時代と共に、減り続ける神戸のお煎餅屋さん。
男性ばかりの煎餅職人の世界に弟子入りし、独立を目指す女性がいる。
復活する神戸名物。その背景にあったのは「職人たちの絆」だった。
■明治時代から続く神戸の名物

神戸市中央区。三宮からひと駅の下町で路地に入ると、年季の入ったお店があった。80年以上続く「手焼き煎餅 おおたに」だ。

明治時代に誕生した「瓦煎餅」は神戸の名物。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:ええ色やね。
手焼きの伝統を守っているのは、3代目の大谷芳弘さん(75歳)。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:うまくいったなっていうのは月に1回かそこらかな。今日はきれいかったねと思うのは。
150年以上の歴史を持つ、神戸銘菓の瓦煎餅。当時、高級品だった卵や砂糖をふんだんに使っていることから「贅沢せんべい」ともよばれていた。
およそ50年前、神戸に100店舗あった煎餅屋さんは、洋菓子人気に押され後継者不足に。現在は10数店まで減ってしまった。
「おおたに」に3年前、弟子入りしたのが和田絵三子さん(44歳)だ。
和田絵三子さん:師匠!これお願いします。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:はちみつ多めに入れるわ。最近、量らへんねん。やわらかさでいきよんねん。感覚やね、固さは。夏場と冬場と全然違うからね。
タネを焼き型に一丁ずつ流し込み、焼き上げる。

作っているのは、瓦煎餅に並び、神戸の煎餅屋さんでは昔からの定番商品「野球カステラ」。バットやグローブなど野球用具をかたどっている。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:味、見てみ。はちみつよく効いてるやろ。
和田絵三子さん:おいしいですね
師匠の大谷さんと交代して、弟子の絵三子さんが焼いてみる。
すると、焼き型から「パン!」と音が鳴った。
Q.なぜ音が鳴るのですか?
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:入れすぎ。生地が多かったら膨らもうとして、ふたを開けた瞬間に“ボッ”ってなっちゃう。
和田絵三子さん:見た目、師匠が焼いているのを見たら自分でもできるような気になるけど、実際焼いてみたら全然違うから、え~!と思って。こんな難しいの?って。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:火が通りすぎてんねん。全体に弱めにせなあかんわ。
和田絵三子さん:はい。
型を閉じると、出来上がりまで開けることはできないという。
季節や天候に左右される焼き加減を「感覚」で覚える職人の世界。均一に仕上がるよう、重さ4キロの型を、一定のリズムで返し続ける。
そして、焼き上がったカステラを型から取り出すのも手作業だ。焼きたての商品を傷つけないよう、慎重さが求められる。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:爪を入れる場所は考えて入れるように。
和田絵三子さん:はい。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:できるだけ原型をとどめるように。
和田絵三子さん:はい。
絵三子さんは、自分の店を持ちたいと「おおたに」の門をたたいた。
独立し、開業が実現すれば、神戸で初の女性の煎餅職人となる。
和田絵三子さん:私、兵庫区出身なんですけど、昔から有名な手焼き煎餅店のカステラを焼いている所があって。そこのをずっと子どもの時から食べてきてたので。好きだったやつが自分で焼けるんだったらめっちゃいいんじゃないのって。
幼少期から親しんできた銘菓を自分で焼きたいと話した絵三子さん。
和田絵三子さん:ありがとうございました。あぁ、難しかった。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:そうやって自分で覚えていくんよ。
二代目の父が亡くなったのち、家業を継いだ大谷さん。店は地元の人たちから愛され続けている。
客:野球カステラ下さい。うちの子どもらが好きで買ってます。

創業から80年余り。焼き印や焼き型は、祖父の代から大切に受け継いできた。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:よいしょ!うわ!引きずらなあかんな。
重そうに取り出したのは、ひときわ大きな焼き型だった。
手焼き煎餅 おおたに 大谷芳弘さん:大瓦。一番でかいやつね。うちのおじいちゃんは焼いてたんよ。これを焼いていた世界やから、女の人は入って来られなかったんよね。後継ぎを若い人に、やってくれたらいいかな。うちの息子はしないけど。やりたいっていう人が出てきてくれたらちょっといいかな。でないと、もう10年したらみんななくなっちゃう。手焼き煎餅というものが。
時代と共に減ってきた煎餅屋さん。2022年、150年以上の歴史がある老舗も従業員の高齢化などを受け、惜しまれつつ閉店した。
■今となっては貴重な技術の詰まった“焼き型”

