2011年3月11日に発生した東日本大震災。1万5900人が死亡。今も2523人が行方不明となっている。この大災害の中、宮城県警の陣頭指揮をとり、最前線で対応にあたり続けた男性がいる。彼は今「警察謝恩伝道士」と名乗り、混乱の日々を語る活動を続けている。(語り手:元宮城県警本部長・竹内直人さん)

この記事の画像(16枚)

相次ぐ110番通報…対応できない現実

「110番通報がどんどん入ってきた。その中には『人が流されている』『首まで浸かった、助けて』という切羽詰まったものがたくさんあった。でも、すべてに対応できなかった。現場のパトカー、警察官が全て出払っている。助けにきてくれと言われても場所の特定ができない。場所を特定できても冠水していて、行けない、助けられない。本当に歯がゆい思いをした」

東日本大震災発生時 宮城県警本部長だった 竹内直人さん
東日本大震災発生時 宮城県警本部長だった 竹内直人さん

東日本大震災発生当時、宮城県警の本部長だった竹内直人さん(65)。竹内さんは今、全国の都道府県の警察や大学などで、当時の状況を話す活動をしている。この日は、宮城県の沿岸部に位置する自治体の1つ、利府町で講演し、会場には町民や町職員など約200人が集まった。

誤報だった「200~300人の遺体」

竹内さんの講演は何かを隠すことはない。自身の失敗談も全て詳細に語る。
2011年3月11日午後10時半、発災から約6時間後に県庁で開かれた県の災害対策本部会議で、竹内さんは「仙台市若林区荒浜で200~300人の遺体」と報告した。結果的にこれは大誤報だった。

震災発生の6時間後 県の会議に県警本部長として出席した竹内さん
震災発生の6時間後 県の会議に県警本部長として出席した竹内さん

「午後10時20分ぐらいに仙台市の荒浜に200~300のご遺体が発見されたと、現場の警察官から報告を受けました。部下に『本当に現場からの連絡なのかもう1回確認』と指示し、そうこうしているうちに部屋を出ようとしたら、『本部長、あれは現場からの報告です』ということで発言した。しかし、これを発言するかは相当悩みましたね」

翌朝、県警本部は、当時、荒浜地区を管轄していた仙台南警察署に連絡したものの、反応は寝耳に水。そもそも、報告自体が管轄の仙台南警察署からのものではなかったのだ。現場にたどり着けるような状況ではなく、確認もできない。「状況を想像できなかった」と竹内さんは悔しそうに話した。

会議で「200~300人の遺体が発見」と報告  衝撃的内容から会議後 記者に囲まれた
会議で「200~300人の遺体が発見」と報告  衝撃的内容から会議後 記者に囲まれた

「情報提供は極めて重要。それが確認した情報なのか、伝聞した情報なのかは要注意。結果的に荒浜では190名ぐらいが行方不明になった。だから『亡くなった方はそれぐらいいると推測した』という話の伝聞情報だった可能性があるのですが、はっきりしない。おかしいなと思わないといけなかったが、残念ながら出してしまった。
本当にお恥ずかしい話だが、こういうことがある。そういうことが起こるかもしれないということを知っておかないと事前に想像すらできない。恥ずかしい話ですけど、教訓として後輩には語っています」

津波が押し寄せた仙台市若林区荒浜 2011年3月12日撮影
津波が押し寄せた仙台市若林区荒浜 2011年3月12日撮影

地震発生後、県内には誤報や、噂、憶測が飛び交った。県警内でも津波の到達地点が、実際津波が到達した、海から約3キロの「若林ジャンクション」ではなく、さらに5キロ内陸の「若林区役所」と報告された。

石巻市では国道事務所が点検のため通行止めにした橋が崩れたという噂が、事実のように流れた。渋滞で迂回を余儀なくされた住民同士の会話で「通れない」「崩れた」という伝言ゲームになったと推測されている。

「切り取られた」発言の一部

当時、警察として被害の最前線で対応にあたっていた竹内さんの対策本部での発言は、瞬く間に全国に広がっていった。その中で荒浜の遺体の情報とともに大きな衝撃を与えたのは、3月13日に開かれた対策本部会議での「犠牲者が万人単位になるのは必至」という発言だ。

「実は本人的には『話の枕』だった。話の中身は、万人単位になるのは必至の状況で、実は現場は遺体を収容する場所もありません、検視する資機材もありません、死亡判断をする検案の医者がいない、ご遺体を運ぶ車もボートも要員も足りない。『なんとかしてください』という意味だったんで」

県災害対策本部会議に出席する竹内さん 2011年3月13日
県災害対策本部会議に出席する竹内さん 2011年3月13日

県の災害対策本部会議には各省庁の副大臣や審議官が出席していた。通常であれば、報告はまず警察庁に行い、調整は霞が関で行われるが、もはやその余裕はなかった。会議の場で深刻な状況を伝えた方が早いという判断からの発言だった。

