元SPEED今井絵理子議員が語る「駆け抜けた平成」 単独直撃に明かした栄光と葛藤の日々、そして令和への課題

カテゴリ:国内

  • 平成のスター元SPEED今井絵理子参院議員が振り返る「平成」
  • タレント議員としての葛藤と「障がい者」「沖縄」への思い
  • 次の参院選出馬は?令和時代の政治家としての課題

1時間単独インタビュー 今井絵理子が振り返る平成

「今井絵理子」。この名前を聞いた時、彼女のどんな姿を想像するだろうか?SPEEDのメンバーとしてヒット曲の数々を歌っている姿か、政治家として演説する姿か、それとも世の中をお騒がせした姿か…。

「SPEED」の解散発表会見(1999年)

平成8年にSPEEDとしてデビューした今井絵理子。煌びやかなステージの上で平成の前半を駆け抜けてきた彼女は、平成が終わろうとしている今、芸能界のステージとは全く異質な“政治”のステージで、若手参議院議員として活動している。
 
今回、平成の締めくくりにあたり、私は今井議員に1時間に及ぶ単独インタビューを行い、彼女が平成の時代をどう生きたのか、そして次の令和の時代をどう生きようとしているのかを聞いた。

インタビューに答える今井絵理子氏

“記憶がない”と語る歌手時代。平成の中で彼女の青春とは 

まず率直に質問した。「今井絵理子が見る平成とはどんな時代なのか」。少し考えたあと出てきた彼女の答えも、率直なものだった。

「振り返ると、私にとって平成は夢がかなった時代という感じですね。5歳のときから歌手を目指して、沖縄のタレント養成所で訓練を受けたのが小学校2年生ぐらい。ずっと夢を追い続けて、ようやく夢がかなった時代ですかね。実は周りからは売れないと言われていて。当時は歌の世界に小学生・中学生のグループがいなかった時代でしたから。『子供の歌を誰が聞くのか』と言われながら、それでも私達は夢をずっと追い続けていました。平成はそんな私たちが歌手デビューすることができ、大きな会場でライブをすることもでき、次々に夢がかなっていった時代でしたね」 

そう語る彼女の顔は、いつも我々に政治家として見せるそれとは明らかに違っていた。次の瞬間、パッと表情が変わった。記憶が蘇ったのかと思ったが、その口からは思いもよらぬ言葉が出てきた。

「でも、正直あんまり記憶がないんです。忙しすぎてなのか、駆け抜けすぎたのか。中学1年生の時にデビューを果たして解散までの3年半。まさに怒涛の日々だったからかもしれませんね」

「SPEED」の解散発表会見(1999年)

記憶に残らないほどの怒涛の時代を過ごした彼女。
グループ解散後はソロとしてCDを出す一方、ドラマや映画にも出演していった。
そして21歳の時に出産。子育てがはじまるとともに、芸能界での表立った活動は以前より少なくなっていった。

再び脚光を浴びた政治への挑戦。歌手・今井絵理子に政界はどう見えていたのか 

そんな彼女が平成の終盤に飛び込んだのが政治の世界だった。しかし、やはり彼女にとって政治の世界はそもそも縁遠いものだったという。
 
「テレビで見ることしかなかったですからね。身近に政治家の知人もいないし、政治家の討論を聞いても難しくて理解できないと思っていました。ニュースで流れてくる情報は不祥事ばかりで、どちらかといえばマイナスなイメージが強かった」

ではなぜその世界に飛び込もうと思ったのか。そのきっかけについて、こう語った。
 
「ご存知の方もいると思いますが、息子には生まれつき耳が聞こえないという障がいがありました。子育てやボランティア活動を通じて、息子と同じように障がいのある子どもたちやお母さんたちと出会い、いろいろな話を聞いたり、また自分の体験のなかで制度や教育の現場に疑問を感じたりすることもあって。ある会合で出会った議員に、『立候補しませんか』と薦められて」

