秋篠宮ご夫妻は、パラグアイへの公式訪問を控え、13日に記者会見し、改正皇室典範について「色々思うところはあります」と初めて思いを明かされました。
以下全文
【問1】
記者:
ことしは日本人のパラグアイ移住90周年に当たります。訪問に向けたお気持ちをお聞かせください。皇室の方々は長年にわたって中南米を繰り返し訪れ、秋篠宮家のみなさまは日系人との交流を重ねてこられました。パラグアイの印象や日系人への思いをご紹介ください。
秋篠宮さま:
お答えするのに先立ちまして、先月7月28日に令和8年熊本地震が発生しました。亡くなられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々へお見舞いを申し上げます。被災地の復旧が速やかに進むことを願っております。また、今、大変な猛暑が続いていて、熊本では酷暑日もありました。そのようなこともあって、熱中症にかかる人も多くなっていると聞いています。その面においても大変心配しております。
紀子さま:
私もよろしいでしょうか。熊本地震などにより、亡くなられた方々に哀悼の意を表します。そして、被災された方々にお見舞いを申し上げます。とても暑い中で起きた災害でもあり被災された方々と、支援に当たる方々などのご体調を案じております。お一人、お一人の命が、健康が守られますようにと、心から願っております。
記者:
訪問に向けたお気持ちをお聞かせいただけますか。
秋篠宮さま:
昨年5月だったと思いますけれども、パラグアイのペニャ大統領閣下、そして、令夫人が大阪・関西万博のナショナルデーに臨席されるために、日本を訪問されました。その際に、東京でお目にかかったわけですけれども、その機会に日本人移住、パラグアイへの日本人移住90周年のことも話題になりました。そして、また、パラグアイにもぜひ来てほしい、というお話がありました。
その後、正式にご招待を頂いて、今回の訪問ということになったわけです。
前回、私が訪れましたのは20年前の70周年の時になります。もっとも20年前、ちょうど長男の誕生と記念式典の日が非常に近いということもあって、当初予定していた9月訪問というのを後ろにずらして、それで11月の訪問ということになりましたので、記念式典には出ていませんけれども、その年にあたって訪問したわけです。その時は単身でありましたけれども、今回は2人で行けることを嬉しく思っています。
記者:
パラグアイの印象や日系人の方への思いをお聞かせください。
秋篠宮さま:
やはりパラグアイというと日本から非常に離れている。反対側、地球の反対側になるので、非常に離れて1万8000キロぐらい、あるんでしょうか、という印象があります。一方で外交関係が樹立したのが1919年ですので107年。今年で107年。その間、戦争の時に国交が途切れた時がありましたけれども、107年の関係がある国ということになります。その間には日本からの技術協力とか経済協力などがありましたし、これも長期にわたっておりますけれども。それから今度、パラグアイ。日本も東日本大震災が起きた後、パラグアイからパラグアイ産の大豆を使ったお豆腐や、支援物資、また、義援金などを被災者に提供してくれるということがあり、そのような双方の関係。様々な関係の分野の人であったり、それから、両国の国民の努力もあって、非常に関係の深い国になっているのではないか、と思います。
私自身は先ほどお話ししたように、20年前に訪れておりますし、長女が10年前の80周年の機会に行っております。また、遡ること1978年には、今の上皇上皇后両陛下が訪問され50周年、移住50周年の機会には常陸宮両殿下も行かれています。そして、そのいずれの機会においても、大変温かい歓迎を受けていると聞いております。
また、日本においても首都のアスンシオンにあるパラグアイ学院の生徒さんたちがたびたびに日本を訪れ、その機会に懇談することが幾度もありました。そのようなことから私にとっても、大変身近な国である、というふうに思っています。そして、そういう良好な関係の背景にはやはり日本人移住者それから、日系の人たちの貢献が大変大きいのではないか、と思います。非常に移住当初大変な状況の中で、その困難を乗り越えて、パラグアイ社会の中で、信頼を確立しパラグアイの発展に貢献しそして、パラグアイと日本の友好の架け橋となってきた。日本人移住者、日系の人たちに敬意を表したく思います。
そして、それとともにその日本人移住者や日系人を温かく迎え入れてくれて文化や慣習を尊重してくれたパラグアイ、それから、パラグアイの人々にも感謝の念を持っています。
記者:
まずは、訪問に向けたお気持ちをお聞かせください。
紀子さま:
