長野県飯田市在住のニコライ・キリロフさん。ロシアによる侵攻で信州に避難してきたウクライナ人のために通訳をしてきた。ウクライナで育ち、ロシア国籍、2つのルーツを持つニコライさんは「罪悪感」を抱え、苦悩の日々を送っている。一日も早い平和を願い、「いずれは家族と故郷に戻りたい」と話している。
この記事の画像(16枚)苦悩抱えながら避難民支える通訳に
飯田市に本部を置く空手団体「空手道禅道会」は現地の支部を通じて、ウクライナ避難民を受け入れている。通訳としてサポートしてきたのが飯田市在住のニコライ・キリロフさん(50)。ウクライナで育ち、その後、ロシア国籍を取得した。
「きょうだい」のようだと思っていた2つの国。その仲が引き裂かれ、苦悩の日々が続いている。
ニコライ・キリロフさん(50):
普段仕事をしている時とか、娘と遊ぶ時に、自分自身は一体何だろうと思う時がある。自分が住んでた2つの国の人たちが戦っている。悲しいし、無念。みんなが(終戦を)願っているのに戦場に行って相手を殺さなきゃいけない。もう、どう言えばいいかわからない、言葉がない、戦争を表すには
2つの国にルーツ 大卒後ロシア国籍
ソ連時代のモスクワで生まれたニコライさん。父親はウクライナ出身、母親はベラルーシ出身でロシア育ち。
ソ連時代、そういう家庭はよくあったという。
ニコライさんが3歳の時、一家はウクライナ東部・ドニプロへ移る。母親がロケット工場で働くためだった。
その後、ニコライさんは、モスクワ大学へ進学。1991年のソ連崩壊で、国籍を選ぶことになったが、ロシアの大学卒業者がウクライナ国籍を取得するのは手続きが難しかったため、ロシア国籍を取得した。
その後、モスクワのIT企業で働いていたが、日本のアニメが好きになり、独学で日本語を勉強。2008年に来日し、泰阜村出身の女性と結婚したことから、2019年に飯田市に移住した。
ドニプロから母とめいを呼び寄せる
落ち着いた暮らしが続いていたが、2022年2月、一変する。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まったのだ。
ニコライ・キリロフさん(50):
始まったら、誰もどうしようもない、絶望感が最初の思い
故郷・ドニプロには母親と妹家族が住んでいた。ニコライさんの説得で2022年5月、母・オリガさんとめいのダリアさんは、飯田市の市営住宅に避難した。
ニコライさんの母 オリガ・キリロワさん(76):
ウクライナとロシアは長い間協力し、交流していて強いつながりがあったから、戦争はなかなか信じがたい出来事だった。すぐ終わって元の生活にみんな戻れるだろうと信じたけど長引いてて、今はどう戦争を受け止めればいいかわからない
いや応なく、戦禍に巻き込まれていく市民。オリガさんにはモスクワに住む妹がいる。電話すると、妹はウクライナ侵攻を「ロシア系の住民を救うためだ」と正当化した。それ以来、オリガさんは連絡を取っていない。
戦闘が長引く中、ダリアさんの兄・つまりニコライさんのおいは、ロシアが占拠するザポリージャ原発の近くで大砲を扱う部隊に入り戦っている。息子の身を案じ、母親(ニコライさんの妹)は、ドニプロに残っている。
めいのダリア・ジュラベルさん(16):
母とは毎日連絡をとっていて、兄とは彼から連絡があるときは電話で話します。早く会いたいです
母のオリガ・キリロワさん(76):
とても2人が心配。毎日起きてすぐニュース見て向こうの状況を確認しています。原発近くの前線で戦っている孫が特に心配
ロシア国籍 しばらく打ち明けられず
2つの国にルーツを持つニコライさん。双方の兵士が大勢、戦死している状況に胸を痛めている。
ニコライ・キリロフさん(50):
ウクライナの方はウクライナを守っている。ロシアの方はもっとひどい。何のために人を殺さなければとか、何のために自分が殺されなければとか、わからない人が圧倒的に多い
自身の「国籍」に悩まされることもあった。
ニコライ・キリロフさん(50):
精神的な重みを感じていて、同じロシア人がひどいことを続けていて、させられていてショックだし、子どもの頃、育ったからウクライナの人にも申し訳ないと思う時がある
「禅道会」の手引きでウクライナから避難してきた家族。ニコライさんも禅道会の会員で、通訳を買って出た。
当初は迷いがあったという。
ニコライ・キリロフさん(50):
やっとロシアの脅威から逃げて、出迎えに来たのがロシア人ならどう思うか。どういう反応をするか、空港に出た時点まではずっと不安だった
しばらくロシア国籍だと言えずにいたが、打ち明けたところ皆、ニコライさんの気持ちを理解し、受け入れてくれたという。
ニコライ・キリロフさん(50):
(小沢)先生がこの人は大丈夫ですよ、という雰囲気を出してくれたので、そこで一安心した
こもりがちな2人を連れ出す
ウクライナの郷土料理「ピロシキ」などを売るキッチンカー。7月からオリガさんとダリアさんもボランティアとして手伝っている。
キッチンカーは町内の企業がウクライナ支援のために始めたもので、避難家族の母親たちも手伝っていた。
避難家族が帰った後も続けられ、これまでに1万5000個以上を売り上げ、収益の一部が支援に充てられている。
オリガ・キリロワさん(76):
新しい体験だからとても楽しいし、自分ができることがあれば自分の国を助けたい。(ウクライナ)支援の活動だからうれしい
オリガさんたちが部屋にこもりがちになっているのを見かねて、ニコライさんたちが連れ出したという。
ニコライ・キリロフさん(50):
2人がここへ出て新しい体験をして、新鮮な空気を吸いながら人とやり取りできるのは、とてもうれしい。もっともっと2人に参加してほしいと思う
平和を願い…学習会にも参加
3人は5日、高森町で開かれた平和学習会に参加した。引き続き、ウクライナに関心をもってもらおうと考えてのことで、オリガさんたちは侵攻後の様子などを、ニコライさんは「身の上」を明かした上で心境を語った。
ニコライ・キリロフさん(50):
自分のせいじゃないのに自分の国(ロシア)が、こんなことをやらかしてるから罪悪感がある。この殺し合いはいつまでも続くわけではないから、いつか2つの国が話し合って戦争を終わらせる。戦争が必ず終わると思う
遠く離れた信州で平和を願う家族。ニコライさんは、いずれ3人でドニプロに戻りたいと話している。
ニコライ・キリロフさん(50):
今すぐ終わるのは無理だとわかっていながら、きょうにでも、今すぐにでも終わってほしいです。自分が子どもの頃、過ごした街、安全な街にいつか行って見てみたい
(長野放送)