そう語る彼女は国会議員となって以来今日まで、参議院の文教科学委員会という教育、文化、スポーツなどに関する行政や法律を扱う委員会に所属している。また障がいのある子どもたちの教育環境が少しでも良くなるように文部科学省に対して要望を行っている。
 
私が「政治家になりたかったのか?」と聞こうとすると、今井氏は唯一、質問に食い気味に答えた。

「政治家になるなんて考えたことはありませんでした。ただ、立候補を打診された時にこんなことを考えました。何かを変えたい時、たとえば障がい児がおかれている環境を改善しようとした時、一芸能人としての発信はある程度の影響力を期待できるかもしれないが、それはあくまで間接的であり限界があるということ。本当に変えるためには政治家になるしかないということです」

政治家としての第一歩をスタート。3年が経った今見えてきたものと課題 

参院議員に初当選(2016年7月)

そう決断した彼女は、高い知名度も武器に、平成28年の参議院選挙の比例区で30万票以上を獲得し当選した。それから3年が経った今、これまでの“成果”について率直に聞いてみた。
 
「障がい児に関することでいくつか成果をあげることはできました。しかし、大きなことについてはまだまだ時間がかかります。例えば法律を作るといった大きな物事を進めることは1人ではできません。多くの人たちの意見を聞きながら進めていかなければなりません。だから時間もかかりますし…早く動かしたいなと思っていても、良い成果を得るためには焦りは禁物という気もしますし。そこで自分の気持ちのバランスが崩れるというか、ジレンマに陥ることはありますよね」

初登院した今井絵理子氏(2016年7月)

当選1回の若手とはいえ、国会議員である以上、やはり国民からは大きな成果が求められる。そのための課題については自身も認識していた。
 
「大きな成果を出すためには、協力して共に行動してもらえる議員や役人といった仲間をたくさん作らなければいけないなと思います」

まさに今、「政治家・今井絵理子」として新たなステージで、どう人の心をつかみ、どう動かしていくのか試行錯誤しているということなのだろう。こうした課題について聞いていると、彼女は1つの悩みを率直に明かした。

タレント議員のレッテルを貼られているというか、先入観を持たれていることも事実だと思います。芸能界出身の議員は知名度があるだけで、まるで政治はできないのではないかといったイメージを持たれてしまうこともあるのでしょう…。だからこそ地道に謙虚に誠実に行動しなければって」

自民党大会に登場した今井絵理子氏(2016年3月)

そういう彼女だが、2年前には週刊誌をにぎわせ、批判を受けたこともあった。
そのことを今改めて振り返ってもらうと「反省すべきは反省し、真摯に誠実に政治家として仕事をしていきたい」「多くの方にご迷惑をおかけしましたことを申し訳なく思います」と繰り返し続けた。

沖縄出身として避けて通れない基地問題…自身の思いと自民党の間で 

そして改めて今井議員に、自らの政治家としての柱について尋ねると、次のように断言した。
 
「一つは障がい者の課題で、もう一つは沖縄ですよね。やはりこの二つが私に欠かせない柱です。」
 
そこで最近沖縄で行われた選挙の結果について聞いてみた。知事選挙における、米軍普天間基地の名護市辺野古への移設に反対する玉城デニー知事の誕生、さらに県民投票での多くの移設反対の声、加えて衆院沖縄3区の補選でも自民党候補は敗れた。沖縄に応援で入ることも多い彼女は、どう考えているのか。
 
「沖縄で生まれた私が思うことは、自分の故郷に基地なんて置かれたくないということです。実際に沖縄県民の方の話を聞いてみても、全ての方が基地を廃止できるのならそれに越したことはないと口をそろえます。住民投票で移設容認に一票を投じた県民もそう思っているということです。それは本土に住む皆さんも同じだと思います。沖縄に帰る時は、これまでの歴史をしっかりと胸に刻みながら県民の方のお話を聞くことを心がけています」

