嫁入りの時に嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐる「花嫁のれん」石川で古くから続く婚礼の風習の1つで、七尾市の一本杉通り商店街では毎年ゴールデンウィークにそれぞれの店が花嫁のれんを飾る催しが開かれる。花嫁のれんを巡りながら女将たちの話に耳を傾けてみると、1枚1枚に親子や夫婦の物語があった。

青柏祭だけじゃない…一本杉通り名物「花嫁のれん展」
七尾市一本杉通りを訪れたのは2025年5月9日。2年ぶりのでか山巡行に沸いた青柏祭が終わり、通りは静けさを取り戻していた。まず向かったのは90年以上の歴史を持つ鳥居醤油店。能登半島地震で店舗やもろみ蔵などに大きな被害を受けたが、全国からの励ましと支援を受けて2024年12月に仕込み作業を再開させた。3代目の鳥居正子さんは一本杉通りの名物女将で、花嫁のれん展の実行委員長も務めている。

「加賀藩の領地(能登・加賀・越中)で、お嫁さんの両親にのれんを作ってもらって、嫁ぎ先の仏間の前にかけて、先祖にご挨拶するためにくぐって…『ここの家の人になります』という誓いのためののれんだと言われています」鳥居さんが花嫁のれんの由来を説明してくれた。
鳥居醤油店に飾られていたのは、鳥居さんの母親がお嫁に来た時の花嫁のれん。描かれている宝船には実家の父母の思いが込められているという。「お店が繁盛する。宝がいっぱい来るようにという思いだったんじゃないでしょうか」

一方で、時代を感じさせるこんな話も。「母が結婚したのは終戦の頃だったので、当時はのれんを持ってきていないんです」のれんは結婚から3年後に実家の親に頼んで作ってもらったため、当時はくぐっていないのだという。鳥居さんが母に花嫁のれん展をすることを伝えたら、ニコニコとのれんを出してきて毎日何回もくぐっていたのだとか。
親から子へ…それぞれの時代で娘に込めた思い
続いて向かったのは、創業約110年の松本呉服店。花嫁のれんについて話をしてくれたのは4代目の松本晴子さんだ。飾られている松本さんの花嫁のれんには白髪の老夫婦が描かれていた。「共に白髪の生えるまで」という絵柄で松本さんの母が選んでくれたという。

松本さんにはこの花嫁のれんを見ると思い出すエピソードがあるという。「結婚して26年経つんですけど、結婚式当日に緊張したのか、頑張らなきゃという思いが強すぎたのか、寝坊をしてしまって。準備は遅れてしまったんですけど、とにかく嫁ぎ先ののれんをくぐったと」

店内にはもう1つ花嫁のれんが。こちらは松本さんが2024年に嫁いだ娘のために作ったのれんだという。かご一杯の花の絵柄に込めた思いは「ずっと華やかに綺麗でいられますように」母から娘へ。花嫁のれんには親の愛情が込められていた。また、松本さんは花嫁のれん展への思いをこのように話してくれた。「復興を頑張っている姿を花嫁のれん展を通して見て頂けたらなと、そしてなお頑張っていきたいなというのは思います」

オシドリの花嫁のれんを持つ女性 夫婦円満の秘訣は…?
3軒目は地元で長年愛されている履物店。こちらに飾られている花嫁のれんの絵柄は「松竹梅とオシドリ」村田道子さんが結婚した昭和34年に作ってもらったものだという。くぐった時の思いを聞くと村田さんは「いいえ」と即答。では、結婚生活の秘訣は?「忍耐と言おうか、我慢と言おうか…ね、諦めたらダメやし…我慢やね」

一歩ずつ復興に向かう一本杉通り
花嫁のれんを巡って一本杉通りを歩くと、再建工事を始めた店もあった。創業約130年、一本杉通りを代表する老舗・高澤ろうそく店だ。

高澤久さんは「僕たち高澤ろうそく店があり鳥居さんの醤油屋さんがあり、肉屋さんがありパン屋さんがありというところが商店街ですから、それぞれのお店が頑張っていくというところが商店街の良いところですし、目指しているところでもあります」と話す。能登半島地震の発生から1年4カ月。2025年5月には2年ぶりにでか山が練った一本杉通り。少しずつ、でも確実に復興は進んでいる。

「この時期が来たら『一本杉通りで花嫁のれん展をやっているんだ』と言われてきたので、それを続けていきたいです」と鳥居さんは話す。「だって『動』と『静』やから。青柏祭の動と花嫁のれん展の静。私いつもそう思っているんです。ホッとする一本杉で、みんな話を聞いて楽しんでもらう事を続けていけたらと思っています」
(石川テレビ)