今回、パラグアイ移住90周年あたり、宮様とともにパラグアイをご一緒に訪問できますこと、大変ありがたく思っております。宮様が先ほどお話をされていましたが1978年でしょうか。当時、皇太子同妃両殿下でいらした上皇上皇后両陛下がパラグアイをご訪問になりました。続いて、常陸宮同妃両殿下、そして、宮様もちょうど20年前に訪れました。20年前いらした時は、ちょうど長男の誕生した後だったものですから、私はご一緒することが叶いませんでしたが、ご帰国されてから温かな歓迎を受けたことをはじめ様々なことを振り返りながらお話しくださいました。そして、いつか訪れることができたらと思いました。
その10年後に娘の眞子が移住80周年にあたってパラグアイの首都アスンシオンで行われた記念式典に出席して、ラ・コルメナ、チャベス、ラパス、ピラポ、そしてイグアスの5つの移住地とエンカルナシオンを訪れました。娘も現地での様子を話してくれ私もさらにパラグアイについていろいろ知ることができました。
これまでパラグアイの方々と日本でお会いする機会が幾度もありました。宮様がお話しされたことと少し重なりますが日本パラグアイ学院の生徒たちが数年に一度私たち家族を訪ねて来てくださり、あと、1年に1回開催されている日系人大会や外務省が招聘するプログラムでパラグアイの方々とお会いして、昨年には、パラグアイの大統領ご夫妻にお目にかかることができ、親しくお話をする時間をいただきました。先日も、昨日になりますでしょうか、宮様が20年前にパラグアイを訪れた時においただきになったパラグアイ日本人連合会のアルバムのページ一緒にめくっていました。
白黒やカラーの写真地図などを見ながら、大変なご苦労をされながら、移住した日本人が今の日系人社会を築かれ、また、日本の文化、伝統文化や、それから教育、日本語なども大切にされてきたことに、思いを巡らしました。
パラグアイを訪れるにあたり、専門家にお会いして、説明を受けたり、関連資料を読んだり、また、パラグアイの芸術に触れたりしながら過ごしています。今回は、初めて宮様とご一緒にパラグアイを訪れることを心待ちにしております。

秋篠宮さま:
今、初期の移住した人が大変な苦労したという、話にありましたけども、私も20年前にですね、日本からの移住者、それから、日系の人たちと話をする機会があったときに、あれは多分最初の移住地であるラ・コルメナだと思うんですけれども、そこで会った人と話をして、最初のいわゆる開拓の時が、私なんかが想像してたよりもはるかに大変だったということを、よくわかりました。
その中で、多分、ラ・コルメナじゃなくて別の地域に、ラパスだったかな、入植した人が話してくれた言葉の中に、「“焼け過ぎ三年、ふやけ三年”っていうふうに言ったんだ」という話をしてくれたんですね。どういうことかというと、今、本当に普通に人が住んでるようなところも、原生林で大樹があるわけですね。それを切り倒して、焼き畑を行うわけですけれども、その時に焼き過ぎてしまうと、土壌が硬くなって耕すことができなくなる。一方で、焼き加減が甘いと、木が再生したりして、害虫がつくようになる。そのいずれであっても、さらにさらに3年ぐらいの月日を要するんだっていうことを教えてくれたんです。そのことが非常に、私、印象に残ってて、今でもよく覚えていることです。
もちろんその原生林を開墾する時にはマラリアであったりとか赤痢であったりもあったでしょうし、また、バイパーですかね、鎖蛇の仲間がいたりとか、非常に危険なことも多かったと思います。そのようなことに、話を聞きながら、思いをいたしたことを今、思い出しました。
記者:
パラグアイの印象や日系人への思いをご紹介いただけますでしょうか。
紀子さま:
パラグアイの印象と思い、日系人への思いでございますね。同じようなことになりますけれども、本当に、パラグアイは日本から地理的に最も遠い場所の一つにあって、そういう中で日本人がパラグアイに移住して、そして、日本人とその移住者、子孫を温かく迎えてくださった国であり、日本と友好の絆で結ばれている国である、そういう印象を受けております。パラグアイの美しい伝統文化にも心ひかれています。
パラグアイの民族楽器であるハープ、アルパは軽やかな、軽やかであり、きらめくような、時には哀愁を帯びたような音色を奏で、パラグアイと日本の奏者が両国で活躍されています。そして、このアルパの音色に魅せられて、日本ではアルパの愛好家が増えていると聞いています。
また、そして、パラグアイの伝統的な刺しゅう、ニャンドゥティ、グアラニー語で「クモの巣」という意味で、そちらは繊細な模様が特徴です。日本でもこのニャンドゥティの手仕事を楽しむ人の輪が広がっていて、また、それがパラグアイのニャンドゥティ職人への応援につながってもいると話を聞いてます。
