能登半島地震前の町並みや住民の記憶をジオラマに残す取り組みが珠洲市内で行われた。ジオラマを作ったのは建築を学ぶ学生たち。住民から思い出話を聞きながら”失われたふるさと”を再現させていく様子を取材した。
この記事の画像(12枚)用意されたのは全長5メートルの白いジオラマ
珠洲市の集会所に現れた全長5メートルのジオラマ。祭りには欠かせない巨大なキリコが保管されている倉庫や、港に浮かぶいくつもの漁船。地震で大きな被害を受けた珠洲市三崎町寺家の街並みを再現したものだ。「俺の家はこれ。一番先に色塗ってある」「これ港か?」ジオラマを囲んでこんな会話が聞こえてくる。
「記憶の街ワークショップ」と名付けられたこのイベント。神戸大学大学院の槻橋修教授が中心となり、全国で建築を学ぶ学生が東日本大震災の復興支援活動として始めたものだ。2011年からの10年間で60ヵ所以上でワークショップが行われ、被災した町並みをジオラマとして蘇らせてきた。
住民から話を聞き取りながら家や畑に色を塗る学生たち
能登半島地震の被災地ではこれが初めての開催。神戸大学や金沢大学、早稲田大学の学生たちが地元の人から話を聞き取りながら、家や畑に色を塗っていく。そして住民から聞いた思い出話を旗に書いて立てていく。町並みとともに記憶を残すのも、このワークショップの大きな目的だ。
学生が神社の周りに杉の木を立てていると、すかさず地元の男性から「ここにはアテの木もあった」と声が飛ぶ。アテとはヒノキアスナロの方言で、奥能登では身近な木だ。「アテの木ってヒノキみたいな木。こんな柱に使ったりするんや」集会所の柱をたたきながら男性は学生に教える。神社の周りの林には「アテ」と書かれた旗が立てられた。
ジオラマを前に話が弾む住民
このワークショップを企画した槻橋教授は「例えば漁の話とか畑の話とか、全部合わせてみると色とりどりな地域だったんだなと、地域の方自身も再発見できているのではないか」と話す。
「これ小学校で、これ川やね。これ須須神社ね。キリコが4つ立っているやろ、ここに鳥居がある」指示棒を指しながらジオラマの街を案内し始めたのは区長の舟木茂則さん。細かく再現された町並みを前に住民の会話も弾む。「これわたしの畑や」「大根かなんか作っとる?」「うん、大根やと」丹精して育てた野菜畑もしっかり再現されていた。
「これを見に来たらおうちがあるから」完成したジオラマのふるさと
住民の声に耳を傾けながら学生たちが7日間かけて色を付けたジオラマ。最終日にはふるさとの記憶が記された旗が街いっぱいに立てられた。完成した”ふるさと”を前に涙ぐむ女性も。女性に学生が話しかける。「家は無くなっちゃうけど模型はずっと残っているから、これを見に来たら自分のおうちがあるからいつでも見に来てください」
地震や津波で失われたふるさとの景色。ジオラマをきっかけに住民たちは思いを馳せていた。区長の舟木さんは学生とのジオラマ作りを通して思い出を語る住民の姿を見て「やってよかった」と感じたという。ジオラマは今後、珠洲市内の施設に展示される予定だという。
(石川テレビ)