【福祉】障がい者の就労支援などを手掛けてきた「W’s(わっず)」(札幌)は障がいの有無を問わず、平等な社会の実現に向けて事業を展開している。代表取締役の中野恵美佳さんに福祉の世界に飛び込んだ思いと、望まれる福祉のあり方を聞きました。
――子どものころはどういうお子さんでしたか。
「東京出身で、中高一貫の女子校に通いました。全く勉強をしなくて成績が悪く、ただ、数学だけできる子どもでした」
――理系に進み、就職はどうされましたか。
「大学の就職活動ではやりたいことが見つからなくて。相続でもめ、仲の良かった親族が距離を置くことがあり、相続で困っている方を助ける仕事なら、興味が持てるかなと思いました。大学4年から、不動産相続コンサルタント会社でアルバイトをし、そのまま就職しました。ただ、毎日、終電まで働き、激務でした。このままでは厳しいと思い、当時、おつき合いしていた方がきっかけとなって、(リクルートの不動産事業」SUUMOの営業職に転職しました」
思わずして飛び込んだ福祉の世界 「この人たちとなら、楽しく仕事ができる」
――そこはしっくりきましたか?
「転職で札幌に移住しました。当時、SUUMOの営業職は3年くらいで営業マンが入れ替わっており、それを知っている取引先のいくつかの社長さんから『うちに来ないか』と声をかけられました。そのうちの1社の天然木が売りの工務店『渡部製作所』(札幌)に転職しました」
――そこでのお仕事は?
「入社したのは、渡部耕平社長が障がい者福祉にも乗り出すと決めたタイミング。住宅営業だけではなく、福祉事業にも携わりました」
――そこで今の仕事の種になる経験をしたのですね。独立のきっかけは?
「この人たちとだったら、楽しく仕事ができそうと感じており、実は自分で会社をやろうとは考えていませんでした。渡部社長が『福祉事業を、もう一つ会社をつくってやってみよう』と、会社をつくるよう言われ、設立したW’s(わっず)の代表取締役を務めることになりました」
――新しい会社でどんな仕事をしましたか
「渡部製作所のモデルハウスと、就労支援を掛け合わせた『わっずカフェ』を作り、障がい者の方と運営を始めました。農業の就労支援を行う『わっずファーム』も設け、障がい者の方と農薬、化学肥料を一切使わずに、体にやさしいお野菜を育てました」
障がいがあっても同じ人間 「みんな平等な世界にしたい」
――なぜ、農業に取り組みを広げたのですか。
「就労支援事業所は利用時間や業種が限られることが多いのが現状です。私たちにとって(就職や転職する際)当たり前のことが障がいのある方には、当たり前ではありません。彼ら彼女らにも当たり前にしてあげたいという思いから、事業を展開しました。障がい者である以前に、みんな同じ人間。障がい者という言葉に、ちょっと距離を置き、障がい者は仕事の選択肢が狭まる―。そんな差別的な要素を排除して、みんな平等な世界にしたいという思いでやってきました」
――会社のボスとして大切にしていることは?
「心の豊かさです。スタッフの心に余裕があって、心が豊かでなければ、目の前にいる障がいのある利用者さんを本当の意味で支援するのは難しいと感じました。働くママさんも多いので、子連れ出勤もOKにし、どんな人も活躍できるよう、環境を整えることに力を入れてきました。
――心を豊かにするため心掛けていることは?
「体に入れるものから、心はつくられると思うので、食事を大切にし、普段からなるべく添加物を取らないようにしています。お友達と会ってお話しするのも大好きです。やはり自分の心も体も元気でなければ、従業員スタッフ、その先にいるお客さま、利用者さまに本当に良いサービスはできないと思います。まずは私たちスタッフ1人1人が心も体も元気でハッピーに過ごすことから始めようと伝えていました」
世界各国の施設を視察 制度やサービスを学び 新時代の福祉の可能性を探る
――会社として頑張っていることは?
「2024年に同じ志を持つ『ウェルサポ』(札幌)に福祉事業を引き継ぎ、今はそこの顧問としてサポートしています。福祉事業を始めた当初から、ウェルサポ社長の国兼光矢さんは関わり、この大変な役割をやると言ってくれたことが引き継ぎの決め手となりました。私は今後、海外視察なども積極的に行う予定です。日本の福祉は高齢者と障害者で分野、制度が分かれますが、タイやベトナムでは一緒です。障がい者の方も高齢者の方も同じ施設で暮らしています」
――今後、海外で福祉施設を運営する展望もありますか。
「いろいろな国を回って、私自身が海外でも価値の提供できるものがあれば、海外での運営も視野には入れています。逆に、海外の良いものを日本に取り入れ、福祉施設に限らず手掛けることも視野に動いています」
――今後、描く未来は?
「障がい者である以前に『私たちと同じ人間だよ』と、身近に伝えられる世の中になっていったら良いなと思っています」