「党首討論の歴史的使命は終わってしまった」と発言した安倍首相
「党首討論の歴史的使命は終わってしまった」と発言した安倍首相
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6月27日に行われたこの国会2度目の党首討論で、安倍首相の口から出た「党首討論の歴史的使命は終わってしまった」との発言。
現職首相の口からでたこのセリフに、永田町では賛否が渦巻いているが、今あらためて、党首討論のあるべき姿について冷静に考えてみたい。

もしも安倍首相と金正恩委員長が党首討論したら…

 
 

金正恩委員長:
「日本はなぜ(拉致問題を)直接言って来ないのか」(2018年4月28日)

安倍首相:
「拉致問題というのは日朝の問題でありますから、日本が主体的に責任をもって解決をめざしていかなければなりません」(2018年6月14日)


先日の“歴史的使命は終わってしまった”党首討論を見ながら、私は、安倍首相と金正恩委員長が党首討論の場でガチンコ対決をするという、“非現実的な光景”を思い浮かべていた。

安倍首相がこの内閣で解決すると断言する日本人拉致問題。南北会談に続く米朝首脳会談を経て、いま、拉致問題解決の命運は安倍首相が握っていると言っていい。

水面下で続く日朝双方の駆け引き。安倍首相の党首討論の相手がもしも金正恩氏だったなら、ありとあらゆる手段を尽くして、金正恩氏の本心を引き出していたであろう。

国会では短いとされる45分間という時間も、断絶の続く日本と北朝鮮の首脳が向き合う上では、足りないと思う人は少ないだろう。

そんな手に汗握る党首討論を見たかったのだが、今回は、予定調和、新味なし、冗長、緊張感のなさ…悪く言えばきりがない討論となってしまった。

しかし、6年前のあの時は違っていた。2012年11月14日の党首討論。政権は民主党が握っていた。

6年前にあった!ガチンコの党首討論

2012年11月14日の党首討論
2012年11月14日の党首討論

野田首相:
「政治改革の協議は与野党で相当やってきました。あとは、我々与党と、野党第一党が決断して…」
「後ろにもう区切りをつけて結論を出そう。16日に解散します。やりましょう、だから」


安倍総裁:
「今、総理、16日に選挙をする、それ約束ですね?約束ですね?よろしいんですね?」

野田首相:
「技術論ばかりで覚悟のない自民党に政権は戻さない」


党首討論での解散表明という歴史的出来事の発端は、この年の夏に野田首相が消費税の引き上げを含む税と社会保障の一体改革法案を成立させるため、野党自民党の谷垣総裁、公明党の山口代表に協力を求めた際、「近いうちに国民に信を問う」と発言したことだった。

しかし、なかなか野田首相が衆院解散を実行せず、野党が早期解散の要求を強める中で行われた2012年11月14日の党首討論。

あの日、私は現場で党首討論を見ていて、これは予定調和ではないと瞬時にわかった。安倍総裁が、明らかに不意打ちを食らっていたのだ。その場にいた国会議員もそうだ。「え?いま野田さん解散するって言った?言ったよね?」と。記者も同じだ。野田発言に動揺し、そして我に返り、解散が確実だと確信した。

2日後に衆院が解散され総選挙惨敗により民主党は下野するが、野田首相の言葉は、退路を断った男が見せた捨て身の戦術だったと言える。

形骸化が進む党首討論 枝野氏“演説”のナゾ

 
 

あれから6年―。野党の分裂に拍車がかかり、党首討論の形骸化が叫ばれている。

立憲民主党の枝野代表の“演説”と揶揄された長時間の質問は、ある種の奇策だったのだと思う。野党が細分化し、質問時間が短くなる中で、いまの制度のもとでは建設的な議論はできない。そういったことを訴えたかったのかもしれない。

それでも、党首討論は国民に開かれた大事な議論の場だ。冗長な質問の中に一つたりとも新事実はなく、追及すべき論点が整理されず、時間を使い切ったことだけが印象づけられたことは、私個人としては残念でしかなかった。

