1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。

1965年(昭和40年)頃に京田辺市内で撮影された、大きなたるが並んだ風景。男性がかき混ぜているようです。「しょうゆかみそか?京田辺の名産なのか」と見当をつけて、兵動さんは探索へ出発しました。

近鉄・新田辺駅前で聞き込みをすると、「一休寺の納豆」だと言う人が何人かいました。

一休寺までの道のりは、「一休とんちロード」と名付けられていて、15カ所の電柱に「一休かるた」を活用した一休さんのエピソードなどが掲示されています。

■一休寺では今も“生前の一休さんの姿”を見ることができる

通称「一休寺」こと「酬恩庵(しゅうおんあん)」に行くと、新緑がとても美しく、境内では一休さんにまつわるものをいくつも目にすることができました。

住職の田辺宗一さんは写真の男性を見て、「私の父親です」と言います。それから一休さんについて教えてくれました。とんち話は実際の話ではなく、後世に作られたもので、「破天荒だった」という一休さんの生き様がとんち話を生み出したのではないかと言います。

一休さんは63歳の時にこの寺へやってきて、88歳で亡くなるまで過ごしました。晩年、弟子に命じて作らせた木像が酬恩庵に残っていて、一休さんの生前の姿をいまも見ることができます。

■一休さんが寺で作り始めた「一休寺納豆」

写真は「一休寺納豆」作りの風景でした。

一休寺納豆は、禅宗の僧侶が中国から持ち帰った納豆の製法を元に、一休さんがこの寺で作り始めたのだそうです。現在も田辺住職が同じ製法で作り続けています。

7月の暑いときに、蒸した大豆に、はったい粉と麹菌を加えて蔵の中で2日間発酵させます。おけに入れた塩水と混ぜてゆっくり発酵させ、翌年5月まで混ぜながら水分を自然蒸発させ、さらに1年寝かせます。

作りかけの納豆を一粒いただき、「これはうまい。ちょっとかじってお酒を飲むのも良いし、お茶漬けにしても良い。なんぼでもいける」と兵動さん感動です。

写真中央の建物は屋根をふき替えて今も残っていて、大体同じ場所から写真を撮ることができました。

【兵動大樹さん】「一休さんは実在して、こちらで晩年を過ごした。そして一休寺納豆、めちゃくちゃおいしいです。これからも一休寺納豆と一休さんの伝説を守っていってください」

▼兵動さんの今と昔を探る旅の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
https://youtu.be/d4vkMc4QZ9s

(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2025年6月6日金曜日放送)

関西テレビ
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