このようにパラグアイの音楽や手芸、他にも工芸があると思いますが両国の文化の友好、文化の架け橋になってるという印象も持っています。
それから、パラグアイでは漫画やアニメなどの日本のポップカルチャーも人気が高くて、柔道や空手などの武道を道場で習ってる人もいて、折り紙や、生け花、茶道などの伝統文化に関心も高いと聞いています。このように、さまざまな分野で交流が行われていることをとても嬉しく思っています。もう一つの質問は確か日系人。
記者:
日系人の方への思いを、ご紹介ください。
紀子さま:
日系人の方々について、パラグアイへ移住した日本人や、その子孫の方々が苦難の中で原生林を切り開き、広大な土地で開拓してきました。多くの努力を重ね農業、経済や社会の発展に大きな貢献をされてきた日本人移住者、日系人に敬意を表します。そして、日系社会を温かく受け入れたパラグアイ、そして人々にも感謝の気持ちを抱いています。
パラグアイの方々にも感謝の気持ちを持ちつつ、あとはこれも先ほど、宮様がお話しされたことで、私も心に残っていることの一つになりますが、15年前の東日本大震災の後に、日系社会の方たちが被災者への支援ができることはないかと。その思いをもって広くパラグアイの人々にも呼びかけて、パラグアイで作られた大豆を使って、長期保存できるお豆腐を被災地に届けました。そのお豆腐のパッケージには「心はひとつ」というメッセージが書かれていて、パラグアイの温かい想いが込められているようでその思いを、被災した方々が大切に思われた、嬉しかったという話も心に残っています。
パラグアイの日系人社会、そして、それぞれの移住地においてスポーツの大会がいろいろと開催されていると聞いています。また、お祭りや学校行事。例えば、運動会なども、地域の方たちが協力して行っていて、その中にはだんだん名称が変わっているようなんですけれども、婦人部、また、婦人会や、女性のグループがお料理を作ったりする、そういう積極的に活動しているという話も聞いたりしてまして、この地域や世代を超えて、この日系人のつながりが強くあることを感じています。
また、そのコミュニティ、そして、家族の間でのつながりも大切にされていると感じています。
【問2】
記者:
去年、佳子さまがブラジルを訪問され、ことし5月に悠仁さまが初めて宮中晩さん会に出席されました。国際親善を担われる若い皇族方への期待をご紹介ください。一方、国会で成立した改正皇室典範は、若い皇族方の人生に大きく影響を与えることが見込まれます。これまでの議論を含めた受け止めや、ご両親として佳子さまや悠仁さまにどのように歩んでいってほしいとお考えかお聞かせください。
秋篠宮さま:
皇族の場合に、皇室、皇族といった方がいいかもしれませんけれども、海外とのお付き合いとなると外交というわけにいきませんので、今、お話があったような親善というのが形になるんだと思います。その親善の中には、自分たちが海外に行くこともあれば、海外から日本に来た人と会うという、両方あると思いますけれども、いずれの場合においても、私たちがその国の社会や文化、歴史などを知る機会になります。
そして、それとともに、相手の人に日本の文化などを知ってもらう機会にもなると思うんですね。そういう交流が、親善のそういうことによって相互理解であったり、友好親善関係が深まっていることにつながっていくんではないかというふうに思います。
そういうものというのは、国と国とのいい関係というのは、やっぱり継続性というものが大事になると私は考えます。そのことに鑑みますと、やはりその若い世代の人たちが、そういう海外との交流を行うことには意味があると思いますし、また、時間的なこと、時間といいますかね、なんて言ったらいいのかな。やっぱり、それが続いていくということが大事なことだと思いますので。それを実施していくには、やはり今の次の世代の人たちが親善、友好親善に向けて努力してくれるということはいいことだと思います。
数十年後を考えると、数十年、例えば20年後だとすると、私たちはもう 80歳になるわけですね。
そうすれば、もうその時代というのは、次の世代の人たちになります。その意味でも、これから国際親善に向けて親善を進めていってほしいですし、それぞれが持っている得意な分野というのもあるでしょうから、そういうものによる交流をすることにも意味があると思っています。それから次が何でした。
記者:
改正皇室典範の議論の受け止めや、ご両親として佳子さまや悠仁さまにどのように歩んでいてほしいか。
秋篠宮さま:
改正皇室皇室典範、皇室典範等の 一部を改正する法律が成立したことは承知しております。国会において議論がなされた上で成立したものと受け止めています。
