台湾で次々と発覚する中国による「認知戦」の痕跡

1月13日の台湾総統選が迫る中、影響力工作の一部である“相手の心理や思考=認知領域に働きかけ、戦略的に有利な政策決定や世論を作り出す「認知戦」”の報道が目立っている。

中国の認知戦を含む影響力工作について、防衛研究所の「中国安全保障レポート2023」は、「サイバー空間や人脈を通じたフェイクニュース拡散、軍関係者を含む台湾人への働きかけなど、党・人民解放軍による影響力工作が幅広く行われており、台湾にとって大きな脅威となっている。」と指摘。

中国共産党による認知戦の手段として
●中国官製メディアによる対外宣伝方式
●各コンテンツにおける偽情報の流布
●統一戦線を通じた協力者方式
などを示している。

台湾総統選挙は1月13日に行われる
台湾総統選挙は1月13日に行われる
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特に、認知戦については、台湾総統選を控えた現在まで多くの報道がなされている。例えば、民進党の副総統候補の蕭美琴(しょう・びきん)氏が実は米国籍であるというフェイクニュースがあった。台灣事實查核中心(台湾ファクトチェックセンター)によれば、蕭氏は米国籍を保有していたが、既に2002年に放棄していたことが判明している。

台灣事實查核中心HPより
台灣事實查核中心HPより

しかし、中国による台湾への認知戦は、選挙に限らず定常的に行われている。台湾のネット調査会社「IORG」によれば、2022年当時、ロシアによるウクライナ侵攻に関し、台湾のインターネットには「有事の際には米国も台湾を見捨てる」といった“疑米論“を煽る言質が広まった。この発信元は主に中国系メディアや微博などから拡散が始まったという。

ロシアのウクライナ侵攻受けて「有事の際には米国も台湾を見捨てる」との「疑米論」が拡散した
ロシアのウクライナ侵攻受けて「有事の際には米国も台湾を見捨てる」との「疑米論」が拡散した

台湾としてもファクトチェックにより偽情報の真贋を台湾社会に発信しているが、実は偽情報に対しては、ファクトチェックが必ずしも有効とは限らない。なぜなら、さきほどの疑米論では偽情報に依拠しない場合もあり、例えば79年の米台断交を理由として「意見」を述べているだけの場合には“偽“ではなくなるからだ。

認知戦の効果は限定的?

認知戦の効果は“一定程度“とする見方が多い。
一方で、社会が”分断”している国では効果的に作用する場合もある。例えば今年大統領選挙が行われるアメリカだ。また台湾のように政治が分断され、“選択”を迫られるような国では、選挙時に一定の効果が見込まれる。

そもそも認知戦は、民主主義国にとって対応が難しい。なぜなら覇権主義国のように偽情報や反体制の情報を強制的に切断できない。一定の“共生“をしなければいけないからこそ、対応が難しいのだ。

日本でも台湾同様のことが起きるのか

まず日本では、世論における対中感情が極めて悪く、認知戦によって親中世論を形成するのは非常に難しい状況にある上、言語の壁もあるため、認知戦への抵抗力は高い。

対中感情が極めて悪い日本では「認知戦」による心中世論の形成は難しい面が
対中感情が極めて悪い日本では「認知戦」による心中世論の形成は難しい面が

また、協力者工作のように、政治中枢に親中派議員を育成し、影響力を行使するような状況は“一定“にとどまっている。なぜなら議員も親中派であることで世間から指摘され得ると認識しているからだ。これについては、いわゆる“中央”においても一定の危険はあるが、比較して特に危険なのは“地方”である。

真の脅威は「分断」

認知戦の目的は「相手の“分断”や“不安定化”による影響力の行使」だが、その目的を達するために、相手国の問題を突き、「分断」を迫る。

前述の台湾で言えば、台湾世論にも一定の対中免疫があるがゆえ、中国としては台湾世論自体を変えるよりは米国の信用を揺らがせ、米台を離間させる“疑米論”を持ち出した。

同様の狙いは日本でも起きうるが、特に注意すべきは、“地方”における分断だ。

例えば沖縄では、メディア環境に加え、対米感情、本土への感情といった部分で認知戦においてつけ込まれやすい土壌が揃っており、更には台湾有事という“疑米論”の口実もある。

認知戦への対抗策として“摘発”はできない

認知戦に対し、
●中国官製メディアによる対外宣伝方式は当然ながら、
●各コンテンツにおける偽情報の流布においては、
偽計業務妨害など具体的な法令違反がなければ取り締まりはできない。これを広く取り締まろうとすれば、言論の自由を阻害することになる。

また、各コンテンツ上で親中世論形成や疑米論に関する偽情報を流布する場合、中国共産党によるダイレクトな関与が表立ってあるわけでもなく、そもそも発信者は収益を上げるための目的で実行している場合が多く、必ずしも親中派ではないという部分もあり、その実態をつかむのは難しい。仮に関係がつかめたところで、何の罪に問えるだろうか。

認知戦に限らず、中国による分断工作や協力者などによる影響力工作が日本の公的機関によって明確に裏付けられたケースは極めて少ない。(例えば李春光事件くらいだろう)

日本のインテリジェンス・コミュニティは一定程度把握していると思われるが、これを公にしたケースはほとんどなく、この姿勢は日本における危機意識の醸成に寄与出来ていない。

日本は認知戦に対抗できるのか

認知戦への対抗策としては「情報収集」や正しい情報の「発信」、他国との「連携」、これらを包括した「戦略的なコミュニケーション」が求められる。

そして、国民の“情報リテラシー”の向上だ。
偽情報への対応を含め、社会全体で認知戦への抵抗力を高めるべく、国によって教育の機会を付与するような積極的な介入が求められるが、情報リテラシーの向上は長期的な課題になろう。

SNSではアルゴリズムによって余程注意しなければ情報が偏る危険が大きく、それが陰謀論にもつながる。更に、公的機関の発信や専門家の言葉に耳を貸そうとしない・信じようとしない姿勢を持つ人間は、正しい情報を選り好みし、時には偽情報を鵜呑みにし、認知戦に意図せず加担することとなる。

認知戦は「分断」を狙う。その分断の“種”は既にいくつか発芽を始めている。

【執筆:稲村悠・日本カウンターインテリジェンス協会代表理事】

稲村 悠
稲村 悠

日本カウンターインテリジェンス協会代表理事
リスク・セキュリティ研究所所長
国際政治、外交・安全保障オンラインアカデミーOASISフェロー
官民で多くの諜報事件を捜査・調査した経験を持つスパイ実務の専門家。
警視庁公安部外事課の元公安部捜査官として、カウンターインテリジェンス(スパイ対策)の最前線で諜報活動の取り締まり及び情報収集に従事、警視総監賞など多数を受賞。
退職後は大手金融機関における社内調査や、大規模会計不正、品質不正などの不正調査業界で活躍し、民間で情報漏洩事案を端緒に多くの諜報事案を調査。
その後、大手コンサルティングファーム(Big4)において経済安全保障・地政学リスク対応支援コンサルティングに従事。
現在は、リスク・セキュリティ研究所にて、国内治安・テロ情勢や防犯、産業スパイの実態や企業の技術流出対策などの各種リスクやセキュリティの研究を行いながら、スパイ対策のコンサルティング、講演や執筆活動・メディア出演などの警鐘活動を行っている。
著書に『元公安捜査官が教える 「本音」「嘘」「秘密」を引き出す技術』