安倍首相が9月入学について「有力な選択肢」と述べてから1週間。賛否両論が渦巻く中、19日には関係府省の次官級会議が開かれるなど、6月上旬の方針決定に向けた協議が急ピッチで行われている。

実は9月入学が世論を二分する大きなテーマとなったのは、今回が初めてではない。

1984年に中曽根康弘首相(当時)のもと、教育改革に取り組むために設置された「臨時教育審議会(以下、臨教審)」。その中で「9月入学(※)」を議論したのが、「入学時期委員会」だった。FNNは委員会の議事録を独自入手し、議事録から当時どのような議論が行われたのかを検証する。

(※)当時は「秋期入学」と呼ばれていたが、この記事では固有名詞以外は「9月入学」と表記します。

中曽根康弘元首相

あなたは桜派?コスモス派?

「入学時期委員会」の委員長には、当時、日本興業銀行(現みずほ銀行)特別顧問だった中山素平氏が就いた。中山氏と言えば、日本の高度成長時代をリードした財界人である。また、委員として中内功ダイエー会長(当時)も加わるなど錚々たる顔ぶれが揃い、9月入学の実現に向けての議論を半年にわたって行った。

委員会のキックオフは1986年10月29日。議論では9月入学導入の理由を「国際化」とすることに異論はなかったものの、委員たちが気にしていたのは世論の動向だった。

議事録には、ある委員が「国民から幅広く意見を聴く必要がある」と世論への配慮をにじませると、別の委員が「もはや企業は学歴社会、終身雇用、年功序列では生きられない。保護者にも新しい社会に変わるのだという認識を持ってもらいたい」と、たとえ保護者から反対論が沸き上がっても実現するという強い想いを語ったことが記されている。

「入学時期委員会」の議事録

それから1ヶ月を置かず行われた第2回の委員会では、当時マスコミで取り上げられていた「あなたは桜派?コスモス派?」がテーマとして浮かび上がった。つまり、「桜の季節に入学式が日本人の伝統」といった反対論をどう抑えるかである。

ある委員は、「学年の始まりは木の芽が吹き出る春のほうが、子どもの成長のリズムと一致する」と桜派を擁護する姿勢を示した。

しかしこの意見に対しては、多くの委員から「それはヨーロッパも同じだ」「4月に沖縄や北海道は桜が咲かない」「情緒論で片付けられない」といった反対意見が出され、この後こうした議論は減っていくことになった。

大蔵は財政重視・文部も消極的

11月28日に行われた第3回には、大蔵(現財務)、自治(現総務)、文部(現文部科学)省から担当者が出席した。

大蔵省主計官は、「新規の財政負担が全く生じないような方式が最も望ましい」と財政重視の立場から意見を述べ、とりつく島がない。これは地方自治体を司る自治省の審議官も同じで、「地方財政の現状から、経費増の制度改正は行うべきでない」との地方財政重視の立場を明確にした。

さらに、所管である文部省も「どうしても9月にしなければというメリットを見出すことができない。基本は4月で、大学と一部高校は9月にも入学できるのが解決方法ではないか」と早々に妥協案を提示し、全国一律の9月入学導入には消極的な姿勢を示した。

文部省(当時)は「メリットを見出すことができない」と消極的な姿勢だった(赤線は筆者)

こうした各省の態度にしびれを切らしたある委員は、「日本の行政はあまりにタコつぼ的になりすぎている」と、省庁縦割りの弊害を指摘したことが議事録に示されている。

そして、年の瀬が迫る第4回には、海外事例の調査や移行のシミュレーションを行っていた「秋期入学研究会」の調査研究結果の説明があった。

秋季入学研究会によってまとめられた200ページ近くにわたる報告書

しかし、説明を受けたある委員は「積極的理由に乏しいので反対だ」と言い出し、その理由を①日本の風土、②国民世論、③留学準備期間、④財政負担増、⑤会計年度のズレ、⑥夏休み中に担任がいないと非行が増える、などと列挙した。

これには他の委員が猛反発し、「臨教審は改革を目指して出発したはずだ。今の方向では現状への妥協となる」と主張。委員会が一時、緊迫したのが伺える。

「答申とりまとめは難航しそうだ」

年が明け、87年になるといよいよ答申作成に向けた動きが本格的に始まる。臨教審は1月23日に審議経過の概要を公表したが、9月入学について臨教審内部で意見が対立していることが分かると、マスコミ各社の報道に一斉に火が付いた。

