日本三景の1つ京都の「天橋立」にそびえたつ、推定樹齢650年の松の木が最期の時を迎えた。
実はこの松、あの有名な戦国武将とのゆかりも。
さらにこの松の物語は、きょうで終わりではなかった。
■樹齢650年の巨大な松が伐採された

26日、伐採が始まった巨大な松の木。樹齢はなんと推定650年。
日本三景・天橋立に立ち並ぶ、およそ6700本の松の中で最も古い木のひとつとされている。
地元の住民:さみしい限りです。海水浴だと『そこの船越の木の前で』と、待ち合わせして海にいくという感じで。
宮津エコツアーガイド 土屋勝さん(83):ほんとに今までよく頑張って生きてくれたと思っています。
樹木医 小島俊男さん(75):ありがとうね。
激動の時代を見つめてきた松の木。
実は、あの有名な戦国武将ともゆかりがあるというのだ。その武将とは一体。
■雪舟が書いた「天橋立図」の頃には根付いていた

伐採されていたのは、推定樹齢650年、「船越の松」だ。
昔、この場所で漁師が船を陸に上げて移動していたことから「船越」と呼ばれ、その名をつけられたと言われている。
これは室町時代の水墨画家・雪舟が書いた国宝の「天橋立図」。
「船越の松」は、この絵が描かれた1500年ごろには、すでに、この地に根をはっていたとみられる。
丹後土木事務所 担当者:この場所に生えているのが、『船越の松』でございます。
いにしえの景色として愛された「船越の松」は、なぜ、伐採されるのだろうか。
■倒木の恐れで伐採が決定 「今の間におしまいにしてあげたら語り継がれる松に」

樹木医として長年、この松を診てきた小島さんに見てもらうと…。
樹木医 小島俊男さん:もうぼちぼち、木としては限界。枯れる、枯れないはもつと思うんです。折れる、折れないの危険性は、限界に近い。
木の幹の空洞化が進み、倒れる恐れがあったというのだ。
それでも地元で愛される松を守りたいと、2005年以降はワイヤーなどで補強し、延命措置をとってきた。
しかし、倒木の恐れがさらに強まり、京都府が伐採を決断した。
(Q.(伐採は)樹木医の方からしてもやむなし?)
樹木医 小島俊男さん:逆に言うと、長いことご苦労さんやなと。
およそ20年にわたりこの土地でツアーガイドを務めている土屋さんも…。
宮津エコツアーガイド 土屋勝さん:いやぁ思い出の深い木でした。よう目に残して焼き付けとかんと…。
樹木医 小島俊男さん:倒れてからの評判は悪いものになりますけども、今の間におしまいにしてあげたら、『名残惜しい、えぇ松やったなぁ』と語り継いでもらえるなら…。
■明智光秀が近くで茶会を開いた!?

役目を終える「船越の松」。
ここで、歴史通でもある土屋さんから気になる情報が。
宮津エコツアーガイド 土屋勝さん:明智光秀は文人でもありますので、色々、詩(うた)も作っておりますし、ここを歩いて楽しまれたということもあるんじゃないかと思います。
織田信長の天下統一を阻んだ、明智光秀がこのあたりで茶会を開いたというのだ。
■「明智光秀の背景にある松が切られるのは残念」 歴史の区切りに立ち会う女性

600年を超える歴史の区切り。その瞬間を見ようとこの地を訪れた女性がいる。
先祖から「明智光秀の子孫だ」と言い伝えられてきたということで、光秀に特別な思いを抱いている。
明智光秀に思い入れのある女性:戦いに明け暮れるばかりじゃなくて、風光明媚な場所で舟遊びしたりする余裕とか、いやしもあったので、その背景にある松が切られるのは残念ですけど、立ち会えて良かった。
■同じ遺伝子を持つ2世の存在 次はどんな歴史を見届けるのか

この地で600年を超える歴史を見つめてきた船越の松。
その役目は次の世代に―――。
宮津エコツアーガイド 土屋勝さん:これが2世松ですね。
樹木医 小島俊男さん:種で作ったんじゃなくて接ぎ木やから、遺伝子がそのまま残っている状態の松。
実は、船越の松の枝から育てた「2世」が天橋立には植えられているのだ。
宮津エコツアーガイド 土屋勝さん:安心して1世の残した松は、引退ができるということです。
樹木医 小島俊男さん:ロマンがある。『わしらの時代に関わったんや』というので、子供や孫に『ここで色々やってたよ』という話ができるっていうのは、ありがたい。
天橋立に根をはる船越の松の物語。
次はどんな歴史を見届けるのだろうか。
(関西テレビ「newsランナー」2025年2月26日放送)