沼恵美子さん:
くっきり覚えています。怖いんですけど、覚えています。揺れた感覚も体が覚えてます。ちゃんとベッドに寝てたんですけど、当然5時40何分でしたからね。ゆっさゆっさって揺れましたね。主人が横のベッドで、もちろん起きました。揺れが収まって、長男次男、飼ってた犬を部屋に呼んで、私たちの寝室に呼んで「みんな集まっておこう。余震が絶対来るから」と。やっぱり(地震は)ガーッときて。あれはね、火曜日だったんです。その日、私は仕事はお昼から朝日放送のラジオを生で3時間やって、その後サンテレビ、神戸の局です。そこで『ズバリ!悩みお任せ』って私の司会でやってたんですが、そこへ行くことになってたんですよ。
神戸行くことになってたんですよ。私はこれまで、自分で運転して神戸まで行ってたんですよ。だから「時間がずれてたら、あの飴のようにひん曲がった、あの高速で私は運転してたかもわからない」とか、後でぞっとするようなことがいっぱい襲ってきて。「恐ろしいものだな。人間というのはこういうことか、いや、天災ってこういうことなのか」とか、押し寄せてくる目に見えない恐怖っていうのが、心の中、頭の中で生まれるんですよ。

船で通勤した経験「生きてるだけで儲けもんやな」

青井キャスター:
その後、仕事や生活はどういう状況でしたか? 
上沼恵美子さん:
仕事は、朝日もサンテレビも半年以上お休みでした。再開したのが半年かな、7カ月が経った時にサンテレビさんが「阪神高速は全然ダメだし、電車も無理なんで、できれば船で来てください」と言って。
青井キャスター:
それぐらい移動手段もままならない状況。
上沼恵美子さん:
(番組は)『ズバリ!悩みおまかせ』っていうんですけど、「こっちが悩んどるわ!」思いました。でもね、いい経験させてもらいました。当たり前のように高速使って、早く移動できて、「便利だな~」もあんまり感じなくて、感謝しないで生きてたのが、船で行ったことによって「あぁ」と思いました。だから、こんな経験二度と嫌ですけどね。嫌ですけど、人間は、ちょっとやっぱりつらいというか、現実というか、目の当たりしないと成長しないなっていうのは思いましたね。「生きてるだけで儲けもんやな」と思いましたもん。

「お笑いの世界の人って難しい」苦悩した日々

上沼恵美子さん:
「今日も大阪城から来ました!」とか、こんなん言わへんかったです。 
青井キャスター:
上沼さんでも言えなかった? 
上沼恵美子さん:
いえないいえない。日本列島が悲しみに暮れた何年かだったと思うんですよ。本当に私みたいなお笑いの世界の人って、難しいなと思いましたね。
青井キャスター:
上沼さんですら、1年経ってもちょっとどうしようと、歌っていいのだろうか?笑いをしていいのだろうか、というのは思っていたんですか。 
上沼恵美子さん:
やっぱりやりづらいです。やりづらいって言い方おかしいけども、不謹慎って感じがしました。「淡路島は私は私の島だから、ご自由に」なんて言ってた自分が恥ずかしくてね。「それはいい、それはギャグで言ってたんやから」って言ってくれても、前川清さんが『そして、神戸』を歌いにくかった同様ね、あんないい歌でも歌いにくい、そういうものがあるんです。

時間が経っても「変わらない」思い…

青井キャスター:
時間が経過するにあたって上沼さん自身の心境の変化とか、どういうことで変わってきたりするんですか?それとも、変わらない?
上沼恵美子さん:
それはね、青井さん変わらない。あの揺れと、この素晴らしい復興。「素晴らしいね」言うて拍手して終わっていないんですよ。「心と心を寄り添って」とか言うけど、そんな抽象的なことでは復興できないもの。だから、(能登半島地震で被災した)輪島にしても青井さん、もっともっと国から手を差し伸べないとダメですよ。
青井キャスター:
外からの支援というのは当時を踏まえると必要なんですね。
上沼恵美子さん:
絶対そうなんですよ。日本は一つなんで、ちっちゃい島国なんですよね。助けなきゃあかんの!
青井キャスター:
それは助けられたという経験から?
上沼恵美子さん:
はい、そうですね。助けさせていただいたこともあるし、コロナの時もです。私はよくしゃべるんですけど、「寄付しました」とか「やりました」とかってあまりしゃべれへんのです。いい女なんです(笑)。

上沼恵美子さん:
お姉ちゃんと何度も歌を歌いに行きましたし、チャリティーコンサートって言うんですかね今では。
青井キャスター:
その時はやはり、歌で何か届けたりというのは多かったですか?
上沼恵美子さん:
もちろんお姉ちゃん呼んで、ちょっとおしゃべりして、その後カラオケ。『大阪ラプソディー』といって一曲ヒット曲があるんで、それを歌わせていただいて、皆さんに喜んでいただきましたよ。

「前を向かんとあかんな」上沼さんが取り組んだこと

青井キャスター:
変化は先ほどないとおっしゃってましたけど、何か変えていったことだったり、町が変わっていったのか、人が変わってたのか、その辺はどういうふうに30年は?
上沼恵美子さん:
ルミナリエは20年の時かな、見に来て、その後食事、中華食べに行ったのかな。主人と話している時に「前向かんとあかんな」って言って本を出しましたね。初めて夫婦の本を。企画も全部私が考えて。よく売れました(笑)。まあ自分で言うのもなんですけども。 「復興と関係ないやないか」と思うかわかりませんけど、私にはありました。なんか違うことやろう!今までやってきたことで、ギャラもらったらあかん!絶対無理、(本が)売れるなんて思ってませんから。それがまた売れちゃったんですよね(笑)。
青井キャスター:
気持ちを切り替えたのは、20年の時ですか? 
上沼恵美子さん:
そうですね、10年前ですかね。そうだったと思います。
青井キャスター:
それまでは…?
上沼恵美子さん:
何をしていいのか。チャリティーで歌いに行ったりとか、あの大阪でチャリティーコンサートやってお金を送らせてもらう、その程度しかできない。

「人生には宿題」が必要…CDを出す計画も

上沼恵美子さん:
これからも私のできるのはやっぱり喋って。また今年ひょっとしたら新曲出すんです。120%売れへんのですけどね。
青井キャスター:
いえいえ、そんなそんな。
上沼恵美子さん:
古希をよいことに記念にして、また、ちょっと歌えればな。歌手の方いらっしゃるので、おかしいんですけどね。
青井キャスター:
本当に出されるんですね。
上沼恵美子さん:
本当です。6月発売を目指して、まだレコーディングしてませんが。
青井キャスター:
そうですか。楽しみにしています!
上沼恵美子さん:
してないと思う。
青井キャスター:
いやいや、本当にやめてください。これ絶対最後に使われるんですよ。やめてください。いやいや。でも、本当に。
上沼恵美子さん:
やっぱり希望がないとダメだよね、生きていくには。人生には宿題、ちょっとのストレスね。ちょっとのストレス、そして、なんか宿題をもって、それを成し遂げた後のビールのうまいこと!おっさんか私は!
青井キャスター:
逆に元気をいただきました。ありがとうございました!