薬師岳の登山拠点となる太郎平小屋に登山者の安全を願い続ける、86歳の主人がいます。
“日本最後の秘境”と呼ばれる奥黒部。水晶岳や黒部五郎岳など黒部川源流域の山々、そして薬師岳へ続く登山道。その玄関口に建つのが、太郎平小屋です。
小屋の主人、五十嶋博文さん、86歳です。
*五十嶋博文さん
「朝は寒かった。日の出は出てしばらく日が照っていたんだけど」
初夏から秋まで、ワンシーズンで7800人の登山客を受け入れる太郎平小屋。
*五十嶋博文さん
「はい、荷物預かりますよ。がんばったね~、靴脱いで。中で受付しますから」
1日最大135人の登山客が宿泊。ひとりひとりを出迎えます。
*五十嶋博文さん
「荷物、荷物…濡れた?乾燥室、火入ってるよ」
*登山客
「着く直前の数メートル手前くらいでやっと(小屋が)見えて、ブーンという機械の音がしてもうすぐかなぁと思って。泣きそうになりました。(小屋に)来られたーと思って。全然たどり着かなかったので…良かったです、無事に来られて」
小屋は71年にわたり、登山者を支えてきました。
始まりは、五十嶋さんの父親が建てた「太郎小屋」。
その手伝いのため、五十嶋さんが初めて小屋を訪れたのは、高校2年生の夏でした。
*五十嶋博文さん
「上がってきて太郎山から見た薬師岳を見て、私はこれで生涯、山小屋に入ろうと思った瞬間だった。そのときの感情は忘れられない。私の師匠は “剱の文蔵”さんだから。『薬師守っていくんだったら、お客さんにできるだけのことはしてやれ』と。そういう教育を受けてきた」
五十嶋さんが師と仰ぐ「剱の文蔵」こと佐伯文蔵さん。
日本登山史にその名を刻む山岳ガイドで、剱岳の眼下にある「剱澤小屋」を経営。
山岳警備隊がまだ発足していない時代、立山一帯の遭難救助で陣頭指揮を執っていました。
*五十嶋博文さん
「遭難事故が起きた時、面倒をみるのは山小屋の使命。文蔵さん『登山者が第一』の考え方でやっていた」
文蔵さんの教えを胸に、山小屋の仕事に打ち込んだ日々。
その中、北アルプス史上最悪の遭難事故が起きました。
昭和38年1月、「三八豪雪」のさなか。
薬師岳で、愛知大学山岳部の13人が遭難。
捜索隊を率いたのは文蔵さんでした。
五十嶋さんも、ともに捜索にあたりましたが、全員が帰らぬ人となりました。
*五十嶋博文さん
「私とすれば13人の遺骨を親元へ渡せてほっとした。小屋を経営している責任。文蔵さんの教え。太郎の天候、霧雨。視界は50メートルほど。事故の報告は入っておりません。黒部五郎、どうぞ」
遭難事故を教訓に、五十嶋さんは、薬師岳・奥黒部エリアの10の山小屋を結ぶ「無線ネットワーク」を立ち上げました。
経営の異なる小屋同士が、登山者の安全のため、毎日情報を共有するのは、全国でも珍しい仕組みです。
(太郎平小屋には県警山岳警備隊も常駐)
*五十嶋博文さん
「立山・剱エリアよりも岩場はないけれど遭難現場まで遠い。それで(県警山岳警備隊が)常駐するように」
*県山岳警備隊 柳本直樹隊員
「エリアが広いので登山者の情報がわかると、こちらも身構え方というか、何かあった時に対応の仕方が変わってくるので助かっている」
受け継ぎ守ってきた「登山者第一」の心。
そんな五十嶋さんのもとで働くスタッフの中には…。
*太郎平小屋でアルバイト
「ここでバイトしてて、警備隊の方が常住されているので、かっこいいなと思って」
山岳警備隊に憧れ、その道を目指すことを決めたそうです。
*太郎平小屋でアルバイト
「警察官としての仕事から始める、いつなれるかはわからないんですけど…」
さまざまな人生が交わり思いがつながっていく、山小屋です。
*登山客
「人間味が出ているというか、ここのオーナーの」
*太郎平小屋スタッフ 関野正弘さん
「山と山小屋と山小屋の親父が三位一体。薬師岳と太郎平小屋とマスターがいるから、この山は良いなと」
登山客も参加する毎朝のラジオ体操も安全登山のため―
山小屋人生70年。五十嶋さんは、9月、山で87歳の誕生日を迎えます。
*五十嶋博文さん
「山にいる方が健康。この空気を吸ってるだけでもちがう。いろんな人が訪ねてくるとうれしい。自然が好き、山が好きとか、それにプラス、人が好きになれる。山にいると。山というのは、眺めてよし、登ってよし、住んでよし。山に住んでよし、というのが私の人生。山におれたから、これだけ生きてこられた」
