元衆議院議長で13期にわたり、衆議院議員を務めた綿貫民輔さんが今月18日、老衰のため亡くなりました。99歳でした。
関係者によりますと、元衆議院議長で元トナミ運輸社長の綿貫民輔さんは、今月18日に老衰のため都内の自宅近くの医療施設で亡くなったということです。
綿貫さんは、昭和2年に現在の富山県南砺市に生まれました。
富山県議会議員を経て、昭和44年に衆議院議員に初当選。その後、13期40年にわたって務めました。
昭和61年の中曽根内閣で初入閣し、平成3年に自民党の幹事長、平成12年に衆議院議長に就任しました。
綿貫さんの葬儀は近親者のみですでに執り行われ、後日お別れの会が開かれる予定です。
綿貫さんの訃報に、同じく県西部を地盤とする自民党の米原蕃県議は。
*米原蕃県議
「とても寂しい、今までお世話になった、大変ご苦労された政治家なので、心からご冥福をお祈り申し上げたい、お世話になりましたという気持ちでいっぱい。地元にとってはなくてはならない人、非常に気配りのできる人。みんな地域の人たちにとって神様みたいな(存在)。今日までさまざまな政治課題に努力されたことに改めて心から感謝申し上げたい」
自民党県連の宮本光明幹事長は、綿貫さんにかけられた言葉が印象的だったと話します。
*自民党県連 宮本光明幹事長
「『山や小さい村を大事にできない政治家は出世せんぞ』と。『しっかりと肝に銘じて小さい所こそ大事にしていけ、それが政治だ』と。素晴らしいお言葉を頂いたと感謝。改めてご功績に感謝申し上げたい」
県在住の国会議員からも別れを惜しむ声が聞かれました。
*富山3区(県西部)選出 自民党県連会長 橘慶一郎衆院議員
「綿貫氏と最初に出会ったのは1986年、北海道開発庁に務めていて長官室に呼ばれ「橘君、富山から来ているんだな頑張れ」と言っていただいたのが最初。ふるさとが良くなれば日本が良くなる、日本が良くなればふるさとが良くなるというのが信条、雪深い富山県でハンデがあるなかでいい地域にしていかないといけないという思いで、東海北陸道や利賀ダム、北陸新幹線、地域をよくする事業をいくつも取り組まれた」
自民党時代に親交があり、同じ県西部を地盤とする柴田巧参院議員は。
*県議時代に親交 日本維新の会 柴田巧参院議員
「郷土の発展に情熱を傾けられた方、私も県議時代に衆院議長をされていて議長公邸に行かせてもらい政治家としての心得も教えてくださった大先輩だった。残念に思っている」
また、県選出の野上浩太郎参院議員は、「富山県発展のために大きな功績を残され、心より敬意を表し、感謝申し上げます。長年に渡り温かい指導を賜り、ありがたく思っています。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントしてます。
そして新田知事は、次のように述べました。
*新田知事
「『巨星墜つ』というのが(訃報に接し)最初の感想。富山県の発展に対する本当に大きなご貢献をいただいた。深く敬意を表しますとともに心からお悔やみを申し上げたい」
