スポーツの世界には“マンガのような世界でしかありえないような仰天エピソード”が数多く存在する。

10月18日の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、9月の秋場所で優勝を成し遂げ、大関に昇進した正代関(以下、正代)と先輩である井筒親方を迎え、マンガみたいな話を再現ドラマ仕立てで紹介する「スポーツ漫画みたいな話SP」を放送。

鯛も無駄にならなかった!

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まずは、正代が初優勝するまでの道のりを振り返る。

今年1月の初場所で、優勝争いを繰り広げていた正代。千秋楽で大関・貴景勝が徳勝龍に勝てば、正代が優勝決定戦に臨めるということで、地元・熊本のファンや家族も盛り上がっていた。さらに、所属する時津風部屋も大きな鯛を用意していたが、貴景勝は負けてしまう。

7月の名古屋場所でも、再び正代は千秋楽まで優勝争いに食い込むが、念願の賜杯を手にすることはできなかった。

いつも優勝にあと一歩届かない正代だったが、先日行われた秋場所で、大関・朝乃山に圧勝するなど、千秋楽まで12勝2敗と単独トップに。

番組が正代の地元である熊本県宇土市を訪れると、正代の両親やファンが熊本出身力士としての初の優勝を心待ちにしていた。

勝てば文句なしで優勝が決まる一番。その相手は新入幕で優勝争いを繰り広げ、勢いに乗る翔猿。土俵際に追いつめられるも、粘って逆転の突き落とし。3度目の正直でつかんだ悲願の優勝に、正代も思わず男泣きした。

大関昇進の伝達式では見事な口上を披露。鯛もしっかりと掲げ、熊本県出身では58年ぶりの大関となった。

井筒親方とリモートで出演した正代。翔猿との一番を「前日からほとんど眠れなくて、足がフワフワしていたんです。どう相撲を取るか決めていたんですけど、手をつく瞬間に真っ白になって。とりあえず、立ち合い思いっきり踏み込んで、その後の動きに対応できるように考えていたんですけど…」と振り返る。

相撲好きで知られる女優・紺野美沙子さんは「仕切っている間はどんなことを考えていたんですか?」などと正代を質問攻めにし、番組MCの浜田雅功さんからは「ここ(MCの場所)に来たら?」とツッコまれる。

初場所では用意していた鯛が、正代が帰ったときには刺し盛になっていたというが、今回は無駄になることなく、「三度目の正直と言いますか、やっと使うことができました」と笑った。

そして、1000万円の優勝賞金の使い道を正代は「親孝行に使えたらいいと思います」と明かした。

浜田さんが「ずっと、本名の正代ですよね?呼び捨てにされている感ありません?浜田!浜田!と言われている気がする」と問うと、正代も「変える気はない」としつつも、呼び捨てにされていることに「引っかかるところはあります…」と苦笑した。

アメフトからもスカウトが?

番組では“アスリート劇団”と称し、マンガのようなスゴイ話をアスリートが役者として再現ドラマ化する企画を。今回は、相撲界に語り継がれる驚きの伝説を4本紹介した。

平成の大相撲人気をけん引した第67代横綱・武蔵丸(現・武蔵川親方)のエピソード。武蔵丸役をサッカー元日本代表の本並健治さんが演じた。

当時、まだ大関だった武蔵丸は、巡業中の休憩時間に後輩力士たちとバスケをすることに。日ごろ、勝負の世界で戦っているからこそ、遊びといっても熱がこもってしまう。

アメリカ出身の武蔵丸はバスケも得意だったことから、身長192センチ、体重235キロの武蔵丸が後輩たちも驚かせるダンクシュートを披露したという伝説が残っている。

200キロ超の巨体でのダンクシュートは本当なのか。現在は後輩の指導にあたっている武蔵川親方に聞いてみると「片手でやるよ。リング触るくらいは普通にできる。あとは、ゴールのタイミングだな。浜ちゃん、私はダンクできるよー」と伝説を認めた。

さらに、武蔵川親方は「大関時代、23歳か24歳ごろ、巡業中に外国人がいっぱいいるなと思ったら、NFLのスカウトだった」と明かす。学生時代、アメフトの選手だったということもあり、アメリカンフットボールの最高峰NFLチームからスカウトが来ていたということも明かした。

初めての日本にビックリ!