この間、報道等でもいろいろその皇室典範についてのことが掲載されていて、私自身も色々と考えるところはありましたし、先般、天皇陛下が話されたことも最もだと、その通りだと私は思っています。
ただ、ここで、そのことについて何かお話しするというのは、制度に関わることでありますので、控えたいと思います。そして、娘や息子たちについては、今まで行ってきたように、一つ一つの仕事を大切にしながら、自分たちの務めを果たしていってほしいと思いますし、これはとても月並みな言い方になるかもしれませんけども、親としては幸せに歩んでいってほしいと願っています。
以上です。
記者:
国際親善を担われる若い皇族方への期待をご紹介ください。
紀子さま:
初めの時に娘たちが海外に行ったという話をされました、それは南米の方でしたか。
記者:
去年佳子さまがブラジルを訪問され、5月には悠仁さまが宮中晩さん会に出席されました。
紀子さま:
はい、佳子が昨年ブラジルを訪問し、悠仁が今年、宮中晩さんに出席しました。このように若い皇族が、国際親善の経験を重ねる中で、自分と、自分たちと近い年代の人たちと交流し、お互いの社会や文化、そうですね、国や地域、社会、文化への理解を深め、長い友情を育んでいくことは、大切なことだと思っています。
その後には、どのようなことでしたでしょうか
記者:
皇室典範の議論を含めたお受け止めですとか、ご両親として佳子さま悠仁さまにどのように歩んでいてほしいかお考えをお聞かせください
紀子さま:
はい。皇室典範の一部が改正されたことは、承知しております。佳子と悠仁が二人それぞれ幸せな歩みを進んでいってほしいと心から願っています。

【問3】
記者:
パラグアイには日系人社会もあり、日本と友好関係が深い国の一つで、10年前には眞子さまが移民80周年の記念式典にご臨席されました。パラグアイについて眞子さまからお聞きになったこと、両殿下が楽しみにされていることはどのようなことでしょうか。また、同じく南米には佳子さまがペルーとブラジルを2023年と2025年に訪問されました。ますます重要になっている女性皇族の役割についてどのようにお考えでしょうか。一方で、また、皇族数確保等の議論では男系男子の重要性が大いに強調されましたが、両殿下は皇室や皇族の最も重要な役割はどのようなことだとお考えでしょうか。
秋篠宮さま:
もう10年前のことになりますので、はっきりした記憶はないんですけれども、長女は7つの都市に行っています。先ほど妻もお話ししましたけれども、アスンシオンと、それからチャベス、ラパス、ピラポ、イグアス、そしてエンカルナシオン、それぞれ行った土地のことについて話を聞いた記憶がありますし、また、行った先々で多くの人から温かく迎えてもらった、そういうことを話していたように記憶しております。それで、このことは何年前になりますか。長女と私がパラグアイから勲章を頂戴したことがあるんですけれども、その贈呈式の後にあの長女が当時の駐日のパラグアイ大使にも、先ほど話した、多くの人に温かく迎えていただいたということを話していた、そういう記憶があります。
あと楽しみにしていることですか。20年前にも1度訪れていますので、この20年間の発展というものを感じることができるのかなと思うとともに、パラグアイの文化の一端に触れることができればいいと、いいなというふうに思っています。また今回も日本人移住者や日系の人たちとお話しする機会があると、お話しすることになっていますけれども、最初の移住が開始されたのがラ・コルメナで90年前ですね。それから一番新しい移住地、今度行くイグアスも1961年ですから65年経っています。日本から移住した人たちも非常に高齢になっています。この機会にですね、移住、日本人移住者の人たちから改めてお話を聞くこと、そしてまた今度は2世3世以降の人たちともお話ができることを楽しみにしています。
もちろん個人的なことを言えば、もし時間があれば、例えば向こうにあるエスタンシアの牧畜の様子だとか、そういうものを実際に見学できればいいわけですけども、今回は時間もありませんので、また何かの機会にそういう機会を持つことができればいいのではないかなというふうに思います。
それから次は何でしたっけ。
記者:
佳子さまも大変ご活躍、南米にも渡りまして、女性皇族の役割が大変重要になっていると。役割についてどういうふうにお考えでしょうか。
秋篠宮さま:
皇族の役割としてはやはり社会の要請を受けて、それが良いものであればその務めを果たしていくということだと私は思います。そういうことを進めていくということについて、私は女性、男性の区別というのはないというふうに考えています。
