能登半島地震で校舎に大きな被害を受けた新潟市西区の中学校では、受験を控えた3年生が、同じ校区にある小学校で授業を受けてきた。地震から2カ月となった3月1日、卒業を前にした3年生は、これまでの感謝の思いを歌に込めた。
能登半島地震で校舎に被害
「母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある」
新潟市西区の新通小学校の体育館に響き渡る『大地讃頌』。歌っていたのは、坂井輪中学校の3年生だ。

能登半島地震により、新潟県内でも特に液状化の被害が深刻な新潟市西区。

坂井輪中学校にも校舎の壁がひび割れるなど甚大な被害が及び、現在も生徒を受け入れられる状況ではない。

新潟市は、被害が大きかった南校舎を解体し、仮設校舎を建設する方針を決めている。
3年生は小学校の教室を借りて授業
地震後、3年生が教室を借りて授業を受けてきたのが、同じ校区内にある新通小学校だ。

地震の8日後には、中学生用のイスと机が運び込まれ、1月11日から小学校での授業が始まった。
小学生へ“感謝の歌”プレゼント
地震から2カ月が経ったこの日の昼休み。新通小学校の体育館には、多くの児童が集まった。

中央に立った坂井輪中の生徒代表・岡村凜さんは、児童を前に感謝の思いを伝えた。
「約1カ月半、私たちを新通小学校に通わせていただき、ありがとうございました。私たちから新通小学校の皆さんに歌のプレゼントがあります。一生懸命練習したので、ぜひ聞いてください」

『大地讃頌』は、本来であれば卒業式で男女混声4部合唱として披露する予定だった。しかし、地震によって状況は大きく変化。
冬休み後の授業再開は遅れ、合唱に注力することは難しく、やむなく2部合唱になったという。

それでも、3年生の歌声は、大きく、太く、聴く者の心の奥底に届くものだった。
合唱後、歌声に呼応するように沸いた児童の拍手には、困難に立ち向かってきた中学生のお兄さん・お姉さんへの憧れが詰まっていた。
苦労続く中…「歌から勇気もらった」
体育館の後ろで合唱を聴いていた坂井輪中学校の石川潤校長にも万感の思いがこみ上げた。
「素晴らしかった。地震発生以来、校舎が使えないという予想もし得なかった状況が続き、色んな苦労があった。学校としてはこれからも苦労は続くと思うが、きょうの歌からは勇気をもらった」

受験生である3年生に対し、坂井輪中学校の教師は、環境が変わって勉強に集中できないことがないよう、最大限寄り添ってきたという。
その思い通り「3年生は落ち着いて授業に臨み、できることをやっていこうという気持ちで学習に取り組んでいた」と石川校長は振り返る。

「3年間に培った力が、地震というピンチにおいて大きく発揮されたのだと思う」とも称えた。
3月5日に新潟テルサを会場に実施される卒業式を前に石川校長は、「おそらく一生の思い出に残る卒業式になると思う。この経験がこれからの人生の糧となるように願っている」と話した。
卒業を前に伝えた“感謝の思い”
地震から2カ月、中学校生活の最後を想像しなかった形で過ごすことになった3年生。それでも、卒業を前に、いま伝えたいのは感謝の思いだ。合唱の最後には、明るく爽やかな言葉が体育館に響いた。

「小学生の皆さんありがとうございました!」
“学び”維持する難しさ…現場は「疲労困憊」
地震発生後、3年生が新通小学校を“間借り”した一方で、1・2年生は、中央区の学習施設や西区の新潟大学・公民館などを使った対面授業と、自宅でのオンライン授業を日替わりでこなす日々が続いているという。
ある関係者は「先生方は疲労困憊」と、現場の状況を思いやった。

能登半島地震は、災害後の学びを維持することの難しさを私たちに示した。生徒や教師のサポート体制については、今後も十分に検討される必要がある。
(NST新潟総合テレビ)