白鵬・鶴竜の両横綱を筆頭に、相撲界を席巻し続けるモンゴル出身の力士たち。

その第一期生が来日したのは1992年。当時、モンゴルは社会主義から脱却したばかりの発展途上の国だった。そこから、のちに幕内最年長優勝を果たす旭天鵬ら6人の若者が来日した。

そんな旭天鵬らが体験したマンガのような話。それは、初めての日本体験にあった。再現ドラマでは旭天鵬を本並さんが演じた。

彼らが最初に驚いたのは「ウォークマン」の存在。元旭天鵬の友綱親方は「当時の僕らからしたら、家で音楽を聴くカセットが外で聴いて歩けるなんて信じられなかった」と驚いたという。

日本にやってきたのは17歳。もちろん日本語は分からず、しかも当時の相撲界でモンゴル語が分かる人はいなかったため、日本での生活は驚きの連続だった。

次に驚いたのは「お冷」。飲食店に入ったものの、メニューも読めずに右往左往していると、突然テーブルにお冷が置かれ、困惑しながらも、とりあえず一気に水を飲み干した。注文も食事を取ることもなく、レジ前へ行き料金を確認すると「お代はいりません」と言われ、「日本ってとてもいい国だ」と思ったという。

さらに、押したら飲み物が出てくる自動販売機の存在にも驚いたといい、こうした驚きの連続だった日本の生活に慣れるまでには数年の月日を費やしたそう。

人差し指でワインを開栓

2008年、ヨーロッパ出身力士として史上初の幕内優勝を飾った元大関・琴欧洲(鳴戸親方)。

身長2メートル2センチ、体重155キロの恵まれた体格を生かした豪快な取り口と端正な顔立ちから、“角界のベッカム”と呼ばれ、人気を博したブルガリア人力士。

そんな彼には、怪力過ぎて人差し指でワインを開けたという伝説が残っている。再現ドラマでは、琴欧洲をシドニー五輪銀メダリストの篠原信一さんが演じた。

琴欧洲が大関になったばかりのころ、力士たちがリンゴを手でつぶせるか試していると、かつてブルガリアにいたときによくやっていたという琴欧洲もそれにチャレンジ。すると、軽く握っただけでリンゴが粉々になった。

別の日には、ワインを飲むときにコルク抜きがなかったため、琴欧洲が指でコルクを押し込み、一瞬で開けてしまったという。

この“怪力伝説”が本当だったのか、本人に確かめてみると、「(指で開けるのは)最終手段。ただ、キレイには開けられないですね。ワインが飛び散るし、コルクも中に入るので」と伝説を認めた。

さらに、今もできるのか実演してもらうと、いとも簡単にワインを開栓。最後に「浜田さん、今はコロナなので一人で飲むんですけど、落ち着いたら一緒に飲みたいです」とメッセージを送った。

再現ドラマでは、ワイン通として知られる琴欧洲役を演じる篠原さんがテイスティングをするシーンの撮影も。

篠原さんは「メルロが織りなす重層な果実の芳醇な味わいとシルキーなタンニン、カベルネ・フランから来る心地良い酸が理想形とでも言える調和を獲得しているような美味しさ」という、台本にして3行、72文字の長いせりふに挑んだ。本番直前まで必死に暗記をしていたが、難しい言い回しに苦戦し、何度もNGを連発。11回のチャレンジでようやくOKが出たという。

角界の“酒豪”が負けた相手は…

幕内在位107場所、通算勝ち星1047など、23年の土俵人生で多くの記録を打ち立てた元大関・魁皇(浅香山親方)もマンガのような怪力伝説がある。そんな彼を再現ドラマでは篠原さんが演じた。

現役時代から怪力自慢として名をはせていた魁皇。例えば、ビールケースを運ぶのに一度に4ケース、約100キロを軽々と持ち上げていたという。

そんな冬のある日、稽古を終えた力士が水を飲もうとしたところ、寒さのせいで水道が凍り、蛇口がビクともしなかった。そこで魁皇が怪力を発揮すると、なんと蛇口ごとねじ切ってしまったという。

さらに、魁皇にはもう一つ誰にも負けなかったことがある。それは、お酒の強さ。角界一の酒豪は魁皇だったが、お酒の強さで唯一土をつけられた相手がいるといい、それは元バレーボール日本代表の大林素子さん。

当時の状況を大林さんに聞くと、「(魁皇に)『飲めるよね?』と言ったら『大林さんも飲めますよね』みたいな、戦いのような感じになってきて。本当に焼酎が美味しかったので、クイクイいってしまって気づいたら一升瓶3本くらいが残骸になっていたかと」と振り返った。

スタジオでは、元大関・若嶋津と元歌手・高田みずえさんの娘・アイリさんが「うちの部屋でお相撲さんの握力対決をしたときに、『今、誰が強いの?』と聞いたらみんなが正代関って言ってました」と明かす。

それを聞いた正代は「自分としてはそんなつもりはない…」と否定しながらも、井筒親方は「いや、強いと思います。自分のことなので言いにくいと思いますけど、外国人力士が強いイメージがありますが、日本人の中ではトップクラスの握力の持ち主だと思います」と話した。

さらに、番組では、“アスリート劇団”の劇団員を志望する井筒親方自身が脚本・監督・主演した作品を公開。「未来キッズ応援プロジェクト」として、フリースタイル・フットボーラーの徳田耕太郎さんと、天才サッカー少年の山﨑翔空くんの対決も行われた。

(『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送)