「南海夫」と書いて「なみお」と読む。
近い年代で「相良」と呼ぶ人はいない。同期や先輩は「なみお」、後輩は親しみを込めて「なみおさん」。
言わずもがな、11年ぶりに早稲田を大学ラグビー日本一に導いた監督の名前だ。
決戦前の空気
その「なみおさん」から最初に聞いた言葉は「攻めるしかない」だった。2日の大学選手権準決勝を終え、最初の練習日となった4日。東京・上井草のグラウンドで会うなり、決勝に向けた思いをこう語ってくれた。
入り口には大きな「緊張」の2文字。以前は寮の中に貼られていた。グラウンド内でFWはセットプレー、BKは展開の練習を静かに繰り返す。テンポはどちらもゆっくり。でも決して緩いわけではない。スロースピードで出来ないことは試合でも出来ないという鉄則は今も昔も同じだ。監督は見守ることが中心であまり言葉を発しない。
「ゆったりと流れる時間の中に緊張の線が一本通っている」そんな雰囲気だ。BKは決勝で何度か使用した、途中で攻めるサイドを変える練習をしていた。これもハーフスピードで。
わずか大学2校にしか与えられない決戦前の練習を、4年生にとっては最後となる貴重なひとときを、監督とコーチと学生が、一体となって味わっていた。
その1週間後、なみおさんの言った通り、攻めた早稲田が栄光を掴んだ。
決勝を見据えた采配
試合全体の流れや技術的な点はともかく、実は上井草のグラウンドで早稲田が勝利するヒントを2つもらっていた。
ひとつはなみおさん。1か月前に行われた対抗戦での明治戦は「普通にやった」というのである。結果は7-36の大敗だ。
「いずれもう一度やるんだから、(対抗戦は)普通にやってみた」
大学選手権で再戦することを見越して、初回の対戦では特別な準備をしなかったという話だ。1年1年が勝負の学生スポーツでなかなか出来ることではない。試合内容がいい薬になればともかく、敗戦を引きずれば大学選手権で早々に姿を消す危険もあるからだ。
「去年は準決勝に来るだけでチームが疲れてしまった」とも言っていたが、監督として初めて臨んだ昨年度の経験を活かし、チームのピークをこの決勝に持ってきたのだろう。あの敗戦を受けなみおさんが学生に語ったのは「明治との差を埋められるかどうかはお前ら次第。埋めなければ勝てない。埋められれば勝てるかもしれない」との言葉だった。奮起した学生が重ねた努力は、新国立競技場でそのまま体現された。
「大学日本一」ではなく「明治」
もうひとつはあるコーチの言葉だ。
「こいつらは純粋に明治に勝ちたいだけなんですよ」
早稲田には大学日本一になった時にのみ歌える「荒ぶる」という部歌があるが、このコーチの言葉を正確に言うと「こいつらに『荒ぶる』は関係なくて、純粋に明治に勝ちたいだけなんですよ」だった。
「決勝で戦うのが明治」ではなく「明治と戦う場が決勝」
「大学日本一よりも明治に勝つこと」という意識だ。
もちろんライバルである明治も同じ気持ちだっただろうが、前回の対戦で大勝した記憶が影響しなかったとは言い切れない。経験豊富な社会人と違い、精神の振れ幅が大きい学生にとっては、頭で思うことと身体の反応に差が生じることは自然だ。
もちろん結果から振り返ることは簡単だが、試合序盤に「らしさ」を全面に出した早稲田と、「らしくない」運びに陥った明治の対照は誰の目にも明らかだった。なみおさん曰く「数十回やって1回出るかどうかの前半」だったそうだが。
試合後のインタビューにもたびたび登場したなみおさんだが、いつも最低限のことしか言わず、見出しになるような言葉を発しない「メディア泣かせ」の一面がある。一昨年から“なみお早稲田”を取材してきたLive news it の(スポーツキャスター)内田嶺衣奈アナウンサーは「報道陣と適度な距離を保っている」とその印象を語っていた。
そのなみおさんの表情が崩れたのは、学生たちの態度を伝えた時だった。おおよそ見知らぬ私に「こんにちは」と学生が皆口を揃えて挨拶し、とても気持ちが良かったことを伝えると「よく言われる」と照れながら、でも嬉しそうに語っていた。
内田アナウンサーもなみおさんへの取材を通して「雨が降る中でも終始まっすぐに、丁寧に対応してくれた」「部員一人一人をよく見ている、温かさを感じさせる」と思ったそうだ。厳しさの中にある優しさは、今も昔も変わっていないのだろう。
ちなみに、監督と同じポジションで決勝でも活躍した次男・昌彦選手は、その走り方が父親そっくりである。次のシーズンもなみおさんのDNAが秩父宮や国立を駆け巡るのを楽しみにしたい。
(フジテレビ政治部デスク・山崎文博)