平成10年の甲子園での熱投、そして平成11年からプロとして日米で築いた数々の栄光。
まさに平成という時代を彩った西武・松坂大輔、41歳。
その“平成の怪物”が19日、本拠地・メットライフドームで現役最後のマウンドに上がった。

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「18」と刻まれた背番号をまとい、プロ野球史に数々の伝説を残した大エース松坂大輔の引退試合。スタンドのファン、そして両チームの選手たちが最後のマウンドに立つ姿を見守った。

試合前の引退会見では「今日という日が来てほしかったような、来てほしくなかったような」と語った松坂。
記者からの「ご家族はどんな反応をされましたか?」の質問に「だから会見したくなかったんですよね…」と思わず涙ぐんだ。

“平成の怪物”23年間の栄光と苦悩

今から23年前の1998年、横浜高校のエースとして甲子園春夏連覇をなんとノーランで達成。
人呼んで“平成の怪物”松坂大輔。

3球団競合の末、1998年にドラフト1位で西武に入団すると、ルーキーイヤーのプロ初登板で155キロの豪速球で衝撃のデビュー。

球界屈指のヒットメーカー、イチローとの初対戦では圧巻の3打席連続三振を奪うとあの「名言」が生まれた。

「今日で自信から確信に変わったと思います」

その言葉通り、プロ入りから8年で多くのタイトルと108勝を積み上げメジャーに挑戦。
すると1年目、レッドソックスでいきなりワールドシリーズを制覇する。

しかし、時代の最先端を走ってきた松坂の野球人生は大きく変わる。
右肩の故障に加え、2011年には右肘のトミージョン手術を受ける。

復帰後も本来の豪速球が戻ることはなかった。

「僕みたいになかなかいないかもしれないですね。まあ一番いい思いとどん底も同じくらい経験した選手というのはいないかもしれないですね。選手生活の後半は叩かれることの方が多かったですけど、それでも諦めずに…諦めの悪さを褒めてやりたいですね」

悩まされた「右手のしびれ」

2020年、古巣・西武に14年ぶりの復帰を果たすも、2年間一軍のマウンドに立つことなく引退を決意。悩まされたのは「右手のしびれ」だった。

「ブルペンの投球練習の中で何の前触れもなく右バッターの頭の方にボールが抜けたんですね。それもちょっと抜けたとかそういうレベルではなくて、とんでもない抜け方をして、そのたった一球で、僕自身がちょっとボールを投げることが怖くなってしまった。そんな経験は一度もなかったので…もうこれはもう投げるのは無理だなと思った。辞めなきゃいけないと自分に言い聞かせた感じですね」

それでも、レジェンドはレジェンドだった。
引退試合に向け18日に一軍練習に合流すると、今井達也(23)や髙橋光成(24)など一回り以上年の離れた後輩たちが松坂に質問攻めする光景が…。

引退試合ボールに込めた思い

最後は2年ぶりの一軍マウンド。

「本当は投げたくなかったですね。ユニホーム姿でマウンドに立っている松坂大輔を見たいと言ってくれる方々がいたのでもうどうしようもない姿かもしれないですけど、もう最後の最後は全部さらけ出して見てもらおうと思いました」

日米合わせて377試合。松坂大輔、現役最後の相手は横浜高校の後輩でもある近藤健介。
しびれが残る右腕を振り抜き、今できる渾身のストレート、そしてボールに込めた思い。

「やっぱり最後は逃げないで立ち向かう。どんな状況もすべて受け入れる。自分に不利な情報も跳ね返してやる。試合のマウンドに立つその瞬間には必ずその気持ちを持って立つようにしていました」

最速は118キロ、最後は四球ながらも23年間の思いを込めた最後のピッチングにスタンド、そして両チームのベンチから贈られた万雷の拍手。

そして試合後、再びマウンドに歩み寄り、右ひざをついて白いプレートの上にそっと手を置き、目を閉じて感謝の思いを伝えた。

「今日のこの機会をもってけじめをつけたいと思いながらマウンドには立ちました。今までありがとうございましたと思いを伝えさせてもらいました」

マウンドに涙の別れを告げ、チームメートの手で5度、宙を舞った松坂。

“平成の怪物”伝説に41歳で幕を降ろした。