被爆者運動の源流となった「長崎原爆青年乙女の会」が、高校生や大学生など若い世代とともに恒例の記念碑のつどいを開きました。
つどいは長崎市平野町にある記念碑のそばで開かれ、被爆者や高校生など約80人が参加しました。
「長崎原爆青年乙女の会」は、1956年に結成されました。
核兵器廃絶と被爆者援護を訴え続け、この流れは日本被団協のノーベル平和賞受賞の理由になった「核のタブー」を作り出すのに大きな役割を果たしました。
3年前(2022年)からつどいを開いていますが、会員の被爆者の高齢化が進み、2025年に出席できたのはわずか4人でした。
そうした中、この春会長を引き継いだ横山照子さんは、若い世代の力に期待を寄せました。
長崎原爆青年乙女の会 横山照子 会長(83)
「これをずっと続けていくには次につなげる若者たちの力が必要」
つどいには高校生や大学生約20人も参加していて、会が出版した被爆体験記を朗読したり感じたことを発表したりしました。
長崎純心高3年 品川陽彩さん(被爆四世)
「戦後も偏見や差別が残り『生きることそのものがつらい』と感じていた方々がいたとの現実を、私たちは決して忘れてはならないと思います」
長崎原爆青年乙女の会 松尾幸子さん(91)
「いつまで出席できるか分からないけど」
「一人でも多くの方に(活動や思いを)伝えることができたら」
青年乙女の会の会員数は10人ほどとなりましたが、若い力を借りながら毎年つどいを開きたい考えです。