かつてサッカー日本代表の中軸を担った香川真司(元セレッソ大阪)、現在リバプールで活躍中の遠藤航(元湘南ベルマーレ)など、J2での活躍を足がかりに世界へ羽ばたいた選手は少なくない。

そして今、その足跡を辿るかも知れないと思わせる選手がいる。

J2、ジェフユナイテッド市原・千葉のエースストライカー。小森飛絢(こもりひいろ)23歳。

ジェフユナイテッド市原・千葉 小森飛絢(23)
ジェフユナイテッド市原・千葉 小森飛絢(23)
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2023年シーズン、突如現れたルーキーはゴールを量産し、自身の名「ひいろ」の由来通り、ジェフの「ヒーロー」となった。

今シーズンも第5節(3月20日)終了時点で4戦連発中の4ゴール、得点ランキングもトップタイと、チームやサポーターの期待を上回る姿を見せている。

“絶賛売り出し中”の小森だが、大活躍の裏には、自身の描く「未来と現実」に揺れる、若きサッカー選手の姿があった。

名門チームが「暗黒時代」へ

ジェフユナイテッド市原・千葉は、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎や元日本代表監督の岡田武史といった、サッカー界の重鎮を生んだ「名門」の古河電工サッカー部が前身。1993年のJリーグ創設時から参加した10クラブ、通称“オリジナル10”の1つでもある歴史あるクラブだ。

黄金期は、のちに日本代表も指揮したイビチャ・オシムが率いた時代。2003年にオシムが監督に就任すると「考えて走るサッカー」を標榜し、Jリーグに大旋風を巻き起こした。

「ジェフ黄金期」を作り上げた オシム監督
「ジェフ黄金期」を作り上げた オシム監督

2005年、初タイトルとなるJリーグカップを制し、翌年には連覇も達成。巻誠一郎、阿部勇樹、佐藤勇人、羽生直剛など、多数の選手を日本代表に送り出した。

しかしそのチームの活躍が、一方で選手の移籍を誘うことになってしまう。

2009年 J2降格が決まり サポーターに頭を下げる
2009年 J2降格が決まり サポーターに頭を下げる

主力が次々と抜けた2009年、古河電工時代から2部に落ちたことがないクラブは、初めてJ2に降格した。

「暗黒時代」の始まりだった。

当時のエースストライカー、元日本代表の巻誠一郎は振り返る。

巻誠一郎(43)
巻誠一郎(43)

「自分たちが降格して悲しいというよりは、(これまで)クラブのいろいろな背景とか歴史を背負いながら戦わせてもらって、そういうものを壊してしまった。崩してしまった。そちらの方が正直すごく大きかったですね」

米倉恒貴は降格が決定した2009年の試合に出場。その後移籍を経てジェフに復帰。現在はチーム最年長の35歳ながら、レギュラーとして活躍している。

ジェフユナイテッド市原・千葉 米倉恒貴(35)
ジェフユナイテッド市原・千葉 米倉恒貴(35)

「ジェフは自分の中ではビッグクラブで、それがJ2に降格するっていうのは、考えたくなかったし、考えられなかった。降格が”すごく近くにある時”の空気感は、なかなか、味わいたくない空気感でした」

“オリジナル10”のクラブの中でJ2降格を経験したのは、鹿島アントラーズ、横浜マリノス、消滅した横浜フリューゲルスを除いた7クラブ。そのうちジェフだけが一度もJ1復帰を果たせていない。

