東京・多摩地区を拠点とする2つの不良グループによる”決闘”が事件化され、当サイトでもニュースとして紹介した。検挙された少年らは23人にのぼったが、これまでの取材で、両グループがトラブルに至った”詳細”が明らかになってきた。
今回の事件に登場するのは、立川市を拠点とするグループと、調布市を拠点とするグループの2つ。いずれも、例えば「打越スペクター」や「関東連合」、「川崎宮軍団」と言ったグループ名は持っていない。このため、以後、本稿では、立川グループ、調布グループと記載する。
「立川市民よろしく」で激高か
事件のキッカケは、あるSNSの投稿だった。去年11月15日、調布グループのリーダーが、インスタグラムに、「立川近辺をツーリングするから、立川市民よろしく」などと書き込んだのだ。この投稿を見た立川グループのメンバーは、激高したのではないだろうか。

今や、多摩地区の中心と言えば、八王子ではなく、立川とされている。公的機関などの出先・支部も、八王子から立川に移された。駅前は開発され、どこの地方都市と比べても見劣りしない。まさに多摩地区の「首都」の様相だ。
一方、調布市は、決して、多摩地区の「首都」ではないが、23区に隣接する強みがある。ハイソなベッドタウンの印象も持つ。「新宿」との距離で言えば、立川よりも、調布の方が近い。そう、より大都会に”近い”のが調布なのだ。
「来るなら来い」と直電
記者の推測を交えて筆を進めると、”大都会に近い”調布グループが、”大都会から遠い”立川グループを見下して、「ツーリングするから」と書き込んだのではなかろうか。「立川市民よろしく」という文言にも、その意図が垣間見える。


確かに、過去の事件を見ても、多摩地区や隣接する神奈川県の不良グループをめぐる対立抗争の中には、「どちらが田舎か」が背景となったものがあった。相模原市の暴走族のメンバーが、町田市内で暴走行為を繰り返した際、取り調べに対して、「都会を走りたかった」と供述していたのを思い出した。
記者の推測の真偽は別として、立川グループが、自分たちの”縄張り”を荒らされるのを、指をくわえて待っている訳はなかった。経緯は不明だが、立川グループ側から、調布グループ側に電話を入れたという。その内容は「来るなら来い」「ボコボコにしてやる」という趣旨だった。そして、両グループの間で、「決闘」が行われることになったのだ。
過去には「決闘罪」適用も
不良グループ同士の「決闘」は、これまでも、たびたび、事件化されてきた。最も印象に残っているのは、17年前、同じ多摩地区の国立市で、対立する2つの中学校の生徒・卒業生が、河川敷の野球グラウンドに集まり、”殴り合い”をした事件だ。


この時、警視庁は、明治時代に制定された「決闘罪に関する件」という法律を適用し、決闘容疑で5人を逮捕、1人を書類送検した。私が取材に関わった事件で、決闘罪が適用されたのは、後にも先にも、この1件だけだ。
話を本題に戻そう。立川グループVS調布グループの”決闘”は、インスタ投稿から4日後の11月19日深夜に行われることが決まった、果たし合いの場所には、立川でも調布でもなく、武蔵村山市の野山北公園が選ばれた。両グループから代表者6人が出てきて、いわゆる”タイマン”で、かつ”素手”で、雌雄を決することになったという。
待ち構えていたのは”釘バット”
ところが、当日、調布グループを待ち構えていたのは、釘バットや鉄パイプ、スタンガンなど、大量の凶器を手にした立川グループのメンバーだった。「ケンカをしている」との110番通報が4本寄せられ、最寄りの警視庁東大和署から、警察官が現場に急行。

すると、深夜の公園には、車6台、バイク数十台、少年ら30人程度が集結していたという。さらに、”決闘”を見物に来た観衆も、およそ100人にのぼっていたそうだ。まさに大乱闘だったのだろう。結局、凶器で殴られるなどして、調布グループの6人が負傷したという。
事態を重く見た警視庁では、少年犯罪などを専門とする少年事件課が捜査を担当。当時、現場の公園にいた、立川グループの21歳のメンバーの男ら7人を特定し、逮捕した。容疑は、釘バットや鉄パイプなどを準備した「凶器準備集合」と、暴力行為処罰法の「集団的暴行」だった。
検挙者合わせて23人に
また、少年事件課などは、調布グループに対する取り締まりにも乗り出した。今回の”決闘”とは別の事件で、11人を逮捕、4人を書類送検、1人を児童相談所に通告したという。これで、両グループの検挙者は、合わせて23人にのぼった。

対立抗争を鎮静化させるためには、この”両成敗”は有効だったと言えるだろう。もともと、両グループの間にトラブルはなかったという。それが、「立川市民よろしく」の書き込みで、大乱闘にまで発展した訳だ。
調べに対して、”決闘”事件で逮捕された3人は、「知らない」「関係ない」などと容疑を否認しているという。付言すると、少年法の規定に基づき、逮捕されたメンバーのうち、成人の容疑者は実名で発表されたのに対して、少年の容疑者は匿名とされた。現在は20歳でも、犯行当時19歳だった容疑者は匿名だ。