G7サミットの首脳らに被爆証言をした被爆者の小倉桂子さん(85)は、21日、原爆資料館でウクライナのゼレンスキー大統領にも被爆の実相を伝えた。大統領は終始厳しい表情だったという。小倉さんに詳しい話を伺った。

資料館のパノラマで被爆時の広島の状況を説明

小倉桂子さん(85):
本当に急きょなんですね。私も直前まで本当にお話ができるのかどうかは、分かりませんでした

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小倉さん:
自分がどういう形でお話するか、順番を考えたんですね。G7と招待国の首脳には、まず私の被爆証言をして、そして佐々木禎子さんが、2歳で被爆して10年後に白血病を発症して亡くなった話をして、核兵器と通常兵器のどこが違い、何が大切かの順で話しましたけれども、ゼレンスキー大統領は、まさしく戦争をしている最中の国の方ですから、私は自分の体験を後にしました

小倉さん:
資料館の中にはパノラマがありますね。その中に私の自宅もありまして、ここで被爆しましたということをお伝えしたかった

原爆資料館のパノラマ
原爆資料館のパノラマ

小倉さん:
焼け野原の写真を目の当たりにしながら、そこで話をさせていただいて、それまでのほかの首脳の時は、音は入ってなかったんですけども、この時は音も入ってですね、まさしく光、ごう音、そして、爆風の広がり…そういうのを全部感じて、そして見ていただいた

小倉さん:
そして「ここの七つの川が死体でいっぱいになり…」というふうに、私の体験を最後に話させていただいたときに、本当に厳しい顔をされていました

小倉桂子さん
小倉桂子さん

小倉さん:
その前にちょっとだけ時間があるときに、ウクライナ人の通訳の方と話して、大統領が本当に国民の皆様に愛されていることがわかったので、大統領に「皆さんが、大統領は勇敢だ」って言ってらっしゃいましたよって申し上げたんですね。そんなことをと思われるかもしれませんけど、伝えたかったんですね

記者会見
記者会見

小倉さん:
本当に、悲しそうにしていらっしゃるなというふうにお見受けして…。今はきっとウクライナの経験とウクライナの人たちを思い起こしていらっしゃるんだなと思いました。
私は自分が泣くのを我慢するのが大変でした。そして、ここに来ていただくのを実現していただいた外務省の方も、本当に泣くの我慢してらっしゃるぐらい感動的でした

加藤雅也アナウンサー:
ゼレンスキー大統領とお会いする前に、国際メディアセンターでウクライナの記者にもお話をされたんですよね

小倉さん:
私はメディアセンターで、まずはこういうチャンスですから、世界のメディアの中でウクライナのメディアの方に彼らのカメラを通して、エールを送りたいと思いました。「皆さん、私は大統領にお会いします。皆さん頑張ってください。私は広島の被爆者です。同じ思いで生きてきました」と

小倉さん:
また、「建物は壊れても、直される。また新しい今の広島のような街を作ることができます。でも人の命は重い。皆さんは、特に子どもは巻き込んではいけないから、一番にお子さんを避難させてください」というふうに申しました

ゼレンスキー大統領は会見では、原爆資料館に展示されている被爆直後の広島の写真と爆撃で破壊されたウクライナの街が似ていると指摘したうえで、「復興を遂げた広島のように、ウクライナの街の再建を夢見ている」と述べている。

ヒロシマに来たら「皆さんの心の声をきいてほしい」

加藤アナウンサー:
改めてこのサミットを通して、どのようなことを期待したいでしょうか?
小倉さん:
ここは広島。広島の持つパワー。皆さんが広島の名前を借りて云々とおっしゃいますけれども、やっぱり広島を信じてます

小倉さん:
だって、世界のトップにいらっしゃる人たちが、立っていらっしゃる地面の下には、多くの人の亡骸(なきがら)がそのままあるわけですから。地下から、地の底から皆さんを、声なき声で応援してほしいと思いましたね。だからやっぱり広島は、そういうことをするにふさわしい土地だと思いました

小倉さん:
そして私は皆さんに、いろんなお願いをしたわけじゃありません。例えばある人は、「謝ってもらえ」とか、それから「これをやるべきだ」とか、そんなんじゃないんです

お願いしたのは「ここに来たら、皆さんの心の声をきいてください。そして皆さんが次に何をなさるかは、皆さんの正義感とか、皆さんの倫理感とか、そこを出発点にしていただきたい」と。私の思いはそうだというのをお伝えしました。お答えよりも考えていただく、それが一番大切でした

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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