群馬・健大高崎が春夏通じて初優勝を飾り、幕を閉じた春のセンバツ。
能登半島地震で被災した日本航空高校石川・硬式野球部は、多くの支援を受けながら4年ぶりに春の甲子園の舞台に立ちました。甲子園での戦いから3日後、3カ月ぶりに地元・石川に戻った同校野球部を待っていたのは、変わり果てた”地元の姿”。
再び被災地に勇姿を届けるーー。
球児たちの3カ月に密着、被災地への思いと新たな旅立ちに迫りました。

帽子のつばに記した決意

2024年元日、能登半島を襲った最大震度7の大地震。

日本航空高校石川は、輪島市内にある校舎が被災し、硬式野球部の部活動はおろか授業も行えない状態に。野球部のメンバーは山梨県にある系列校・日本航空高校に拠点を移し、たくさんの支援を受けながら4年ぶりに春の甲子園の舞台に立ちました。

帽子に書いたスローガン
帽子に書いたスローガン
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「笑顔 感謝 恩返し 石川県のために 共にがんばろう石川」

帽子のつばに記した決意を胸に、1回戦で常総学院(茨城)に1-0で惜敗したものの、全力プレーを被災地に届けました。

山梨を離れ、3カ月ぶりに地元・石川へ

甲子園での戦いから3日後の3月28日。

日本航空石川の野球部が拠点としていた山梨の系列校を訪れると、そこには荷物をまとめバスに積み込む選手たちの姿。

2カ月間寝泊まりした、段ボールベッドが並んだ教室はきれいに片付けられ、元の“教室”の姿に戻っていました。

午前10時、お世話になった山梨校の職員らに見送られ、石川県輪島市の母校へと出発しました。

2023年末、正月休みで県外の実家に帰省していた多くの選手にとっては、震災後初めて訪れる石川。途中、食事休憩などを挟みながらバスに揺られること9時間。

地元・輪島市に近づくにつれ車窓から徐々に見えてくる震災の爪痕。

車窓から見える震災の爪痕(3月28日)
車窓から見える震災の爪痕(3月28日)

選手たちは時折「ヤバい…」とつぶやきながら、被災地となった石川を見つめていました。

被害を見つめる野球部員(3月28日)
被害を見つめる野球部員(3月28日)

午後7時、日は暮れ、雨が降る中で到着した3カ月ぶりの母校。

選手たちが寮の部屋に向かうと、震災以降、手つかずだった室内は物が散乱し、ドアも完全には開かない状態でした。

物が散乱した寮の室内
物が散乱した寮の室内

地震の大きさを目の当たりにした選手たちは、口々に「エグい」「ヤバい」と話しながらも、その表情は明るく、3カ月ぶりの“我が家”に戻った喜びにあふれていました。

段日向樹選手(3年):
自分の部屋じゃない感じがして…。でも、なんか嬉しいです。

開幕までの日数を書いていたホワイトボード
開幕までの日数を書いていたホワイトボード

甲子園で3安打を放った段選手が見せてくれたのは、1枚のホワイトボード。帰省で寮を離れた2023年の12月25日まで、センバツ開幕までの残り日数をカウントダウンしていたものです。

石川から遠く離れた山梨での生活。4年ぶりに立った夢舞台。
元日の震災から3カ月がたとうとしている今も、彼らの寮はあの日のまま時間が止まっていました。

夜を徹して部屋を片付け、3カ月ぶりに寮で一夜を明かした選手たちは、翌29日、最も被害が大きかった輪島市内を訪れました。

2023年6月に課外授業で訪れた輪島朝市がある思い出の場所。
その変わり果てた光景に、選手たちは言葉が見つからないまま、がれきと化した街の中を歩いて回りました。

輪島市内を歩く寳田一慧主将(3年)
輪島市内を歩く寳田一慧主将(3年)

寳田一慧主将(3年):
言葉にできない気持ちです。車を降りてから生きている心地がしないというか…普段生活している場所と全く違うので、その差にびっくりしました。

確かに届いていた被災地への思い

選手たちが輪島市内を歩いていると、彼らに気づいた地元住民から、「お疲れ様」「みんな勇気をもらえていたよ」「夏も頑張ってね」といったねぎらいの声をかけられました。

地元住民から声をかけられる(3月29日)
地元住民から声をかけられる(3月29日)

山梨に拠点を移し全体練習を再開した1月19日の夜。
選手たちがミーティングで話し合ったのは“今、高校野球をやる意義”。

被災地に何を届けられるのか―

石川から遠く離れた山梨で日々自問自答を続け、甲子園で戦ったその姿は、確かに被災地に届いていました。

再び甲子園に戻るために…新たな旅立ち

3カ月ぶりに地元・石川に戻った野球部を待っていたのは、新たな旅立ち。

母校は未だ授業や練習を行える状態にはなく、野球部員達は一度それぞれの実家に帰省。4月中旬からは東京・青梅市を拠点に活動する予定になっています。

荷物をまとめ母校を離れる直前、中村隆監督は選手たちをグラウンドに集めこう話しました。

グラウンドでのミーティング(3月29日)
グラウンドでのミーティング(3月29日)

中村隆監督:
石川でやっていた気持ちをそのまま東京に持って行って、石川県(大会)で夏を制して甲子園に戻る。その気持ちをしっかり持ってやっていってください。

そして、今回のベンチ入りメンバーで唯一、輪島市で震災を経験した福森誠也選手(3年)は、こう語りました。

福森誠也選手(3年・中央)
福森誠也選手(3年・中央)

福森誠也選手(3年):
野球を通して何か届けられるものがあるんだと今回わかった。また夏に向けて頑張っていきたい。

この夏、甲子園の舞台に戻り再び被災地に勇姿を届けるという決意を胸に。
選手たちは、慣れ親しんだグラウンドに別れを告げ母校を後にしました。

グラウンドに一礼して別れを告げる選手たち(3月29日)
グラウンドに一礼して別れを告げる選手たち(3月29日)

フジテレビでは、震災を乗り越え甲子園を戦った日本航空石川野球部を密着取材。
母校を離れた地で“高校野球をやる意義”を自問自答し続けた日々。
家族とともに被災し、葛藤の中で甲子園を目指した福森誠也選手の挑戦。

球児たちの夢舞台『甲子園』に、被災地への思いを背負って立った球児たちの3カ月間を特別番組でつづります。

「元日の大震災 日本航空石川野球部 ~つながる絆、恩返しの甲子園~」
4月4日(木)深夜1:25~放送(関東地方)
※石川テレビでは4月14日(日)午後1:00~放送
※FOD、TVerで配信