記者:
この改正の議論で男系男子ということがとても強調されたわけですけれども、両陛下は皇室そして皇族の皆様にとって最も大事なことは何だと考えていますか。
秋篠宮さま:
やっぱり大事なこといろいろあると思うんですけども、1つ挙げるとすれば、人々の暮らしや社会の状況に目を向けて、人々の幸せを願い、またその気持ちに寄り添っていく。そういうことではないかと私は思います。
記者:
今回訪問なさるにあたって、眞子さまから前回行かれた時の話をお聞きになったこと、そして今回行かれるにあたり楽しみにしてらっしゃることは何でしょうか。
紀子さま:
眞子はちょうど10年前に移住80周年にあたり、アスンシオンで開かれた記念式典に出席して、また各地の移住地を訪れました。それぞれの移住地で皆様が温かく迎えてくださったこと、1世の方から娘と同じ年代の方まで、多くの方々に、多くの方々と様々なお話をする時間を頂いたことを大変ありがたく、嬉しいことだったとの話も心に残っています。今回のパラグアイ、訪問することになりますが、滞在するアスンシオン、そして移住地のラ・コルメナとイグアスでの出会い、その方々とお話をしたり、機会があれば多様性に富んだ社会で育まれてきた文化、伝統文化に触れることがあればと思いましたり、アスンシオンでは学校を訪れることも、どのように子どもたちと過ごせるのかしらと思いましたり、ちょうど私たちが訪れる時期はパラグアイの春先にあたり、ラパチョのお花がピンク色、白色と順番に黄色と咲いていくようですけれども、そのお花を見ることができたらなどと思っております。
記者:
女性皇族方の、大変ご活躍ということで、女性の皇族の役割についてどういうふうにお考えでしょうか。
紀子さま:
眞子が10年前の2016年にペルー、そして2年後にブラジルを訪問して、そして佳子がまた2023年、25年にそれぞれ南米のペルーとブラジルを訪れて、現地で交流を、様々な交流を重ねてきました。このように皇族1人1人が大切な務めや役割があると思っております。私自身皇族の務めが果たせるように、これからも心尽くして務めたいと思っております。そして私も宮様がお考えにお話をされていましたように、天皇陛下のお考えのもと、人々の暮らしや社会の状況に目を向けて、人々の幸せを願い、気持ちに寄り続けて、寄り添い続けていくこと、皇族としても大切なことであると思っております。
記者:
皇室典範改正について改めてお伺いいたします。先ほど、制度改正に関わることで控えたいとご発言ございましたが、その一方で天皇陛下がおっしゃったことはもっともであると。天皇陛下がおっしゃったのはその国民の理解が得られるものを、ということでありました。やはり象徴天皇制のもとでの皇室制度をどうするのかということは国民が広く皇室の方々のお気持やおかれている立場というものを共有したうえで議論されて制度設計されていくというのが好ましいと思うんですけれども、今回の議論を見ていますと、そういった皇室の方々のおかれた境遇とかお気持ちとかそういったものが議題としてですね、明確に示されたというのは、ちょっと国民は感じられなかった。そういった意味で重要なのは皇室の方々がそれぞれの人生に関わる制度設計についてどのようなお気持ちであるかとか、どのような境遇に置かれているかとかが、日頃から、国民に広く伝わっていることが重要だと思うんですけれども、殿下は、そういった皇室の方々のご意向の表明とかですね、皇室の方々の置かれている立場についての説明っていうものは、現状のままでよろしいとお考えでしょうか。それとも、何か少し工夫ができないかとか悩んでいらっしゃるようなことがおありなのか改めてお伺いできばと思います。
秋篠宮さま:
2年くらい前でしょうか。私が、娘たちの話しだったか、女性皇族の話しだったかな。それぞれ生身の人間と言う話しをしました。
私も生身の人間なんですよね。ですから、色々と思うところは、もちろんあります。なかったらおかしいと私は思います。
ただ、それをどうやって発信することができるか、それから伝えていくことができるか。さらにそれが皇室と関わって、もし関わっていた場合どうするか。その辺の関係とは非常に難しいと思います。
そういうことから、私としてはなかなか、そのことについてですね、お話しすることができないというのが、現状です。
記者:
もう少し研究の余地があるというか、そういうようにお感じでしょうか。それとも今の状況がギリギリだというふうに。
秋篠宮さま:
これも、お話しすることは難しいことではありますけれども、やっぱり、世の中って進歩していくことが大事ですから、常にどうなったらいいのかということをですね、いろんな人が考えていくことが大事だなと思います。

