日本から約8500キロ離れた東欧のポーランドは、日本ではあまり知られていないが、世界有数の親日国だ。その背景には、福井とも関連する約100年前の「歴史に埋もれた事実」があった。
現地を取材すると、大正時代に始まった二国間の絆は、令和の今も脈々と受け継がれていることが分かった。

歴史に埋もれた約100年前の「救済事業」

「エイサー! エイサー!」という大きな掛け声と手拍子に合わせて、木製のみこしが上下に動く。その上には外国人女性たちが乗り、笑顔で揺られていた。

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一見すると日本の祭りのようだが、ここは東欧の国、ポーランドだ。首都ワルシャワでは、日本の歴史や文化や伝える祭りが毎年続いている。
すしやたこ焼き、焼きそばなど日本の食べ物ブースがずらりと並び、その前には長い行列ができていた。浴衣や甲冑(かっちゅう)に身を包むポーランド人もいて、会場は活気にあふれていた。

参加したポーランド人は、「とてもポジティブで素晴らしいイベント」「最高! ポーランドでやっているイベントで一番のイベントです」などと話していた。

なぜ8500キロも離れたポーランドが、これほどまでに日本に親近感を抱くのか? 二国が絆を深めた背景には、歴史に埋もれた約100年前の「救済事業」があった。

ジャーナリスト・松本照男さんは60年近く、ポーランドで取材を続けている。福井テレビは9月下旬、現地を訪ね、日本とポーランドを結ぶ歴史を聞いた。

松本照男さん:
一般的にポーランド人は、日本に対して好意的な人が多い。その理由の一つが、シベリアから助け出されたポーランド孤児なんです

敦賀に避難していたポーランド孤児

ポーランド孤児とは今から約100年前、極寒の地シベリアで命の危険にさらされていたポーランド人の子供たちを指す。

侵略を受け“消滅状態”だった当時のポーランド
侵略を受け“消滅状態”だった当時のポーランド

当時のポーランドはロシアなどの侵略を受け、国が消滅した状態だった。独立を果たそうと反乱を起こしたポーランド人は政治犯として、「流刑の地」シベリアへと送られた。
そして、冬には氷点下40度を下回る過酷な環境で強制労働が課された。

第一次大戦後の1918(大正7)年、ポーランドが約120年ぶりに独立を回復したときは、20万人近くのポーランド人がシベリアで生活していたとされる。中には、迫害などで親を失った子供がいた。衣服や食料はなく、瀕死(ひんし)の状態だった。

ポーランド孤児を帰国させるため取り組んだ日本
ポーランド孤児を帰国させるため取り組んだ日本

過酷な環境で苦しむ子供たちを祖国へと帰国させるため、独立翌年の1919年、ポーランドで「孤児救済委員会」が立ち上がった。委員会は世界各国に協力を要請したが、その中で最も熱心に救済に取り組んだのが日本だった。

孤児たちは大陸を横断し、ウラジオストクに到着。当時、アジア大陸への出入り口だった国際港、福井県の敦賀に避難し、一命をとりとめた。

元ポーランド孤児を取材した貴重なインタビュー映像が残されている。「バンザイ、ポーランド。バンザイ、コドモノポーランド」と日本語で話すのは、元孤児のヘンリク・サドフスキさんだ。

元ポーランド孤児、ヘンリク・サドフスキさん:
港は人であふれていました。船から降りると子供たちにポーランドの旗を、次の子供には日本の旗を渡してくれました

約100年前の敦賀の人たちが、町をあげて外国から来た孤児を歓迎した様子が浮かび上がる。孤児たちはその後、東京や大阪に移動し、しばらく日本で過ごした後に祖国ポーランドへと送り届けられた。

松本照男さん:
子供たちが成長し、結婚して子供ができたらその話をする。「私は日本に助けられた。だから今お前たちがいるんだよ」と、子供たちに話したかもしれない。あるいは職場でもそういう話をしたかもしれない。それがずっとポーランド社会の中に浸透していったのではないか

安倍昭恵さん「日本とポーランドの友好のために」

両国の絆を深めた孤児救済事業が終了してから100年。9月24日、ポーランドでこの歴史的事実を後世に残すための式典が開かれた。

参加した団体の一つに、東京で児童養護施設などを運営する「福田会」があった。福田会は当時、宿舎を提供し子供たちを救った。孤児たちが記念写真を撮った場所は今でも残っていて、今では救済事業のシンボルになっている。
両国の絆の証しになるよう、福田会はポーランドの博物館に記念写真のレリーフを寄贈した。

福田会 太田孝昭理事長:
語り継がないといけないというのが、今の私たちの役割。この歴史は日本とポーランドの絆を深めると思う。それを期待して役割を果たしたい

そして参列者の中には、2022年に命を落とした安倍晋三元首相の妻・昭恵さんの姿もあった。

安倍昭恵さん:
本当は主人も来るはずだったが、残念ながら来られなくなってしまった。これからは私自身が、日本とポーランドの友好のために尽力をしていきたいと思っています

10月20日、敦賀市の博物館「人道の港敦賀ムゼウム」には、ポーランドのミレフスキ特命全権大使も訪れた。そしてポーランドを象徴する果物、リンゴの木を植樹した。両国の新しい絆になるよう、日本とポーランドの国旗と同じ赤と白の花を咲かせる樹木が選ばれた。

敦賀高校1年生 上山泰生さん:
ポーランドとの関係がもっと良くなればいいと思って参加した。この博物館でのガイド活動を通して、伝えていきたいと思います

ポーランドが親日国となった孤児救済事業。100年の時が経過したが、両国では今もその歴史の継承が続けられている。

(福井テレビ)

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