ここに一冊の卒業文集がある。「将来の夢は世界中を旅行することです! さて、私はだれでしょ~う!」。
この記事の画像(7枚)これを書いたのは小学校時代の北口榛花。パリ五輪の陸上女子やり投げで、日本女子トラック&フィールド種目で初となる金メダル獲得という快挙を成し遂げた北口は、トップアスリートとして世界中を転戦する形で小学校時代の夢をかなえた。
悲願のオリンピック金メダル獲得後、一躍人気者になった北口。メディアの取材に「名言が残せなかった」と“珍”名言を発したことも話題となったが、その飾らない性格は子供時代から変わっていないという。
北海道旭川市で小中高と同じ学校に通った同級生の大川真由さんは。
大川真由さん:
テレビとかで世界大会を見ちゃうと「おーっ!」みたいな…。
みんなが知っている有名な選手になっているのはすごいし誇らしいと思う。
けど、直接会うと昔と変わっていないなと(笑)。
中学生にして未来の金メダリストの片鱗が
世界のトップに上り詰めた北口だが、その強さの原点は中学時代にあった。中学時代の担任でありバドミントン部の顧問であった栃谷悟先生が、当時の彼女について話してくれた。
栃谷悟先生:
休日の(バドミントンの)部活動では、朝泳いできて髪の毛がびしょびしょに濡れたままで現れたことがよくありました。
実は、北口は中学時代、学校の部活動でバドミントンをしながら、スイミングスクールに通って水泳にも挑戦する“二刀流”だったのだ。しかも、どちらの競技でも全国大会に出場という輝かしい成績を残している。
栃谷悟先生:
(バドミントンの)中体連最後の大会では、勝てそうな試合で、相手に粘られて負けてしまい号泣、当時からとても負けず嫌いでした。
北口といえば、最も印象的なのは“土壇場での勝負強さ”。これまで大会中に幾度となく土壇場まで追い込まれても、最後の投てきで勝利をたぐり寄せてきた。そんな負けず嫌いの一面は中学時代から変わらなかったのだ。
さらに栃谷先生は、こんなエピソードも語ってくれた。
栃谷悟先生:
運動能力テストでボール投げというのがあり、軽々男子の飛距離を超えていました。今思えば、投てきの力は当時からすごかったんだなと思います。
当時の北口の記録は35m。中学3年生男子の平均24mを大きく上回っていた。北口本人も「大半の男子には勝っていた」と自身の身体能力の高さを認めている。
やり投げをはじめた“きっかけ”
北口がやり投げを始めたのは高校生から。バドミントンと水泳に打ち込んでいた北口の恵まれた体格に目をつけた陸上部顧問の先生が勧めたのがきっかけだ。
やり投げで記録を更新していくうちに、掛け持ちしていた水泳より、本格的にやり投げに集中していった。
北口は、バドミントンと水泳を経験したことが、今のやり投げにも生かされていると語る。
北口榛花:
水泳は泳いでいる最中ずっと肩を回しているので、そこで肩の柔らかさを生かす。バドミントンは、スマッシュで腕をシャープに振らないといけなかったので、ちょうど合わさって、今のやり投げに繋がっています。
世界女王の知られざる原点を話してくれた。
4年後のロサンゼルス五輪へ
北口榛花:
金メダルの良さを知ってしまっているので、またメダルを取れる位置で4年後迎えられたらいいなと思います。
世界記録の72mまではまだ遠いので、まずはアジア記録と70mを超えられるように頑張りたい。
パリオリンピックで勝利の鐘を鳴らした北口榛花。4年後のロサンゼルスオリンピックの舞台で、さらなる進化した姿に期待したい。
『すぽると!』
11月16日(土)25時00分
11月17日(日)23時15分
フジテレビ系列で放送中