この答えを聞くと、普天間基地の辺野古移設に本音では反対なのか?という印象が私の頭をよぎった。そこで、移設を推進する自民党の一員としての立場との整合性について質すとこう語った。
 
「なぜ沖縄から基地をなくすことができないのかという問題と、普天間飛行場の辺野古への移設という問題は分けて考える必要があると思います。辺野古問題に関しては、普天間は世界一危険な基地と言われている中で一刻も早くこの危険を除去しなければならないということが発端です。私も辺野古へ移設することなく、普天間基地を廃止するという選択肢があるならそれを選びたい。しかしそれは現実的に不可能であるから、消極的ではありますが辺野古への移設を進めるほうがいいという立場をとっています」

政府が普天間基地の移設工事を進める名護市辺野古

さらにこう続けた。
 
「選挙の結果はしっかりと受けとめなければなりません。沖縄の県民と丁寧な対話を重ねることが求められます。私も頻繁に沖縄に帰って、これからも辺野古の住民の方たちと話をしたいと思います」
 
「丁寧に説明していきたい」と話す彼女。政府もよく「丁寧に」ということを強調している。しかし、現状を見る限り、沖縄県民の多くにとって、政府の姿勢は「丁寧」とは映っていないようだ。では「丁寧」とは何なのか、正直な思いを聞いた。
 
「丁寧とは、直接顔を見て膝を付き合わせて対話をすること、情報公開をしっかり行い質問に対してごまかしたりはぐらかしたりせずに誠実にこたえることだと思います。『辺野古への移設』と『在日駐留米軍基地』の問題が混同され本質から離れた争いも見られます。これらを政争の具にするのは正直もう終わりにしたい。沖縄には基地問題以外の課題もたくさんあります。県民所得の低さや子どもの貧困など重要課題が山積しています。これらがあまり争点にならず、移設問題の賛否だけに注目が集まる状況を変えて行きたい」

平成のその先の時代へ…「令和時代」でどう政治家として活動していくか 

新元号「令和」の発表(4月1日)

今井議員は、新元号「令和」の発表の瞬間はちょうど車で移動中だったようだ。令和が発表された瞬間の印象を聞くと、アーティストらしい答えが返ってきた。
 
綺麗だなと思いました。響きが美しい。音楽の世界にいた私にとって音とか言葉はとても大事にしているものなので嬉しかったです」
 
ではその令和時代に、彼女は政治家としてどうありたいのか
 
「1人でも多くの障がいのある子どもやそのご家族に、今井絵理子が議員になって良かったと思ってもらえるような成果を出していきたい。政治家としてのあり方としては女性らしいとか若手らしいとかではなく今井絵理子らしいね、と思われるような振る舞いをしていきたい」

そう自らの「らしさ」について語る理由は、彼女の芸能人としての過去が大きい。
 
「12歳から芸能界で生きてきた中で自分の性別や年齢を意識したことがないんです。平成時代を『今井絵理子』として戦ってきましたから。令和の時代になってもそれは変わらずに、政治家『今井絵理子』としてまい進していきたい」
 
そんな彼女も3年後の参議院選挙で改選を迎える。まだ気が早いかもしれないが、再選への意欲を聞いてみた。
 
皆さんから頑張ってと期待される以上は続けたいと思いますがまだ先のことは考えないようにしています。政治の世界は何が起こるかわかりませんし、今できること、今やらなくてはいけないことに集中したいので」
 
彼女は自身のSPEEDとしての3年半を怒涛のようだったと語っている。SPEED今井絵理子は数々のヒット曲を生み出し芸能界を駆け上がっていった。次は政治の世界でどのように駆け上がっていけるのか。今はファンだけではない、すべての国民の負託に応えないといけない立場だ。そのために政界でどのように「怒涛のような日々」を送っていこうとするのか、引き続き取材していきたい。

 (フジテレビ政治部 杉山和希

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