「すべて終わったね。お疲れ様でした」

捜査資料はおろか決済箱すらない何もない机が、事件捜査だけでなく栢木のキャリアの終わりも物語っていた。

栢木は本来2月に退職する予定だった。しかし長官銃撃事件の時効まで捜査指揮を執ることとなり、退職時期を1カ月延伸する特別措置が取られた。

時効とともに奉職40年の警察官人生から勇退である。すっきりとした顔をしていたが、腹の中では屈辱の「517(※警察の無線用語で『任務解除』を表す隠語で、転じて退職を指すことに)」だと思っていた。悔しい気持ちからか、唐突なこぼれ話が栢木の口から出てくる。

最高幹部が極秘に確認した“容疑者”写真

「国松長官が撃たれた時、隣で傘を差していた元秘書官は事件直前に現場付近で不審な男を目撃したと証言していたんだ。

事件から数年経ったある時、この秘書官のところに警視庁最高幹部が来て、『君が見た犯人とはこの男か?』と見せてきた写真が例の中村泰(なかむら・ひろし)だったそうだ」

「長官を撃った」と名乗りでた中村泰元受刑者
「長官を撃った」と名乗りでた中村泰元受刑者

中村は東海や近畿地方で銀行強盗を繰り返し2001年に逮捕され、懲役15年が確定していたオウムとは全く無関係の男だ。

この男が「自分が長官を撃った」と言い出した。

「警察の捜査の矛先をオウムに向けさせるため」だったという。一見理解し難い動機を語っていた。

中村の出現により、特捜本部は刑事部捜査第一課の原雄一管理官と数名の捜査員に調べさせた。そのうち警視庁内部でも中村が犯人ではないかと考える幹部も出てきて、直近で犯人を見た元秘書官に中村の写真を見せ、どうしても確認したかったのだろう。

中村の隠れ家からは銃4丁が見つかった 三重・名張市
中村の隠れ家からは銃4丁が見つかった 三重・名張市

栢木の話は続いた。

「中村の写真を見せられた元秘書官は似ていると思ったらしく、『間違いないです』と答えたそうだ」

中村の自供について栢木は懐疑的に見ていたから、中村犯行説を追認したと言われていた元秘書官に多少穏やかではない気持ちがあった。