「かすっているよね、音が」――。震災で傷ついたピアノの前で、調律師の遠藤洋さんはつぶやいた。能登半島地震で被災した一台のピアノ。それは単なる楽器ではなく、母娘の絆と希望を紡ぐ存在だった。東日本大震災で「奇跡のピアノ」を蘇らせた経験を持つ遠藤さんの手にかかれば、このピアノも再び美しい音色を取り戻せるのか。ピアノを通し被災者に寄り添う調律師の思いに迫った。
これだけは再生させたい
「かすっているよね、音が」
2024年6月、石川県輪島市でピアノに向き合っていたのは、福島県いわき市のピアノ調律師・遠藤洋さん。

ピアノの持ち主は、倉本沙織さん。能登半島地震で、輪島市では最大震度7の揺れを観測し、実家は損傷。思い出の家具なども廃棄した。しかし、母親と共に奏でていたピアノだけは再生させたいと遠藤さんを頼った。

遠藤さんは「いま悲惨な音にはなっていますけど、よくなるピアノだと思いますよ」という。その言葉に倉本さんは「よろしくお願いします。どうか助け出されますように。直る見込みがあるよ、素敵な音色に戻ることができるよって言ってくださったので信じて待ちます」と大切なピアノを託した。

奇跡のピアノを手掛けた調律師
輪島市からピアノを持ち帰り、修復に取り掛かった遠藤さん。被災したピアノを修復するきっかけとなったのが、ある一台のピアノとの出会いからだった。

2011年に起きた東日大震災の直後に、遠藤さんは津波で流された福島県いわき市豊間中学校のグランドピアノと出会う。このピアノを修復することが、復興の希望になると考え修復にとりかかった。

遠藤さんは当時「大変なことばっかりで、そこで僕らの“ピアノを直そう”という言葉を希望に思ってくださる方が、日本中にたくさんいると思う」と語っていた。
修復されたピアノは美しい音色を取り戻し、いつしか「奇跡のピアノ」と呼ばれるようになった。

その後、遠藤さんの元には災害などで傷ついたピアノを修復してほしいと全国各地から依頼が寄せられている。
「ピアノも災害を乗り越えることができた、人間も一緒だって重ね合わせることが出来たら、このピアノを直してよかったなって思う」と遠藤さんはいう。
諦めていた…ありがとう
能登半島地震で被災したピアノは、大きな揺れで音程にズレが生まれていた。ピアノと会話するように1音1音丁寧に直し、ついに輪島市へ戻ることに。

依頼主の倉本沙織さんと母親の裕子さんは、この日を待ちわびていた。さっそく弾いてみた2人は「きれいな音」と感激した様子。母の裕子さんは「このピアノにまた会えると思っていなかったし、諦めていた。気力消失していたが、これからはピアノがある。弾いている間は震災のことを忘れられる」と話す。

2人の姿を見た遠藤さんは「52年間共にしてきた訳ですからね、今後、震災を乗り越えたピアノだよっていう風に語り継がれていけば最高ですよね」と語った。

母・裕子さんは「ありがとう。ありがとう。弾けたうれしい、ありがとう」とピアノに語り掛けていた。再び音色を取り戻したピアノは、優しく、力強く、家族に寄り添い続ける。
(福島テレビ・石川テレビ)