枝野氏は、安倍首相が挑発的な質問、エッジの効いた質問を投げかけられれば、ある程度エキサイトして“アドリブ”を繰り出してくることも想定できたはずだ。少なくとも、「追及する」ことと、「言い放つ」ことは明確に区分けるべきではなかったか。

安倍首相側としても、「歴史的使命が終わった」と述べたのは、枝野氏が前回の党首討論での安倍首相の長時間の答弁について同じ発言をしたことへの意趣返しだったが、この言葉が独り歩きし批判を浴びたことは、予想できただけに不用意だったと言わざるを得ないだろう。

2012年の野田vs安倍の党首討論では、野田総理は自民党総裁の安倍氏に対し、衆院解散と引き換えに衆議院の定数削減案に同意するよう強く求めていた。私はこの時、党首同士の討論で一定の合意を見出そうとする野田氏の姿勢に感銘を受けた。しかし、それ以降の党首討論で、こうした場面を見かけたことはほとんどない。

それでも、党首討論の使命は終わっていない。というよりも、国家の基本的な政策について、山積する課題について、徹底的に議論されていないという意味では、始まってすらいないかもしれない。

いつもの国会改革議論にならないために

 
 

党首討論を月一回、あるいは毎週行うべきだという意見が従来からあるが、定例化した場合にも形骸化の懸念は常につきまとうため、この議論はずっと平行線をたどってきた。

また、野党内には党首討論よりも、予算委員会の場で首相を追及するほうがベターだという空気感もある。

今秋の自民党総裁選の争点の一つに、国会改革が浮上するという観測もあるが、この手の話は、絵に描いた餅になりやすい。耳触りがいいが、いざ手を付けようとすると、与野党の合意を得ることがなかなか難しいからだ。

なぜかというと、党首討論の活性化については与野党に異論がなくても、それに伴い、首相が国会審議に縛り付けになっているとも言われる現行の国会ルールの緩和とセットとなれば、野党の反発が必至だからだ。

また、国会改革の議論が「不毛な国会対策上の駆け引き」とリンクして議論される限り、与野党が党利党略を捨てて真に必要な国会改革に取り組むことは不可能だ。

党首「非」討論のススメ

 
 

この際、現行の党首討論は、当面「お休み」してみたらどうか。何のために党首討論を行うかという根本的な問いを抜きにして制度だけを変えても、また同じ道を歩むだろう。

国民が見たいと思うような真に必要な党首討論には、まず「いつ行うのか」というタイミングが重要ではないか。討論を「お休み」している間に、党首同士が、「さあ、そろそろ○○さん、話しましょうよ!」、という機運が生まれるのが理想だと思う。

そして、これまで国会の委員会室の中で行ってきた党首討論を、地方で行ってもいいのではないか。マンネリの打破にもなる。

テーマを決めての開催もあり。だ。党首同士で話し合わなければ前に進まないようなテーマ、国民が今一番聞きたいテーマ、そうしたものが何なのかを政局抜きに第三者の意見なども取り入れながら、スマートに決めてしまえばいい。

そのためにも、日ごろの委員会の審議の充実をまず図ることが最優先だ。現場で取材していると、どうもいまの国会議員の中に、「本当は党首討論なんて意味ないからやらなくていいんだよね」という空気が充満していると感じる。時間とカネの無駄にならないよう、前向きな方針転換を望みたい。

国会の議論が停滞すると、若手から国会改革をすべきとの議論が巻き起こる。これも歴史が繰り返してきたことだ。惰性と改革マインドの絶え間ないループの先に続く国会の機能不全を断ち切れるのはいったい誰なのか。

自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長や浜田靖一元国対委員長、維新の馬場伸幸幹事長らは国会改革のための超党派の議連を立ち上げた。
国会対応を熟知したメンバーが揃っているだけに、これまでとは一味違う実のある議論の末に、結果を出すことを期待したい。


(政治部・官邸キャップ 鹿嶋豪心)
 

鹿嶋豪心
鹿嶋豪心

フジテレビ 報道局 政治部 官邸担当キャップ