石川テレビの稲垣アナウンサーが、能登の復興に向けて前を向く人たちに話を聞く「能登人を訪ねて」。今回は能登の栗農家・松尾和広さんを再訪した。元日の地震以降、激動の一年を過ごした松尾さんにとって、これが「能登で最後」の収穫の秋となる。松尾さんの能登を離れるという決断に至るまでの、再起への歩みに密着した。

松尾栗園 苦渋の決断

2024年4月始め。稲垣アナが輪島市の松尾栗園を訪れると、栗の木のせん定に1人汗を流す男性がいた。能登栗農家の松尾和広さんだ。

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愛知県出身の松尾さんは、能登のクリの味にほれ込み、脱サラして輪島へ移住した。2006年に始めた松尾栗園では糖度が高い焼きグリを作り出し、全国でも評判の商品に育て上げていた。しかし、能登半島地震で松尾栗園も大きな被害を受ける。4月時点の被害の状況を見せてもらうと、そこには地震の影響で大きくゆがんだ建物や、すっかり倒壊して屋根部分しか見えなくなってしまっている作業場部分があった。

松尾栗園 松尾和広さん:
ここが住居部分で向こうが作業場部分なんですけど…

そう案内してくれた松尾さん。あまりの被害の大きさを目の当たりにした稲垣アナの口から、思わず「何にもない…」と言葉が漏れた。その言葉に、松尾さんが頷く。

松尾さん:
そうですね…何が無事で何がダメなのかも、まだ全部わかっていない状況です。

地震で、商売道具である農機具などをしまってあった自宅兼作業場が全壊。農園は栗栽培を続けられる状況にあったものの、作業場の復旧に1億円以上が必要と分かり、松尾さんは人生をかけてきた栗農家としての再出発を諦め、一家での移住を決意した。

能登の栗栽培を通し 静岡で再起

2024年7月、静岡県掛川市に松尾さんの姿があった。以前から親交のあった浜松市の菓子メーカー「春華堂」が、和栗のブランド化に取り組むプロジェクトを立ち上げることになり、栗栽培のノウハウを持つ松尾さんに参加を呼び掛けたのだ。

松尾さん:
栗の仕事が引き続きできるということで、まだまだ能登では仕事を失った人がいっぱいいるので…自身が置かれた恵まれた環境に、すごく感謝しています。

この夏、松尾さんは能登から遠く離れた静岡で、栗の栽培に適した候補地の選定や、これまでに培った技術や経験を参加している企業や農家に伝える日々を送っていた。こうした中、「春華堂」が立ち上げたこのプロジェクトが、松尾さんの栗園を含む輪島で獲れた栗を、復興支援の一環として買い取ってくれることになったのだ。

松尾さん:
いま一番能登のためにできることって、僕は栗しかやってきてないし。この和栗プロジェクトに出会えたことで、能登の栗農家の栗を買い続けることができる。それをずっと続けられたら、小さなことではあるんですけど、能登の農家にとってはありがたいことだし、栽培を続けられるので、能登栗を結果的に守ることになれるので、すごくありがたいですよね

松尾栗園 最後の収穫

季節は巡り、10月。栗の旬、秋がやって来た。輪島市の松尾栗園を訪れると、そこには以前より少しやせた松尾さんが稲垣を待っていてくれた。久しぶりの再会に、稲垣アナも松尾さんも思わず笑顔になる。

「松尾さん!お久しぶりです。ちょっと痩せましたか?」「痩せたんですよ。8月23日にこっちに来たときは67kgあったんですけど、収穫中に5kg痩せて62kgになりました」

静岡の和栗プロジェクトは、松尾さんに2024年の1年、松尾栗園での栽培作業を委託している。このプロジェクトのため、松尾さんは浜松と能登を往復しながら栗を育て、9月から収穫を行ってきた。収穫中に痩せたというその言葉から、松尾さんがとても忙しい日々を送っていたことがうかがえる。

稲垣:
松尾さん、今日はどんな日になるんですか?

