能登の各地を継続取材して人々の暮らしや心の動きを追う「ストーリーズ」今回は地震と豪雨で二重被災し、人口が半分以下に減った珠洲市大谷地区。2025年5月、2年ぶりに一大イベントが復活し、まちは大きな一歩を踏みだした。

”二重被災”のまちに移住した女性
2025年4月。珠洲市大谷町の山あいで山菜採りに熱中する女性がいた。「あった!超楽しいんですけど」坂口彩夏さん26歳。2024年10月に千葉市から大谷町に移住した。
この日は同世代の仲間と一緒に地域の山菜名人にタラの芽やウドの採り方を学ぶ。「この先はないなあ」日陰から出てきた坂口さんたちに対し、名人はこう言う。「なんでも日の当たるとこ。日の当たらないところはだめや」

東京の小劇場などで俳優をしていた坂口さん。能登半島地震から3カ月後の2024年4月、炊き出しの手伝いで初めて大谷に来てから、毎月のように通い始めた。
坂口彩夏さん:
「教わることの方が多かったんですよ、初めて来た時に。みんな自分の体ひとつで自分の頭を使って工夫して色々自然と一緒に生活してて、かっこいいなって思ったし、自分がこのままだとすごく頼りないなって思って」

若者たちで結成した「外浦の未来をつくる会」
大谷地区は地震と豪雨の影響で、824人いた人口が380人(2024年12月時点)に減った。若い世代はまちの将来を考えるために「外浦の未来をつくる会」を結成。坂口さんも移住後すぐに参加した。
2024年9月の豪雨後、外浦の未来をつくる会はボランティアの受け入れを始めた。坂口さんは住民のニーズに合わせてボランティアを派遣する役割を担う。
「風呂には泥入ってない?あ、良かった良かった」住民に声をかけながら作業を進めていく坂口さん。「本当にうれしいわ、冷たい手して。私も冷たいけど。ありがとうね」住民から涙ながらに声をかけられると、坂口さんも「大丈夫よ。ちょっとでもできればね」と優しく答える。

家や車庫に流れ込んだ大量の土砂をコツコツ、丁寧に。住民が少しでもこの先の暮らしを思い描けるように。
2025年春 地区に変化が…
春、地区にはある変化が起きていた。
「最近移住しました。大谷に」
「山口県から来ました」
外浦の未来をつくる会が橋渡しをして、若者が4人移住していたのだ。この日みんなが集まったのは倉庫。2年ぶりに地区の一大イベントを復活させることにしたという。

「大谷川鯉のぼりフェスティバル」40年前、町おこしのために始めたイベントだ。年々こいのぼりの数は増え、多い時には750匹が大谷川を泳いだ。
フェスティバルを運営してきたのは当時の若者たちで作った「一歩の会」
一歩の会事務局長 吉原忠男さん:
「一歩の会の合言葉はね、片づけは始まりっちゅうんですわ。メーターごとに揃える人、箱に入れる人。いい加減な片づけをすると今度始めるときは大変やぞって」

今年は、坂口さんたち外浦の未来をつくる会が運営を引き継ぐ。川が復旧工事中のため海沿いにこいのぼりをあげることにした。こいのぼりは約200匹。無理せず楽しみながら準備をできる規模にした。イベントの名前は「大谷鯉のぼり『ミニ』フェスティバル」とした。『ミニ』をつけたのは、一歩の会への敬意からだ
。準備を進める坂口さんたち若者の姿を一歩の会の吉原さんは目を細めながら見つめる。「今年はGWは寝て暮らそうと思っていた。彼女と会うまでは」

吉原忠男さん:
「幹事長が頑張ってるんだから俺が頑張らないといかんやろ。あなたが震源地よ」
坂口彩夏さん:
「あなたが震源地!とうとうなってしまった」
復活した”鯉のぼりフェスティバル”
大谷鯉のぼりミニフェスティバル当日。会場は地区の内外から来た朝から多くの客でにぎわった。地震の発生から1年4カ月。こんなに賑やかな日は初めてだ。離れて暮らす人も戻ってきて、住民同士の再会の場にもなっていた。


一歩の会は昔からの名物、焼きそばの屋台を担当。30人以上の行列ができる中、慣れた手さばきで焼きそばを作っていく。「感覚が戻って来たわ」「これから毎月やるか!」そんな声が聞こえてくる。焼きそばのタレがこびりついた蛍光グリーンのジャンパーを誇らしそうに見る人も。


一歩の会 大兼政忠男さん:
「やっぱりこの町はこの季節こいのぼりが泳いでないとらしくないね。なんとなくほっとするというか、うれしくなる。内心はうーっと暗いところに。そんなこと言ってられないしね」
移住してきた若者たちもそれぞれの得意分野を活かしていた。イラストレーターの都築鈴さんはイベントのチラシやグッズを担当。写真家の橋本貴雄さんは鯉のぼりフェスティバルの歴史を住民へのインタビューを交えてまとめた映像作品「鯉ものがたり」を上映した。

海に向かって悠々と泳ぐこいのぼりを見つめて坂口さんは言った。「亡くなった人とか失われたものとかが海に返っていく、だから今回海でやるのかなって。悲しさとかが晴れやかになっていく気がする」
地震と豪雨で二重被災した大谷地区。今もまちにはダンプカーや重機が行きかい、市の中心部とを結ぶトンネルも復旧工事中だ。現実はまだまだ厳しい状況が続くが、この日の大谷地区は笑顔に溢れていた。「ここからまた頑張ろうって、生きているのって楽しいなと思ってほしい。思ってくれているんじゃないかと思います」

(石川テレビ)