80年前の沖縄戦でアメリカ軍の最初の上陸地となった慶良間諸島。
住民の強制集団死いわゆる集団自決が起きた座間味村では26日、10年振りに慰霊祭が執り行われ、鎮魂の祈りが捧げられました。
1945年3月26日、沖縄戦でアメリカ軍の最初の上陸地となった座間味村では追い込まれた住民が自ら命を絶ったり家族に手をかけたりした強制集団死、いわゆる集団自決で少なくとも177人が命を落としました。
犠牲者の名前が刻まれている「平和之塔」では10年振りに村が主催する慰霊祭が執り行われ、高齢となった遺族をはじめ多くの住民が足を運びました。
宮里哲 座間味村長:
戦後80年、この節目の年にかつて悲惨な戦のあった歴史とともに、今あるこの平和と島々の豊かさを後世へと引き継いでいくことを、ここ平和之塔にてお誓いする
住民を代表して高江洲敏子さんが追悼の言葉を述べました。
高江洲敏子さん(93):
80年前のきょう、この地において、激しい戦闘が行われ、多くの村民が命を絶たれる運命となりました。あのときの私が経験した怖さ、つらさを二度と孫・ひ孫に体験してほしくありません
慰霊祭には玉城知事も出席しました。
玉城知事:
御遺族の皆様は、最愛の家族を失った深い悲しみと絶望に耐えながら、戦後、幾多の困難を乗り越え、今日の郷土の繁栄を築いてこられました。その御苦労と御尽力に心から敬意を表します
訪れた人は、静かに手を合わせ鎮魂の祈りを捧げていました。
高江洲敏子さん(93):
平和がいつまでも、いついつまでも続きますようにお願いしています。あの怖さはもう誰にもさせたくないです。世界中の人にね
参列者の女性:
平和のありがたさを伝えて行かないといけないですね、自分たちの使命
参列者の男性:
何もかもがすぐ風化するんじゃないかなということが一番心配。こういうこと(慰霊祭)を続けいただいて、過去を振り返ってもらわないと、風化するのが一番寂しいなと思うんですよね
悲劇から80年が経過し、当時を語れる人がほとんどいなくなった中で、参列者は島に刻まれた記憶を風化させず語り継ぐ決意を新たにしていました。