79年前、22歳の若さで戦死した福島県出身の男性。福島県二本松市の山間にある男性の墓で、手をあわせていたのはアメリカ人の親子・ウィリアム・ロブソンさんと息子のマイケルさん。父から受け継いだ日章旗を遺族に返すために、日本へやってきた。

戦闘から79年 祈りを捧げる

福島県の旧東和町出身の斎藤孝道さん。
二本松市遺族連合会によると、フィリピンに出征し1945年8月にルソン島で戦死したとされているが、これまで詳しい状況は分かっていなかった。

斎藤孝道さん
斎藤孝道さん
この記事の画像(8枚)

その最後の戦闘に“敵国”として従軍していたのが、ウィリアムさんの父のセシルさんだと最近分かった。ウィリアムさんは「父と斎藤さんが出会ったのは最初で最後でした。1945年フィリピンでの戦闘からもう80年になります。祈りを捧げられたことはとても光栄で、ここに来られて良かったと思います」と語る。

ウィリアム・ロブソンさんと息子のマイケルさん(2024年7月27日)
ウィリアム・ロブソンさんと息子のマイケルさん(2024年7月27日)

遺品の日章旗が遺族のもとへ

「武運長久」「皇軍万歳」戦中を偲ばせる言葉で埋め尽くされた日章旗。所々に残るシミは血の跡だ。

79年ぶりに戻ってきた孝道さんの日章旗
79年ぶりに戻ってきた孝道さんの日章旗

孝道さんが身に着けていたこの日章旗を、セシルさんは遺品としてアメリカに持ち帰っていた。亡くなったセシルさんから遺品を受け継いだ2人は、いつか遺族のもとへ返したいと願っていた。

身に着けていたという日章旗には血の跡も
身に着けていたという日章旗には血の跡も

そして、79年後の夏…日本遺族会などの協力で孝道さんにたどり着き、日章旗を返すだけでなく遺族との面会も果たすことができた。

遺族との面会も果たす
遺族との面会も果たす

ウィリアムさんは「斎藤さんの家族に会って、斎藤さんが国旗を持っている写真を見たり、彼の人生について家族と話したりできたことは、とても素晴らしいことでした。私たちが最も楽しみにしていたことは、彼の人生を理解することでもありました」と話す。

知る事ができた足跡 蘇る思い出

遺族にとって、これまで孝道さんの遺品と呼べるものは2枚の写真だけだった。
孝道さんの妹・加藤久美子さんは「骨壺は絶対見てダメと言われていたが、父たちが見たら炭のかけら1つだったって。どこで亡くなったかっていうのを分かっただけでよかった。せっかくロブソンさん親子も来てくれて…」と話した。

遺品と呼べるものは写真2枚だけだった
遺品と呼べるものは写真2枚だけだった

また、当時幼かったいとこの高橋良一さんは「あんまりそばに行けなかった、頭が良すぎて。トイレの中でも勉強していたくらいの人だった」と、暇を惜しんでは勉強に励む姿を思い出していた。

日章旗を契機に、再び思い起こされた孝道さんの足跡。それは、79年後の“いま”を生きる私たちが忘れてはいけない戦争の歴史だ。

(福島テレビ)

福島テレビ
福島テレビ

福島の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。