開催まであと僅かとなった2022年の北京オリンピック。

オリンピックに向けて挑戦し続けるアスリートたちに、「村上信五∞情熱鼓動」の番組ナビゲーター・村上信五さん(関ジャニ∞)が迫っていく。

今回は、北京オリンピックの金メダル候補の一人、スピードスケートの髙木美帆。

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2018年の平昌オリンピックでは、女子チームパシュートで金メダルを獲得。個人でも1500メートルで銀、1000メートルで銅を獲得し、メダルを全色コンプリートした。

日本人女子初の偉業を成し遂げたにも関わらず、彼女は「金・銀・銅って言っても、個人種目で金は獲れなかった」と不満を抱いている。

次の北京オリンピックで狙うのは個人で金メダル、そう誓った。あれから3年経ち「女王」とまで呼ばれるまでに成長を遂げた髙木のストイックな生きざまに肉薄した。

(この記事は2021年3月に放送したものを記事にしたものです)

髙木の“速さ”の秘密は股関節

長野県長野市にあるエムウェーブで練習に励む髙木。取材に訪れたこの日は、滑り込みが中心のメニューを1時間行っていた。

仕上げは男子に交ざってダッシュ。速い選手にペースを合わせてスピード強化のトレーニングだ。

なぜ髙木は速いのか。長野・ソルトレークオリンピック代表の三宮恵理子さんは「股関節の柔らかさ」にあると分析する。

髙木の一歩
股関節が固い選手の一歩

かがんだ姿勢のままの一歩は股関節が硬いと踏み出しが短いが、柔らかい髙木は踏み出しが伸びる。髙木も「股関節の動きは大事にしている」と話し、「自分の身体が使いたいように使えるように仕上げています」と明かす。

理想のフォームの全体像をイメージし、それを具現化するべく細部を詰める。トータルイメージに基づく練習が、髙木の傑出した速さをもたらしていた。

そんな彼女がスケートを始めたのは5歳の時。3人きょうだいの末っ子で、運動能力は子どもの頃から群を抜いていたという。

ヒップホップを躍らせても、サッカーをやらせてもうまくできた。サッカーでは北海道選抜にも選ばれた。そして2013年、中学生でバンクーバーオリンピックの出場を決めた。

初めての挫折はソチの選考会

髙木にこれまでのスケート人生における浮き沈みをグラフにしてもらうと、まずバンクーバーオリンピック前に上がり、その後落ちている。

「あまりオリンピックに夢を持つような小学生時代ではなく、出られる権利があるんだったら出た方がいいとアドバイスをもらって行ったので。自分の中で信じられないような、現実を受け入れられないような気持ちはありました」

その結果、女子1000メートルは35位、1500メートルは23位で終わった。だからこそ、次のソチオリンピックに向けて気を引き締め直したというが、髙木にとっては学生生活も大切なものだった。

高校時代の高木

「(バンクーバーとソチの間は)高校生活を挟んでいて、スケートも全力で取り組んでいたんですけど、学生生活もムダにしたくないという思いもあって、勉強も友達との時間も自分が持てる体力を使って全部を満喫していました」

しかし、ソチの代表選考会で惨敗し、代表を逃すことに。髙木にとっては、生まれて初めての挫折でもあった。

「選考会でのプレッシャーはソチの時が一番大きいと思うんです。バンクーバーに出場して、なんだかんだ日本代表に選ばれて、みんなが“出来て当たり前”という空気があって、自分の中でその空気と仕上がり具合にギャップを感じつつも、でも“どうにかなるんじゃないか”と思っていることがあったから、ソチの選考会の時はプレッシャーに感じていたと思います」

ソチで代表を逃したことで、髙木は「これじゃダメだと思いました。その時の自分が格好良くないじゃないですけど、スケートに次の4年もかけてみたいと思った」と振り返る。

恩師の指導に影響を受け成長

絶望の淵に叩き落された髙木選手を浮上させたのは、恩師だった。

ソチオリンピックで、スピードスケートのメダルが0に終わった日本は、メダル23個を獲得したスケート大国・オランダからヨハン・デビッドコーチを招へい。

ヨハン・デビッドコーチ

プロチームを指導していたヨハンコーチは、それまでの練習に次々と改革を施した。

ヨハンコーチは「基本的なことを変えていかないといけないと思いました。持久力トレーニングだけをやっていてもいけない。距離別のトレーニングに焦点を当てて、高い技術の維持や強いメンタルは速く滑るために重要です」と明かす。

