「中国には国の手厚い支援があり、アメリカには大胆に資金を出す投資家が数多くいる。日本にはそのどちらも足りない」
スタートアップ関係者らから繰り返し聞いたこの言葉は、東京都が掲げる「ユニコーン10倍」戦略の難しさを物語る。
“ユニコーン(企業)”とは、企業価値10億ドル以上の未上場企業のことだ。
東京都は、スタートアップに対して、創業初期向けの助成金を最大400万円、民間アクセラレーター(スタートアップ企業をサポート・支援する組織や人材)などと連携する「TOKYO SUTEAM」では一般コースで最大5000万円、グローバル分野で最大2億円、ディープテック(地球温暖化や医療問題などの重大な社会課題を解決する科学的発見や基礎研究に根ざした革新的な技術)分野で最大3億円の支援を行う。
そして、東京発のユニコーン企業、都内の起業数、行政とスタートアップの協働件数を、それぞれ5年間で10倍にする「10×10×10」を掲げる。2025年に改定した戦略では、起業する人を増やすだけでなく、有望企業を大きく育てる「スケールアップ」を新たな柱に据えた。
その実現可能性を医療・バイオ分野で考える場となったのが、9月17日に有楽町のTokyo Innovation Baseで開かれたバイオAIサミット2026だ。
成長段階の資金と顧客が不足
日本からユニコーンがなかなか生まれない背景には、企業が大きく成長する段階で必要となる資金や顧客が十分ではなく、海外展開を支える仕組みも弱いことなど、複数の要因があるとみられる。
特に医療やバイオなど、研究成果を事業につなげる企業は、商品化までに長い時間と多額の資金が必要になる。補助金や実証実験など挑戦の「入口」は増えたが、本格購入につながらなければ、継続的な売り上げは残らない。
サミットで宮坂学副知事は、東京都独自の取り組みとして、行政がスタートアップの最初の顧客になる政策を挙げた。
「行政は日々、ものすごい量の行政サービスを提供している。そこには強烈な需要が生まれる」と指摘。行政の調達が「慣れ親しんだ会社」に偏っていないかを問い、新しい技術や切り口を持つ企業と対話し、新たな商品やサービスを都民に届ける必要性を訴えた。
行政との協働10倍とは、実証件数を増やすだけではない。行政が持つ「強烈な需要」を実際の調達につなげ、スタートアップの成長を支える市場に変えられるかが問われている。
AI競争の鍵は良質なデータ
日本がAIを活用して世界と競うには、良質なデータの蓄積が欠かせない。
AIの利用が一般化する中、競争力を左右するのは、何を学ばせ、どのような課題を解かせるかだ。あらゆる分野で正確なデータを継続的に集める必要がある。
中でも重要なのがバイオ分野だ。人の体や健康に関するデータは簡単には集められず、検査や記録の条件がそろわなければ十分に活用できない。
宮坂副知事は、行政が乳幼児期から成人まで数多くの検診を実施している一方、「データはつながっているのか」「研究者が未来の人のために利用できるようになっているのか」と問題提起した。個人情報を守りながら、行政が持つデータを研究や新事業に生かせる環境をつくれるかも、東京都の役割となるのではないか。
では、良質なデータを強みに、日本発の企業は世界市場で成長できるのか。
日本の検査文化 世界での「勝ち筋」に
サミットの事務局を務めたCraif株式会社は、その可能性を考える一例と思われる。
同社は尿を使ってがんの可能性を調べるとされる検査を展開し、利用を通じて独自のデータを蓄積している。2026年8月には約53億円を調達し、米国サンディエゴに自社拠点を設けた。
Craifの代表取締役CEO、小野瀨隆一氏は「AIは教師データが大事」と述べ、正確で時間の経過に沿ったデータを得るには、理想的には取得を完全に自動化する必要があると指摘した。
また、米国で事業を進める中で「日本だからこその勝ち筋がある」と実感したという。日本の研究基盤や健康診断、幼い頃から検査を受ける文化と世界展開を掛け合わせることに「明確な勝ち筋がある」と語った。
ただ、資金調達そのものが成長のゴールではない。調達した資金を使って商品やサービスを磨き、米国で顧客と継続的な収益を獲得し、世界市場で事業を拡大できるかが重要だ。
都の世界展開支援企業群1.7兆円規模に
宮坂副知事によると、東京都が世界展開を支援するSusHi Tech Globalには114社が参加し、企業価値は合わせて約1.7兆円に上るという。宮坂副知事は、この「114社、1.7兆円の塊」と一緒に世界へ打って出たいと語った。
企業群に厚みが生まれた今、必要なのは初期向けの補助金や短期的な実証だけではない。
行政が効果や安全性を確認した上で顧客となり、国内での導入実績を海外での信用につなげる。さらに、海外の病院や投資家との関係づくりや、安全なデータ活用を支えることも求められる。
「東京発ユニコーン10倍」と「行政との協働10倍」を医療・バイオ分野で具体化するには、企業が生まれる環境を整えるだけでなく、その成長に行政が踏み込む必要が生じる。
一方、行政が個別企業の成長に関われば、公平性や透明性、成果が上がらなかった場合の説明責任が伴う。
しかし、失敗を避けることだけを優先すれば、成長の可能性を持つ企業が世界へ進む機会を逃すことにもなる。必要な歯止めを設けながら一定のリスクを取り、企業の成長を後押しできるか。「東京発ユニコーン10倍」は、東京都自身の挑戦でもあるのだろう。
【執筆:フジテレビ解説委員 小川美那】

