夜の海に浮かぶ光の群れ。その中を縫うように動く船の影。長崎の海で、新しい風が吹き始めている。「一年漁師」という斬新な取り組みが、若者たちの心をつかみ、漁業の未来を切り開こうとしているのだ。海のない埼玉県から移住してきた26歳の若者が、わずか3年で運搬船の船長を務めるまでになった。その背景には、伝統と革新を融合させた水産会社の挑戦がある。
「一年漁師」が切り開く新たな可能性
長崎・雲仙市南串山町。昔からイワシ漁が盛んで、港の一角にある「天洋丸」は主にまき網漁を行う水産会社で、イリコの原料となるカタクチイワシなどを獲っている。
この記事の画像(12枚)この「天洋丸」が始めた「一年漁師」という取り組みがいま注目されている。「一年漁師」は、1年間という期間限定で漁師の経験を積める画期的な取り組みだ。
岸本希望さん(26)は、「一年漁師」になるため飲食関係の仕事を辞め3年前に埼玉県から移住してきた。「魚と海が好きだったのと船に乗るのに憧れがあったから」と、漁師の道を選んだ岸本さん。「漁師って始めたらずっと続けないといけないと思っていたので一年漁師に魅かれました」と語る。
伝統を守りつつ、革新を追求する経営者の姿勢
天洋丸の竹下千代太社長(60)は、大学卒業後に東京の大手水産会社に勤めた経験を持つ。
35歳で地元に戻り、祖父の代から続く家業を継いだ竹下社長は「きちんと固定給で安定した給料にするためには会社にしないと人は来てもらえない」と考え、15年ほどで天洋丸を株式会社化した。
竹下社長の革新的な姿勢は商品開発にも表れている。地元の伝統食「エタリの塩辛」の商品化や、古い網を再利用した「エコタワシ」の開発など、アイデア豊富な取り組みが目を引く。
さらに、技能実習生とインドネシアの辛味調味料を共同開発。ニボシを加えてアレンジした独自の味わいで話題を呼んでいる。
漁業の未来を見据えた挑戦
しかし、漁業を取り巻く環境は厳しさを増している。以前と比べて漁獲量が減少し、獲れるイワシの魚種も変化してきた。イリコの原料となる小ぶりのカタクチイワシから、イリコには適さない大きめのマイワシが増えてきているのだ。
こうした課題に対し、竹下社長は「この仕事を続けるためにはどうすればいいか?ここの橘湾で漁業を続けるにはどうすれば良いかということで色々やっている」と語る。一年漁師もその一環だ。
「一生、漁師にならんと駄目という募集の仕方だけでなく、色んな働き方があっても良いんじゃないか」という発想から生まれた。「一年漁師」は固定給で保険、賞与も雇用条件は整っている。県内外で別の仕事をしている人が一年の期間限定で別の地域で海の仕事ができるのが魅力。天洋丸は、人生の経験として興味ある人などに来てもらい、人材を確保したい考え。
これまでなかった「一年漁師」という働き方に、希望さんを含め3人が集まってきた。希望さんは「一年漁師」修了後も仕事を続けることを決意した。その理由を「大変な時もあるけど楽しさの方が多いので続けられていると思う」と岸本さんは笑顔で話してくれた。
岸本 希望さん:実際にやってみて楽しかったのと、女性の漁師も増えてほしいとの声も直接漁師さんから聞けたので
漁師になってから船舶免許を取り、今は運搬船の船長を任されている。まき網漁は船団を組んでいて、運搬船は網を投じる「網船」と連携して獲った魚を港に運ぶ役割だ。まき網漁は夜が勝負。
天洋丸では8隻1組で操業している。灯船と呼ばれる船が灯りを照らして魚を集め、希望さんの運搬船も照明で魚を呼び込む。さらに魚群探知機などで状況を調べ、網船に連絡する。
天洋丸の取り組みは、漁業の未来を見据えたものだ。地域のイベントへの参加や、小学生や大学生の漁業体験受け入れなど、地域との連携も積極的に行っている。竹下社長は「地方の企業は地域とともにある。地域の発展が自社の発展につながる」と考えている。
岸本さんは2024年7月、大阪で行われた漁業の就業支援イベントに参加し、自身の体験を発表した。「女性の漁師も増えてほしい」という思いを胸に、漁師の仕事の魅力を若い人や女性に伝えている。
夜の海に浮かぶ灯り。その光に導かれるように、新しい漁師たちが集まってくる。天洋丸の挑戦は、日本の漁業の未来を照らす一つの光となるかもしれない。海と向き合い、伝統を守りながらも新しい風を取り入れる。その姿に、漁業の新たな可能性を見出すことができるのではないだろうか。
(テレビ長崎)