ヨハンコーチに導かれて、輝きを取り戻した髙木は、2017年、4種目の合計ポイントを競う世界オールラウンド選手権で銅メダルを獲得する。

グラフでもソチ後は急上昇しており、「トレーニングの質だけではなく、食事や休息の取り方、睡眠などいろいろ教えてくれた」とヨハンコーチの指導のおかげで変わったと話す。

中でも影響を受けたのは2つあり、「メンタル」と「英語」だという。

「オランダ選手の通常のメンタル、プロの考え方を直にコーチから教えてもらったのは大きいです。当時は英語が全然話せなかったんですけど、シンプルな単語で話していたので、自分なりに落とし込む作業が逆に良かったと思っています。自分なりに解釈して、シンプルな言葉だからこそ、コーチが何を伝えたかったのかと必死に受け取ろうとしたのが大きかったのかもしれないです」

2018年の平昌オリンピックでは、最初の3000メートルこそ5位入賞に終わったが、1500メートルでは金メダルのオランダの選手と0.2秒の差で銀メダル。1000メートルでも銅メダルを獲得した。

最終種目のチームパシュート。2400メートルを3人が連なって走り、対戦相手とのタイムを競う競技で、決勝の相手はオランダ。スケート大国を崩さずして金メダルはなかった。

オランダと接戦を繰り広げ、見事に金メダルを獲得。髙木はすべてのメダルを得るという、日本人女子として初めての快挙を成し遂げた。

「平昌の時は『メダル、メダル』って思っていたんですけど、それは純粋に自分が獲りたいメダルだったんだと感じました。結果としては満足してないんですけど、過程ではソチが終わったときに“平昌まですべてをかけて挑む”という目標は達成できたかなと思います。その結果がメダルだった」

「必死になれることがあって幸せ」

平昌オリンピックでその才能を開花させた髙木は、その後も快進撃が続き、直後の世界オールラウンド選手権でアジア人初の総合優勝を果たす。

2019年にはW杯ソルトレークシティ大会の1500メートルで世界新記録を樹立。いつしか「女王」と称されるようになった。

だが、北京オリンピックまで1年と迫った昨シーズンは、新型コロナウイルスの影響で、国際大会が次々と中止になり、プランの変更を余儀なくされた。

髙木は「海外の選手がいることで、海外の大会の雰囲気があるので、日本で表現できるものではない」と明かす。

だからこそ、世界と戦う上で課題となるのは「自分の気持ち、メンタル」だと言う。「最後までそこに関しては探し続けるんだろうなと思っているんですけど」と、まだまだ鍛錬が必要だという。

海外選手と戦えないもどかしさを2020年の全日本選手権で爆発させた高木は、500、1000、1500、3000、5000メートルと5つの種目、全種目制覇という空前の快挙を成し遂げた。

「伸び伸びとレースが出来たところもあり、自分が試したいことを思いっきり試したりもできた。気づきも多くて、(技術の部分というより)メンタルの面で得たものは多かった」

そんな髙木にとって、北京オリンピックとは何なのだろうか。

「自分にとっては平昌とは全然違う大会になるだろうなと思います。まだ自分の中では見つかっていない状態ですけど、強くなっていく上で課題として挙げるところは、技術やメンタル、ピーキングとあると思うんですけど、そこじゃない超えなきゃいけないことが出てきそうな感覚がある。
まだまとまっていないのですが、もう一つ皮がむけるというか、一皮むけたいと思っています」

そして、最後に「髙木選手にとってのスピードスケート」について聞いた。

「必死になれるもの。ここまで必死になれるものがあるって、恵まれているというか幸せなことだと思ったりします。どっぷりつかっているなと思います」

高木は10月22日から開催される第28回全日本スピードスケート距離別選手権大会に出場する。どんな活躍を見せてくれるのだろうか。