松尾さん:
住み込みのアルバイトさんがいま3人いるんですけど、彼らが今日は最終日です。このメンバーでやる収穫は今日が最後ですね

松尾栗園での栗拾いは早朝に行われる。木から落ちた栗が、自らの呼吸熱で糖分を消費しないようにするためだ。このように、栽培や収穫の方法をこだわりながら、松尾さんは19年間の試行錯誤によって「糖度36度の能登の焼き栗」を作り出してきた。

実のなり具合は上々。2023年は豊作の年だったが、それと変わらないくらいの収穫があるようだ。松尾さんにとって、能登・輪島での栗拾いは2024年で最後になる。理想の栗を追い求め、試行錯誤を繰り返してきた能登を離れることに対して、気持ちを聞くと…

松尾さん:
そうですね、能登ではこれが最後の栗拾いです。ここの畑は、自分が栗農家になるために育ててもらった畑なので…なんか単純に寂しいというだけじゃないですね。寂しいというより、感謝ですよね。本当に失敗だらけだったんで…ここの木にいっぱい色んなことを教えてもらいました。

能登を離れる朋の 思いを引き継ぐ能登人

2025年からこの栗園を引き継ぐのが、柳田尚利さん。柳田さんは2012年に大阪から能登に移住し、現在は輪島市町野町で農園を経営している。同じ移住者として、輪島の地で農業に情熱を燃やす柳田さんは、松尾さんのよき理解者だった。栗の収穫を手伝う柳田さんに、松尾栗園に対する思いを聞いた。

柳田尚利さん:
松尾さんが移住してきた時に一番最初に始めたのがこの畑なんですよ。だからこそこの土地は、どんなにいい人が来てもやらせたくないという気持ちが強かったんですね、僕にとって。他人にやらせたくないと…

その言葉から、柳田さんにとっても松尾さんとこの栗園の存在はとても大きなものだったのだ、ということがうかがえた。柳田さんは続ける。

柳田さん:
どんな素晴らしい人が来ても『この土地をやるのは俺やろう』という気持ちが出てきて…最初は黙ってたんですけど。5月ぐらいに松尾さんと2人で1時間ぐらいしゃべる時間があって、その時についポロっと出ちゃったら、思いがとまらなくなっちゃった…そしたら、あれよあれよとこの栗園を受け継ぐことが決まっちゃって…

松尾さんが栽培方法はもちろん収穫の時間にまでこだわり、栗の糖度を引き上げることに情熱を注いできたことを、柳田さんはきっと誰よりも深く知っている。輪島で農業に従事してきた仲間として、松尾さんの栗園を受け継ぐことについて、どう思っているのだろう。稲垣は柳田さんの心境をたずねた。

柳田さん:
松尾さんとは違うから、僕の100%を出しても松尾さんの100%と同じかというと、違うと思うんで…そこは僕のやり方でやっていきたい。同じ栗でも、農家それぞれ考え方が違って当たり前やと思うんで、それは別にあんまり気にしてないです。

松尾さんが人生をかけて注いできた能登栗への愛情は、共に切磋琢磨してきた盟友の手へしっかりと受け継がれていく。

離れがたい能登への感謝

早朝からの収穫を終えて、山のように積み重なったイガを見る。松尾さんは稲垣に「あのイガの量、1週間分です。先週燃やして一回無くしたんですけど…」と説明をしてくれた。これほど大量のイガが1週間で積み重なるのだから、栗の収穫とはとても重労働なのだと実感する。

「収穫はこれで終わりです」松尾さんがそう言った。その言葉で稲垣アナは、柳田さんの言っていた「ここが松尾さんの、能登に来て最初の畑」という言葉を思い出す。松尾さんが彼にとって最初の畑で、最後の秋を迎えた気持ちを聞いた。

松尾さん:
私の能登での挑戦は、ここから始まりました。ここで死ぬと思っていたんで…(離れることは)本当に信じられないですね。地震がなければ離れなかった。もっともっといい畑にしようとは思っていたので…よく19年持ったなって、よくやったと思いますよ。この地で成長させてもらえたことに本当にすごく感謝ですね

この日の収穫を終えて、松尾さんは静岡へ戻る。「能登に、この農園に育ててもらった」と語る。

松尾さん:
能登を離れても自分は能登人か…そうですね、いや本当にそうですよ。そこが静岡に行った一番の決め手なんで、能登の事業を続けられるという…向こうで『こっちの仕事に専念してくれ、能登のことは忘れてくれ』なんて言われていたら、絶対に行かなかった。『能登を見捨てないで済む』というのと、『さらにもっといい方向に行ける』という…

能登の栗の味にほれ込み、移住を決断してから20年近く。栗農家として奮闘した日々は、松尾さんにとって能登という土地を、離れがたい場所にしていた。

松尾さん:
能登から離れがたいですよ。戻りたくないです、本当に…

輪島を離れるが、栗農家として松尾さんはこれからも能登人であり続ける。そんな松尾さんのさらなる活躍を願い、稲垣アナは握手とハグを交わして見送った。

(石川テレビ)

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