一方で「死者は万人単位」という言葉に、根拠がなかったわけではない。前日の3月12日の情報で、人口約1万7600人の南三陸町で、7500人しか避難所にいないというものがあった。もちろん連絡がとれないだけという人もいるということは分かっていたが、このうち三分の一、四分の一は津波に巻き込まれていてもおかしくないとも考えられた。そうした状況が、複数の沿岸自治体で起きていたら、万人単位になるという推測であった。

宮城県警による捜索活動 2011年3月14日撮影
宮城県警による捜索活動 2011年3月14日撮影

1日1000体の遺体…備えの重要性

結果、犠牲者は「万人単位」になり、連日多数の遺体が遺体安置所に運ばれることなった。
宮城県警は県に要請し、県は利府町のグランディ21という県内最大の体育館など県内26カ所を遺体安置所として設置した。

グランディ21に設置された遺体安置所
グランディ21に設置された遺体安置所

「ご遺体の1日のピークは3月16日17日。この日が1000体くらい入ってくる感じでした。こういう数字がずっと続くのかなと危惧していたんですけど、少しずつ減ったと。減ったと言っても1日300とか500とかいう数字。たくさん遺体が残っている場所に部隊を集中投入したいと思ったんですけど、結局は難しかったですね」

この遺体安置所には、県や仙台市の職員も派遣された。職員の業務は受付、案内、聞き取り調査などであったが、徐々に遺体確認の立ち合いや遺体写真の照合などへと業務が拡大した。

これらの業務拡大について、仙台市はのちに「県警から市に事前の相談がないままにどんどん業務が拡大した。マニュアルもなかった」と記録誌にまとめたが、竹内さんはこの点については語気を強める。

「確かに問題ですけど、もともとを言えば、遺体安置所は自治体の設営責任と地域防災計画などで成り立っている。普通の災害なら良いが、あのような規模の災害のときに本当にどうすれば良いのかというのは、現役の方がいれば問いかけたい。事実上、県警が設営した形になりましたけど、次同じことがあったらそれで良いのですか?」

竹内さんは講演で行く先々で、その都道府県や市町村の地域防災計画を確認するという。感じるのは遺体の取り扱いに関する備えの弱さだ。「防災だけではなく多くの犠牲者が出た場合の対応についてもしっかりと備えを進めるべき」竹内さんは呼びかけた。

14人の殉職 一生抱える後悔

東日本大震災の発生直後、多くの警察官が住民を避難させるため、沿岸部で活動にあたった。
結果的に宮城県警では14人の警察官が殉職した。

宮城県警殉職者慰霊祭 2011年11月25日
宮城県警殉職者慰霊祭 2011年11月25日

「『県下全域で海岸線から一斉撤収せよ』となんであの指令を出せなかったのか、本当に痛恨です。ご遺族にはどれだけお詫びしてもしきれないと思っています。苦渋と無念。これは一生抱えていくのが私の責任だと思っています」

生存した警察官の中には、波に飲まれながらも、必死にドアを開け泳いで逃げ切ったという人も多数いた。「もっと多くの警察官が犠牲になっていたかもしれない」と竹内さんは振り返る。

そんな、自責の念を抱える一方、ある職員からは「撤収と言われても目の前の住民が残っている限り、逃げることはなかった」などと話しかけられることもある。
本部長として誇りに思うとしながらも、全国の警察に話す際には「そうあってはならない」と強く伝えているという。

宮城県警では14人の警察官が殉職した
宮城県警では14人の警察官が殉職した

防災学が専門の関西大学の河田恵昭教授の研究では、2010年2月のチリ地震では大津波警報が出されたものの、避難したのは避難指示・勧告対象世帯168万人中6.4万人だけ。
2018年7月の西日本豪雨でも、約860万人のうち4万人しか避難行動に移っていない。
1%にも満たない約0.47%の人しか避難していないのだ。竹内さんは「空振りでもいいから」と避難の重要性を訴え続けている。

「警察謝恩伝道士」として伝えたいこと  

竹内さんは現在「警察謝恩伝道士」を自称する。「警察職員に対し、お世話になったご恩の感謝を込めながら、一種の使命として経験に基づく知見を伝達する者」と定義する竹内さんの造語だ。

「当時の宮城県警は、全国から警察の応援をいただいて、ようやくなんとか活動できた。ただ感謝を伝えるのではなくて、私なりに感じた教訓などを伝達することで、御礼に変えたい。そのため、自分にミッションを課す。そのための役割を自分にということで、『警察謝恩伝道士』と名乗らせていただいている。私なりには亡くなった方の供養のためという思いもあります」

「県警本部長」から“警察謝恩伝道士”に。伝えたいことは「災害に備えるために知識を付けて想像することの大切さ」だ。

「『大災害が来たらどうするのか』ということを想像する。前提として知識がないと想像が及ばない。手痛い目に遭うということをほんの少しでも知っていれば、本当の大災害がまた来た時に、何をやらないといけないのかという想像は広がると思う」

未曽有の大震災から12年。時は止まることなく進む。また起こるかもしれない大災害に備えるため、語り継いでいかなければならないことは決して少なくない。全国の警察への感謝と犠牲者への供養を使命に。竹内さんはこれからも語り続ける。言葉の1つ1つが根付くまで。

(仙台放送)

仙台放送
仙台放送

宮城の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。