半世紀前のベトナム戦争で使われた枯れ葉剤の被害を伝え続ける、長野県岡谷市出身の報道カメラマンがいます。戦争の「後遺症」を取材し、撮影してきたカメラマンは、戦後80年の今、そしてこれからも、戦争の悲惨さを伝える大切さを訴えています。

■左手が短い状態で生まれた赤ちゃん

左手が短い状態で生まれた赤ちゃんと、その母親。

女性が立つ、大きくくぼんだ野原には、かつて、家や森があったといいます。今から約60年前に始まった、ベトナム戦争の被害を写した写真です。

写真を撮ったのは、埼玉県さいたま市の中村梧郎さん84歳 。岡谷市出身の報道写真家です。中村さんは、1970年から数回にわたり、戦闘が続くベトナムに入りました。命の危険にさらされながらも戦場を写し、世界に向けて発信してきました。

報道写真家・中村梧郎さん:
「みんな家族を失い、身内を失いという形で。しかも一瞬のうちに殺されてますから、みんな嘆き悲しんで、いろいろ聞いても絶望的な答えしか返ってこない。『どうやって生きていいかわからない、これから先』という答えが多かった」


■枯れたジャングルに立つ男の子

1960年代から1975年まで続いた、ベトナム戦争。アメリカ軍が、ジャングルに潜む対抗勢力を一掃しようと行ったのが、「枯れ葉剤作戦」でした。大量の枯れ葉剤をベトナム全土に散布し、広大なジャングルや田畑を枯らしました。

中村さんが初めて枯れ葉剤が使われた現場に入ったのは、1974年。枯れたジャングルに立つ一人の男の子、フンさん(当時7歳)との出会いが、枯れ葉剤被害を追い続ける原点となりました。

中村さん:
「カメラを向けたら、ジャングルの枯れ木から子どもが出てきて遊んでいた、1人で。その子どもの住んでいる村、家まで行っていろいろ聞いていたら、近所のお産婆さんが出てきて、『この辺は大変だ』と。『みんな流産か死産ばかり。生まれて来る子はみんな障害を持っている』。戦争中に聞いたこともなかった話ですから、これは取材しなきゃいけないと思って」

■お腹がくっついた2人の赤ちゃん

初めて知った、枯れ葉剤の住民への影響。その後もたびたびベトナムに足を運び、フンさんをはじめ、現地の人に残る戦争の後遺症を取材し、撮影してきました。

中村さん:
「このお母さんが、うんと大事にしていたんですね、この子たちを。生まれた時はびっくりしたと言っていましたけど」

お腹同士がくっついた2人の赤ちゃんを、母親がいとおしそうに抱きしめています。この写真は、戦争終結から30年以上たった、2007年に撮影したもの。枯れ葉剤の被害とみられています。

枯れ葉剤に含まれるダイオキシンは、胎児の奇形をもたらすリスクや、発がん性がある猛毒です。そのダイオキシンが大地に残り、現地で取れた魚などを食べることによって、戦争当事者の子どもや孫の世代にも影響が出ています。


■双子は1歳で亡くなる

中村さんは写真に収めた親子の取材を続けてきました。母親のチャンティさんと双子の子ども。この時は、生まれたばかりで体力がまだなく、分離手術もできない状態でした。

成長し体力がつくのを待って手術を行う予定でしたが、双子は1歳で亡くなりました。

中村さん:
「(母親は)本当に悔しいと言っていましたね。『枯れ葉剤の記憶は直接ないけれども、枯れ葉剤が原因だとすれば、かわいそうなことをした』と言っていました」


■戦争の「後遺症」

ベトナム戦争が終結して、2025年で50年 。ホーチミンでは、国を挙げての記念式典が開かれ、中村さんも参加しました。ベトナムは、戦争の事実を世界に伝えたことに感謝し、前線で取材したジャーナリストたちを招待したのです。終結から半世紀を迎えたいっぽうで、戦争はまだ、終わっていません。

中村さん:
「ベトナムの評価としては、50年たったけれども、ベトナム戦争中にさまざまな事実が報道されたこと、それが世界の世論を動かした。その後もさまざまな戦争の後遺症の発表があったことが世界の支援を呼び覚ますことになった。本物の報道がいかに大事であったかを改めて感じる。枯れ葉剤は化学兵器、その化学物質によってはいろんな後遺症を引き起こす。その影響はいまだに続いている。戦争が終わったから全ての被害が終わるわけではないことを痛感している」


■戦後80年 後遺症に今も苦しむ

中村さんはこれまでに、講演会や写真展を通してベトナムやカンボジアでの戦争の爪痕を伝えてきました。

日本は今年、戦後80年。中村さんは、日本の戦後にも同じく「後遺症」の問題があると話します。
※1945年8月、アメリカ軍が広島と長崎に原子爆弾を投下。その年のうちに広島では約14万人、長崎では約7万人が亡くなる(広島市公式ウェブサイト、長崎市「ながさきの平和」より)

中村さん:
「広島や長崎に落とされたウランやプルトニウム爆弾の放射線障害は延々と続く。戦争そのものをまだ引きずっている。戦争が終わった後の姿ではなくて、今でも引きずっているという問題はいっぱいあると思う」

原爆で一命を取り留めても放射線による後遺症に今も苦しむ人がいます。

中村さん:
「広島や長崎で被爆した人も範囲も国が決めて内側だけは補償する、外側は一切補償しない」

■日米同盟の強化の動きに危機感

戦争の惨禍を経験したにもかかわらず進む、日本の防衛力や日米同盟の強化の動きに、危機感を感じています。

中村さん:
「(日本は)戦争を起こさないように精いっぱいの外交的努力をする。中国とアメリカが対立しているから日本も中国と対立するんだとばかな発想ではなくて、中国とアメリカが対立しているなら仲介役として日本が活躍すればいいわけで、軍備一辺倒でいこうというのは間違い。ますます危険な世界に入っちゃうな」


■「本物を報道すること」が大切

ライフワークの枯れ葉剤被害の発信を通して実感した「本物を報道すること」の大切さ。近年、それが伝わりにくくなっていると感じています。

中村さん:
「新聞もテレビも、死体は見せないようにしようとかね。戦争は、死体だらけですよ、どこもかしこ。兵隊も民衆もそれを見せないようにしようと。戦争はきれいなもの、美しいもの、憧れの的になっていきはしないかという危険を感じる」


■戦争の事実と向き合う機会を

中村さんは、これからも戦争の悲惨さを伝え続けるとともに、若い世代の人たちには、戦争の事実と向き合う機会をつくってほしいと願っています。

報道写真家・中村梧郎さん:
「戦争についてどう考えるのか、あるいはどう対応するのか子どもたち同士で議論させる。子どもたちが自主的に考えること、意見が違ってもいいから自主的に考えることが大事。人間の体なんてヤワなんですよ。ちょっと1発、破片が当たるだけで死んじゃいますから。戦場に行く、兵隊になるということは、(危険に)身をさらすことなんだよということを若者に伝えなきゃいかんなと私は思っています」

長野放送
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