突然の訃報に悲しみが広がっている。長年お茶の間で親しまれた服飾評論家でタレントのピーコさんが9月に亡くなっていたことが分かった。79歳だった。
ピーコさん(2013年):ハッキリものが言えるというのは、男でも女でもない視点から言うときには、世間の人が許してくれることもあると思うんですよね。
“辛口のコメント”で、数々の番組で活躍した服飾評論家のピーコさん。9月3日、敗血症による多臓器不全のため、入院先の病院で亡くなった。79歳だった。
専門学校を卒業後、服飾デザイナーになったピーコさんは、1975年、双子の弟で映画評論家のおすぎさんと「おすぎとピーコ」としてデビュー。
ピーコさん・おすぎさん(1978年):
おすぎです。
ピーコです。きょうは暮れの御徒町のアメヤ横丁に来ていますけど、すごいのねえ…
■“辛口コメント”でお茶の間の人気者

多くのテレビ番組に出演する中、特に人気を博したのが、お昼の情報番組の「辛口のファッションチェック」。名物コーナーとなり、お茶の間の人気者となった。
(Qきょうのポイントは?)
ピーコさん:この人ね、ベルトがまわしのように見えるのよ。この格好で女相撲みたいになっちゃって。
ピーコさん:この人ね、主婦なんですけど、もしかしたら質屋さんの奥さんかなと思っちゃうぐらい、いろんなものつけてるんで。
関西テレビでも2006年から「スーパーニュースアンカー」のコメンテーターとして出演。
ピーコさん:(アスベストは)これって公害だと思うの、私。ただ一つの会社のことだけで『はいシャンシャン』で終わらせてはいけないと思うの。
■吉原キャスターにも鋭くツッコミ
ニュースで切れ味鋭いコメントをする一方、中継コーナーを当時担当していた吉原キャスターにも鋭いツッコミを入れていました。

(スタントに挑戦)
吉原功兼キャスター:きょうはスタントに挑戦します。
ピーコさん:気をつけてよ。
ピーコさん:(何もできずに倒れ込む吉原キャスターを見て)足上げたり、手上げたりしなきゃだめでしょ。ただ引っ張られただけじゃないのよ。

(ラーメン店中継)
吉原功兼キャスター:はい、いただきます。
ピーコさん:あんたそれ10秒で食べなさい。10秒で食べなさい
吉原功兼キャスター:野菜がたくさんのっていて…
ピーコさん:早く食べなさい。
■「マイノリティの人とか、そういう人の役に立てることを」

さまざまな分野で活動を続けてきたピーコさんですが、44歳のときがんを患い、左眼を摘出、義眼を入れることに。
ピーコさん(2013年):がんなんだって思ったけど…がんなんだって思ったから、両方あるから1つ取っても仕方ないかと。
数年前から認知症を患い、事務所を閉鎖。去年6月から施設に入ったが、その後、体調が思わしくなく入院していたという。
そして9月3日、入院先の病院で息を引き取った。 葬儀は、近い関係者だけで済ませ、喪主は弟のおすぎさんが務めたということだが、おすぎさんも認知症を患っており、ピーコさんが亡くなったことを認識できていなかったという。
歯に衣着せぬ物言いで、多くの人に愛されたピーコさん。仕事への思いについてこう語っていた。
ピーコさん(2013年):私はゲイだからゲイの人のためとか、片っぽ目がなくなるんだからマイノリティーの人とか、そういう人の役に立てることを。困ってる人に手が差し伸べられて、生きていけたらいいと思う。
■「空の上で温かく見守っていただけたら…」

吉原功兼キャスター:寂しいです。私はピーコさんに中継コーナーでたくさん“いじって”いただきました。当時、いっぱいいっぱいだった私にとって、ピーコさんの言葉というのは救いでした。その存在というのは心の支えでもありました。ピーコさんのコメントがあっての『走れ!コウケン』コーナーだった。番組にとっては本当に欠かせない存在でした。
関西テレビ 神崎博報道デスク:私も『ニュースアンカー』の裏方をやっていまして、いつもニュースの項目などの説明をピーコさんにするんですけれど、私の話が長くなったら、『長いわよ』って言われて。かいつまんで言うとこういうことですと言ったら、『もう最初からそれでいいじゃない』と言われたり。
ただピーコさんがニュースでコメントされるときに、いつも反権力というか、一貫して必ず批判的な目線で政治のニュースを切ってもらったり。あとやっぱり少数者であったり、弱者の視点は必ずあって、本当に報道の一番大事なところを、ピーコさんに語ってもらえた気がするんです。
吉原功兼キャスター:本当にまっすぐに言葉を発してくださったピーコさん。私まだまだなところがありますので、空の上で温かく見守っていただけたらと思います。ありがとうございました。
(関西テレビ「newsランナー」 2024年10月21日放送)