苦しむ名門に突如現れた「ヒーロー」

J2降格後、ジェフはJ1復帰をかけたプレーオフに4回出場。決勝には2回進出するも、あと一歩で昇格に手が届かない。気づけば14シーズンが経っていた。

そして迎えた2023年シーズン。苦しむ名門チームに彗星のごとく現れたのが小森飛絢だった。

開幕戦から非凡さを見せ、3戦連続ゴール。その後も次々とゴールネットを揺らし、瞬く間にジェフの「ヒーロー」となった。

巻誠一郎は後輩ストライカーをこう分析する。

苦しむ名門・ジェフに現れた「ヒーロー」
苦しむ名門・ジェフに現れた「ヒーロー」

「良い意味で形がない、型がない。『俺が決める』という強い意思を感じます」

2023年シーズンからチームの指揮を執る小林慶行監督(46)も「ヒーロー」の出現に舌を巻く。

「頭でも右足でも左足でも、しっかりとボールの中心をたたいてしっかりコースを狙って(ゴールを)決められる。1年目の選手とはとても思えない」

チームも終盤にクラブタイ記録となる7連勝をあげ、J1昇格プレーオフ進出を決めた。

J2からの脱却に向け、小森は意気込みを語った。

2023年 プレーオフへの決意を語る
2023年 プレーオフへの決意を語る

「この15年間はすごく苦しい思いをしていたと思うので、自分のゴールでJ1という舞台に連れて行けたらいいと思っています」

富山第一高~新潟医療福祉大というサッカー経歴の中で、3度の得点王に輝いた逸材。2022年にはU-23日本代表に選ばれたこともある。

それでもJ2のジェフを選んだのは、伝統と歴史のあるこのクラブに惹かれたから。

だからこそ、自らの手でJ1へ。そしてその先へ。小森は「強い決意」を胸に秘めていた。

J1昇格へ ”オリジナル10”対決

2023年11月26日。J1昇格への大一番、プレーオフ準決勝。

相手は同じ“オリジナル10”の東京ヴェルディ。ジェフより1年長い15年間、J2にとどまっている。

ジェフは序盤の猛攻も実らず、逆に2点を先行される苦しい展開。

しかし後半開始からピッチに入った「ヒーロー」が、そこから見せた。

J1昇格へ 小森のゴールで反撃ムード
J1昇格へ 小森のゴールで反撃ムード

鋭いターンで相手をかわし、利き足ではない左足でゴール。すぐさまボールをセンターサークルへ戻し、反撃ムードが高まる。

だが、その後もシュートを放ち続けるが、再びゴールネットを揺らすことはなかった。

そして無情の試合終了、ホイッスル。

J1昇格はまたもお預け。

長いトンネルが「15年目」に突入することが決まった瞬間だった。

1-2で敗れ J1昇格の夢が絶たれた
1-2で敗れ J1昇格の夢が絶たれた

「本当に悔しいの一言です。ジェフユナイテッド市原・千葉はJ1にいなきゃいけないチームだと思います」

移籍すべきか、残留すべきか

ジェフに勝った東京ヴェルディは、その後J1昇格を決めた。

小森は日本人トップタイの13ゴールを挙げ、「J2ベストイレブン」に選出されるが、オンラインで開かれた表彰式では浮かない表情。

表彰式でも気分は晴れない
表彰式でも気分は晴れない

新人での受賞は格別の栄誉だが、J1昇格を逃した事実は重い。チームも揺れ始める。

背番号10の中心選手、見木友哉(25)がヴェルディへ移籍。

小森にも移籍の噂が飛び交うようになる。

移籍すべきか残留すべきか。

決断を迫られる中、故郷の富山へ帰った小森を訪ねた。

J1へ W杯へ 富山で語った思い

地元の駅に迎えに来た小森が案内してくれたのは、幼い頃に父や弟と練習した公園。

遠くに立山連峰を望む広大な敷地は一面の雪景色。

その思い出の場所で、今後について語った。

雪景色の富山で語った自身の未来
雪景色の富山で語った自身の未来

小森:
自分は次のワールドカップ(2026年)に出たいっていう思いもあるので、海外で活躍しないと代表にも選ばれないって自分の中では思っているので、本当に今年、来年あたりJ1で活躍して、一刻も早く海外で活躍したいっていう思いがあります。

ディレクター:
ジェフに残るという選択肢もある?

小森:
そうですね。どこのチームにしろ、自分はゴールを決めるだけなので、チームを勝たせるためにゴールを取り続けるだけですね

ジェフの生え抜き、エースストライカー、そして大卒という、小森との「共通項」を持つ巻誠一郎はこう語る。

先輩として小森に期待を寄せる 巻誠一郎
先輩として小森に期待を寄せる 巻誠一郎

「大卒ってそんなに言うほど時間がないんですよね。ここから先は彼自身が一番成長できる、最短距離で成長できる道を模索していくと思う。その中にジェフというキーワードが入ってくると、一番いいんでしょうけど」

「ヒーロー」が出した決断と描いた未来

年が明けた2024年1月1日。小森の去就が発表された。

『ジェフ残留』

沖縄キャンプ 残留決断の理由を語った
沖縄キャンプ 残留決断の理由を語った

「去年悔しい思いをして、今年こそは目標をしている『J1昇格』っていうところを達成できるように、少しでも力になれればいいなという思いで決めました」

肌で感じたクラブの伝統と愛情。だからこその残留。

「みんなでJ1へ昇格する」という未来へ向かって、自分の役割は分かっている。

2月28日(日)に行われた、プレシーズンマッチ。第28回ちばぎんカップ、柏レイソル戦。

シーズンの行方を占う重要な一戦、柏レイソルとの伝統の“千葉ダービー”。

小森の背番号は41番から、新たに背負った10番に変わっていた。

背番号10でゴールを決め サポーターとともに「ジェフ三唱」
背番号10でゴールを決め サポーターとともに「ジェフ三唱」

「責任感のある番号なので、その責任も俺が背負うんだという強い思いで着けさせてもらいました」

新チームの船出となったこの試合でも、小森は先制ゴールを決めてみせ、サポーターに歓喜をもたらした。

今年こそ、悲願の昇格へ。

描く未来を実現するために、「ヒーロー」の挑戦は続く。

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3月23日(土)24時35分
3月24日(日)23時15分
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23日(土)は、フィギュアスケートの北京五輪銀メダリスト、鍵山優真選手とその父・正和コーチ。二人三脚でスケートの極地を追い求める親子の物語。今シーズン更なる進化のために迎え入れたもう1人の師、カロリーナ・コストナーコーチと、2年後の冬季五輪開催地イタリアで磨いた表現力を武器に、初の“世界一”を目指す親子に迫る。