ある新聞社は「目玉の9月入学熱い論議」との見出しで、「臨教審内部での意見が対立しており、答申とりまとめは難航しそうだ」と書いた。また、他社の紙面にも「改革メリットどこに」「国際化などの利点も決定的説得力ない」などの見出しが躍った。

この頃になると、委員の中には「世論調査も反対が多いし、『コスモスより桜の花の頃』が庶民の気持ちではないか」「(改革に向けて)世論が盛り上がらない。もう10年ぐらい議論を続けるのが必要ではないか」と弱音を漏らす者も現れた。

こうした中で行われた2月27日の第8回は、「抵抗勢力の本丸」であったPTAの全国団体のトップらが委員会に出席し、ヒヤリングが行われた。

日本PTA全国協議会は、9月入学にはっきりと「反対」を表明。その理由として、①9月入学になると教員採用で民間企業に負ける、②親は4月が転勤時期であり、子どもが学年途中で転校することになる、③教育指導上で混乱が生じる、などを挙げた。

また、全国高校PTA連合会も「反対」の意向を示し、自治体別にアンケート調査をした結果、「45県(※原文ママ)のうち33県が反対、12県が賛成(うち9県は条件付き)」だったと述べた。

(画像はイメージ)

「学校経営に問題」と抵抗した私立大学

第11回、答申のとりまとめに向けて行われた最後のヒヤリングには、私立学校の関係者が出席した。議事録を読むと、私立学校があらゆる理由で抵抗したのが明記されている。

私立大学の代表は、「財政上の問題、入学時期が後ろ倒しになると、半年分の収入が減り経営上大問題となる」として、「この問題が解決できなければ、議論を進めるのは難しい」と述べている。 

また、私立の小中高校の代表者は、「問題点は数多くある。臨教審のいう利点は現状でも対応可能だ」と主張し、「入学時期を今すぐ変更する必要はない」と猛反発した。

さらに幼稚園の連合会は、移行案の1.5年入学について「幼児の発達の立場から、4月入学を維持してほしい」と要望し、短大の代表は「国際化をいうなら教育内容や語学教育を見直すべきだ」と9月入学の主旨そのものを批判した。

他の教育団体にも委員が個別にヒヤリングを行ったが、委員会の資料には29団体のうち「賛成」の意思を明らかにしたのは、1団体もなかったことが記されている。

全学年2年で移行、初年度6月入学

各所から批判と反発の声を受けながらも、委員会は答申のたたき台となる委員会案「入学時期検討資料」のとりまとめを行う。

しかし、当初案にあった「将来、秋期入学制に移行すべきである」という文言は、委員会の中で「断定は避けるべき」との意見が出され、答申では「移行すべく、関連する諸条件の整備に努めるべきである」となった。

また、移行の方式については、委員会案として①移行は全学年一斉に2年間に分けて行う、②初年度は経過措置として6月入学、次年度から9月入学とする、③移行期間中の待機期間は、官民の協力で教育プログラムを用意する、と決まった。

移行方式は、全学年一斉に2年間に分けて行い、初年度は経過措置として6月入学とする案となった。

これも当初の案では、「という方式が望ましい」とされていたが、反対派にも配慮して「という方式が考えられる」と表現が弱められた。「抵抗勢力に配慮して骨抜きにされた」とも言えるが、こうして臨教審は87年8月、中曽根首相への第4次答申に何とか9月入学を盛り込ませることができたのだった。

委員だった中内功ダイエー会長は、臨教審が終わりに近づいた頃、こんな寄稿をしている。

「『秋期入学』が意義あると判断するのだったら、1兆数千億円を投じても無駄な経費では絶対無い。臨教審は教育界の閉鎖性や学校中心の教育のあり方を見直すために設置されたはずである。その責を果たすためにも『秋期入学』の実現を主張して止まない」

しかし、臨教審の9月入学の答申は、地方自治体などの猛反発で塩漬けとされ、30年以上がたったコロナ禍の今、やっと日の目を見ることになったのである。

こうした議論の土台があるとはいえ、わずか1ヵ月足らずで課題整理を行うという今回の政府の議論。コロナ禍において学校再開のめどが立たない地域もある中で、果たしてどの方向に進展するのか注目したい。

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【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】