1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。
■「線路がかさ上げされて並ぶ。地面からは煙突」不思議な光景
1953年(昭和28年)に大阪市で撮影された写真。中央に建物があり、そこから線路のようなものが何本も並べられていて、横の地面には煙突みたいなものがあります。
大阪市港区の弁天町駅からも近い繁栄商店街で、古くから営業している「正札家百貨店」の店主・岡本欣也さんに写真を見てもらうと、「地上げのマンホール」だと言います。
地面から飛び出た煙突のようなものは、地面をこの高さまで上げるために、あらかじめ高い位置にマンホールを作っていたというのです。
■大阪・港区「甲子園172個分を2m地上げ」
さらに詳しい話を聞くため、港区土地区画整理記念・交流会館へ行きました。
大阪市 区画整理課の喜田昌課長によると、港区には「水害・戦災・地盤沈下」という大きな課題がありました。
大阪港の一部でもある港区は海と陸をつなぐ重要地点だったため、太平洋戦争の空襲を受け焼け野原となりました。また戦前は工場地帯であったため地下水の汲み上げが激しく、一帯が1メートル以上地盤沈下していたことで、昭和25年のジェーン台風で浸水などの甚大な被害を受けました。
そのため大規模な盛り土(地上げ)が必要とされ、44年かけて約690ヘクタールを盛り土する、世界にも類を見ない大事業が行われました。690ヘクタールとは甲子園球場172個分の広さで、それを約2メートルかさ上げしたのです。
■街の生き字引が語る「ここが八幡屋小学校だった」
写真は「八幡屋小学校」をレールを使って移動させているところらしいとのこと。
八幡屋商店街にある「ヤハタヤカメラ」のオーナー・角正基さんなら詳しく知っていると聞いたので会いに行くと、およそ70年前の八幡屋小学校の移動を昨日のことのように話してくれました。
写真の八幡屋小学校は区画整理のため、高さを上げてレールを敷き、曳家という方法で校舎を丸ごと移動させたのです。
【兵動大樹さん】「港区すごいですね。区民の皆さんを守るため、行政が大事業をやらはった。いいお話を聞かせてもらいました」
▼兵動さんの今と昔を探る旅の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
https://youtu.be/5cDZcOJqsKw
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2025年5月16日金曜日放送)