1946年12月21日、679人もの死者・行方不明者を出した昭和南海地震が発生した。あれから77年。マグニチュード8.0の大地震を経験した92歳の男性が“あの日”を振り返った。

VRゴーグルをつけ起震車で疑似体験

昭和南海地震から77年の12月21日、高知県庁には起震車が。

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県南海トラフ地震対策課・谷山一平チーフ:
県職員の防災意識の向上ということで、起震車体験を行っております。

VRのゴーグルをつけ、自宅や学校で被災するという疑似体験をしている。

体験した職員:
いやー、すごいですね 四つんばいだから耐えられましたけど、立ってたら多分無理ですね。

「ドンという音ではだしで逃げ出した」

昭和南海地震はマグニチュード8.0。高知県沿岸は4メートルから6メートルの津波が押し寄せ、死者・行方不明者は679人に上った。

その昭和南海地震を経験した人がいる。高知市二葉町に住む岸田康彦さん(92)だ。当時15歳だった。

岸田康彦さん:
ドンというものすごい音がした。それで目が覚めた。それから揺れだして。

午前4時19分。大きな揺れで目が覚めたという岸田さんは傾いた家からはだしで逃げ出した。

岸田康彦さん:
隣の家がもう屋根だけになっちょったね。そこの家はご主人と、子どもはご主人が胸に抱えて、自分ははりの下敷きやったから、ご主人は死んじょった。その子どもは助かった。

寒い朝だったという。激しい揺れの直後、人々を襲ったのが津波だった。

岸田康彦さん:
その時もう水が来だして。あっちから、水が来るぞ、いうてね。水が来るぞーいうて、声が聞こえてきだした。

近所の人たちと助け合いながら、岸田さんは自宅の北側にある昭和小学校を目指した。「階段の踊り場まで来たね、水が、1階のね。もうどんどん流されてね、なにもかにも」と当時の状況を語った。

岸田康彦さん:
それからずーっと何も食べんずつ。その晩の7時ごろ来たかね、おにぎり持ってきてくれたが、一番初め。それも一つばあずつ。みんなに配った。水が来ちょったので、船で行きよったがね。(目の前の)屋根の上にダイコン置いちゃあった。腹減ってしょうがない、貧すれば鈍するいうけど、それ取って食べた。その時生まれて初めて、人の物取って食べた。何日も食べてなかった、なんにも。そのダイコンかじったが、よう忘れん。今でも。

伝えたいのは「共助」の気持ち

南海トラフ地震は今後30年以内に70%から80%の確率で発生するといわれている。

岸田さんが今一番伝えたいことは、「お互い助ける気持ち」。

岸田康彦さん:
命はね、やっぱり自分で守らないかんと思うね。「自助」というのが一番じゃね。やっぱりお互いにね、「共助」というかね、お互い助ける気持ちがね、ないといかんと思いますね。

高知県南海トラフ地震対策課は無料で起震車の貸し出しを行っている。学校や職場などでぜひ活用してほしいとしている。

(高知さんさんテレビ)

高知さんさんテレビ
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