能登の各地を継続取材する「ストーリーズ」

今回は珠洲市大谷地区です。地震と豪雨で二重被災した町で2年ぶりに一大イベントが復活。中心となったのは若き移住者でした。

「気づかなかった!」「ウドめっちゃあるよー!」「超楽しいんですけど」

山菜とりに夢中のこの女性。坂口彩夏(さかぐちあやな)さん(26)

去年10月、千葉市から珠洲市大谷町に移住しました。

「この先はない」「日の当たるところだけじゃない」「そう、なんでも日の当たるとこ。日の当たらないところはだめや」

東京の小劇場などで俳優をしていた坂口さん。能登半島地震から3カ月後炊き出しの手伝いで初めて大谷に来てから、毎月のように通い始めました。

坂口彩夏さん:
「教わることの方が多かったんですよ、初めて来た時に。みんな自分の体ひとつで自分の頭を使って工夫して色々自然と一緒に生活してて、かっこいいなって思ったし、自分がこのままだとすごく頼りないなって思って」

去年12月。

「まず大谷地区のリピーターと関係人口が特に欲しいという話があり…」

大谷地区では若い世代がまちの将来を考えるために「外浦の未来をつくる会」を結成。坂口さんも移住後すぐに参加しました。

坂口さん:
「自分の存在価値をここで見つけられるとここにいる。でそれが続いていって住みたいなみたいな。」

去年9月の豪雨の後、外浦の未来をつくる会はボランティアの受け入れを始めました。

住民のニーズに合わせてボランティアを派遣するのが坂口さんの役割です。

坂口さん:
「風呂は(泥)入ってない?あ、良かった良かった。」
ボランティア:
「キッチンもちょろっととれば全然問題ない。」
坂口さん:
「よかったわー。」
住民:
「本当にうれしいわ、冷たい手して。私も冷たいけど。ありがとうね。」
坂口さん:
「大丈夫よ。」

春、地区にはある変化が…

移住者:
「最近移住しました。大谷に。すぐそこですけど。」
移住者:
「すずです。山口県から来ました。」

外浦の未来をつくる会が橋渡しをして、若者が4人移住していました。この日みんなが集まったのは倉庫。2年ぶりに、地区の一大イベントを復活させることにしたのです。

「大谷川鯉のぼりフェスティバル」40年前、町おこしのために始めたイベントです。年々こいのぼりの数は増え、多い時には750匹が大谷川を泳ぎました。

フェスティバルを運営してきたのは当時の若者たちで作った「一歩(いっぷ)の会」

一歩の会事務局長 吉原忠男さん:
「一歩の会の合言葉はね、片づけは始まりっちゅうんですわ。メーターごとに揃える人、箱に片づける人。いい加減な片づけをすると今度始めるときは大変やぞって。」

今年は川が復旧工事中のため海沿いにこいのぼりをあげることにしました。

一歩の会事務局長 吉原忠男さん:
「今年はGWは寝て暮らそうとおもってた。彼女と会うまでは。震源地に火がつけられて。」
吉原さん:
「幹事長が頑張ってるんだから俺が頑張らないといかんやろ。あなたが震源地よ。」
坂口さん:
「あなたが震源地!」

重政辰也実行委員長:
「ただいまより大谷鯉のぼりミニフェスティバルを開会いたします」

一歩の会は昔からの名物、焼きそばの屋台を担当。

メンバー:
「ざっと30人はいるでしょう。焼き手が忙してはや、追いつかん。ちょっと焼いてきますわ。思った以上です、喜んでいます。」

地震から1年4カ月。こんなににぎやかな日は初めてです。

一歩の会 大兼政忠男さん:
「やっぱりこの町はこの季節こいのぼりが泳いでないとらしくないね。なんとなくほっとするというか、うれしくなる。内心はうーっと暗いところに。そんなこと言ってられないしね。」


坂口さん:
「亡くなった人とか失われたものとかが海に返っていく、だから今回海でやるのかなって。」
Q 去年秋から住んで泥出しやって住める家が増えてきてこうやってお客さんを呼べるようになって迎えた今日はどうでした?
「みんながよく頑張ったなって思います。ここにいる人が頑張ったから…今日みたいな日が迎えられてよかったです」

石川テレビ
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