長野県松本市出身の前衛芸術家・草間彌生さんが8月14日、亡くなりました。過去の番組から、草間さんの功績や人柄をたどります。
(肩書、年齢、名称などは掲載当時のまま)
※「In Full Bloom-満開ー ~草間彌生の増殖する宇宙~」(2002年4月29日放送)より
(全3回の記事その2)
前衛芸術家の草間彌生さんは、1958年に単身でニューヨークへ渡り、独自の表現手法で世界的な評価を確立した。1973年の帰国後も精神的な苦悩と戦いながら内省的なコラージュなどの制作を続け、常に時代の最先端を走り続けている。松本市美術館開館に向け、故郷での新たな大型モニュメント制作に挑む草間さんの軌跡を追う。
■NYで頭角を現した前衛芸術
世界の芸術の中心地として知られるニューヨークのチェルシー地区には、100軒もの画廊が軒を連ねている。
一角にある“ロバート・ミラー画廊”では、草間彌生さんの作品『Solitude of the Earth』が特別展示された。
草間さんは、現地でも常に関心を集める数少ない日本人アーティストである。
草間さんは渡米の翌年である1958年に単身でニューヨークへ渡り、所持金のすべてを絵の具とキャンバスに注ぎ込み、極貧の中で創作活動を続けた。
当時は抽象表現主義に続く新しい表現が求められていた時期であり、草間さんは巨大なキャンバスに油彩で無限の網を描く「インフィニティ・ネット」シリーズを展開した。
草間さんは「夢中であった。死にもの狂いで絵を描き続けた。保守的な環境を離れ、自由な制作ができることが嬉しかった」と当時の心境を語った。
■増殖する網目と反戦のハプニング
1959年に“ブラタ・ギャラリー”で開催されたニューヨークでの最初の個展において、白地に白い油彩で描かれたモノクローム作品は批評家から高い評価を獲得した。
1960年の作品『No. Red B』について、専門家は「遠くからは単一な画面に見えるが、近づくと生き生きとしたリズムが感じられる。バイタリティが画面に定着したエネルギッシュな作品だ」と評した。
草間さんの表現は平面から立体へと拡張。布袋に綿を詰めた突起物を日用品に植え付ける「ソフトスカルプチャー」や、空間全体を埋め尽くす「環境芸術」を開拓した。
1967年発表の自作自演監督映画『草間の自己消滅』は、国際映画祭で受賞を果たした。
さらに、1968年にはベトナム戦争への反対を訴え、ウォール街の証券取引所周辺で「人体炸裂」と呼ばれるヌード・ハプニングを決行した。
草間さんは「若い人々が戦場に赴き命を落とすことがもったいない。『Love Forever』というメッセージを込め、新しい時代を築こうと訴えた」と話した。
■帰国後の不調…深まる創作
ニューヨークとヨーロッパのアートシーンを全速力で駆け抜けた草間さんだったが、体調不良に伴い1973年に帰国した。
15年余りに及ぶ滞在に区切りをつけ、東京都新宿区のマンションを拠点に活動を再開した。
しかし、帰国後は世間の無理解や精神的な不調に苛まれた。
過酷な環境の中で、草間さんは内省的なコラージュ作品やセラミック作品の制作に没頭した。
暗い色調と瞑想的な世界観を持つ作品群や、作品の裏面に書き残された詩には、精神的苦痛と戦う生々しい葛藤が刻まれている。
草間さんは「ずっと戦い続けてきた。今も全世界に対して発信し、脱皮を繰り返しながら新しい世界を築いている」と話した。
■故郷・松本に注ぐ新たな息吹
長野県松本市の松本市美術館が2002年4月21日に開館するにあたり、草間さんは野外モニュメントの制作に着手した。
チューリップをモチーフにした巨大彫刻には、ガラス繊維を混入した特殊樹脂が用いられ、職人の手で丁寧な肉付け作業が進められている。
かつて、ニューヨークで時代の先端を走り抜けた情熱は、故郷の地に新たな息吹を注ぎ込んでいる。
草間さんが刻む表現の軌跡は、時代と国境を超えて人々の心を惹きつけて離さない。