2024年2月下旬、「おおたに」からは車で15分ほどの下町、神戸市兵庫区。
絵三子さんが地元でお店を始めることにしたのだ。

志方功一さん:焼き型を一式お持ちしました。
和田絵三子さん:ありがとうございます。
神戸市の職員で、「野球カステラ」マニアの志方功一さん(44歳)。
志方功一さん:オンリーワンのキャッチャーマスクですね。後ろがひもで結ばれている。
和田絵三子さん:へぇ~すごい!
煎餅職人として独立する際に、ネックとなるのが「焼き型」。
手焼き用の焼き型を作る技術を持った職人がほとんど残っておらず、新たに作ろうと思っても手に入らないのだそう。
志方功一さん:こちらが『焼き型バンク』のストック品です。
3年前、志方さんが神戸煎餅協会と一緒に立ち上げた「焼き型バンク」。
閉店した店が焼き型を処分してしまう前に、譲り受けるなどしている。要望があれば無償で貸し出すのだ。
志方功一さん:『はし』といいまして、竿の部分が鍛冶屋さんの技術。うまいことしなって、はまるのは調整のいる技術。『はし』が難しい。型を作る会社がなくなって、作ろうとしてもすごく高額になる。
集めた型を提供するのは、「焼き型バンク」で初めてのこと。
志方功一さん:せんべい型ですね。神戸市兵庫区の御崎公園にある亀栄堂さんというところが閉業したんですけど、ご厚意で譲っていただきました。このバーナーは亀栄堂さん。これは梅香堂さん。曲げ台は、2年前閉店した菊水総本店。いろんなものが交流して形になっているのは素晴らしいですね。あちこちのものが流れて、ここにきて。
和田絵三子さん:こういうのがあってこそオープンできるので、すごくありがたい。ありがとうございます。
神戸に新しい煎餅屋さんができるのは、およそ25年ぶりだそう。

絵三子さんは、会社員の夫と共に、2人の子供を育てている。
絵三子さんの娘:ママ、お煎餅の匂いする。
和田絵三子さん:(煎餅の味は)どうですか?
絵三子さんの息子:おいしい。
絵三子さんの娘:最高!ママ、はなまる。
和田絵三子さん:珍しい!そんな風に言ってくれるの。ありがとう。
絵三子さんはなぜ、煎餅職人を志したのか?
和田絵三子さん:母方の実家がお店をしていたので。私たちが学校から帰って『ただいま』って言う時に絶対に家族がいたので。私が結婚して子供産んで、働きに外に出ると、どうしても『ただいま』『おかえり』って言ってあげられないのが寂しいと、ずっと漠然と考えていて。これだったら親がしてくれたみたいに『おかえり』って言ってあげられるようなところに作ったら、帰ってきてくれる場所があるかなという思いで始めました。
■試行錯誤を重ね…いよいよ開店へ

開店に向けた準備を進めている中、煎餅の焼き色が気になった絵三子さん。
和田絵三子さん:ここらへん見て、色やっぱり白いなって。こんなのとか絶対、明らかに…。
煎餅を割ってみる。
絵三子さんの姉 眞由美さん:音が違うね。
和田絵三子さん:持った感じで湿気ているのが分かるから。中、真っ白やから。

慣れない火床を前に、火加減やタネ作りの試行錯誤を重ねる。
そこへやってきたのは、近所にある「菊水せんべい」の4代目、山本幸男さん(73歳)。
和田絵三子さん:火の調子はだいぶ良くなりました。
絵三子さんが焼いた煎餅を試食してもらう。
菊水せんべい 山本幸男さん:うん、おいしい。香ばしいね。中まで火が入ってる。
Q.何年くらい焼いているんですか?
菊水せんべい 山本幸男さん:12歳から。中学校1年生から野球カステラ練習して。
Q.近所にお店ができると聞いた時はどう思いましたか?
菊水せんべい 山本幸男さん:うれしかった。うれしい。昔はここら煎餅屋だらけだった。

3月13日、オープンの日。
商品は、「野球カステラ」はもちろん、「おおたに」の味やラインナップを引き継いでいる。
和田絵三子さん:お待たせしました。『えみり堂』オープンします。よろしくお願いします。どうぞいらっしゃいませ。
ついに開店の時を迎えた。
客:がんばってください!
和田絵三子さん:ありがとうございます。
客:私、今まで東山商店街でいつも買っていた。それが年だからといって辞められて。(お店ができて)ありがたいですね。近くで買えるから。
客:父親のお使いというか、父親が好きで『野球カステラ買ってきて』って言われたので。
なんと、準備していた野球カステラはすぐに品切れ。焼いては、袋詰めをしながら販売することに。
客:手でやってるんですね。

和田絵三子さん:意外に入ってみて思ったのが、職人さんってもっと怖かったり、とっつきにくいと思っていましたが、それ以上に皆さん優しくて、すごく親身になって下さるので、感謝してます。神戸の煎餅屋の中に、皆さんが名前を挙げる時に『えみり堂も美味しいよね』って言ってくれる人がいて『分かる、あそこ私も好き』って言ってもらえるようなお店になりたいです。
神戸の煎餅職人の絆が生んだ新しいお店。“懐かしの味”は、これからも長く楽しめそうだ。
(関西テレビ「newsランナー」 2024年3月26日放送)