連綿と続く大相撲の歴史の中でわずか73人しか存在しない“横綱”という特別な存在。

大関 貴景勝(26)は昨年の11月場所、優勝争いを演じ好成績を収めたことで、この1月場所は、その横綱昇進に挑んでいた。

横綱への強い思いは相撲内容にも現れ、激しい取組の後には真っ赤な血が。実に、15日間で5回の出血が見られるなど、気迫のこもった一番が続いた。

1月場所で3度目の賜杯を抱いた貴景勝
1月場所で3度目の賜杯を抱いた貴景勝
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結果、12勝3敗で優勝争いを制し、13場所ぶり3度目の賜杯を抱いた貴景勝。

この記事では、その単独インタビューを通じて見えた横綱への思いと、宮城野親方が見た成長を紹介する。

先場所の優勝決定戦、敗退が意味したもの

まずは綱とり場所との声があがる中で迎えた、初場所への心構えについて聞いた。

――この初場所はどんな気持ちでのぞみましたか?
 
先場所12勝で優勝争いして、巴戦になって相当悔しかったので。でも満足せずに場所を終われたので、逆に良かったのかもしれないと思いました。

あそこで巴戦にならず普通に12勝3敗で終わっていたら、優勝は出来なくても最後は勝ちで終わっていましたが、巴戦に進出できて、負けて相当悔しい想いをして九州場所を終われました。

それが今場所につながったと思います。

ーーあの悔しい優勝決定戦から、今場所はなんとしても優勝したいという思いでしたか?

初場所までは時間も短かかったですし、12月の生活と年末年始の過ごし方ですべて変わってくるなと。「必ず優勝しよう」と思いました。

初場所を振り返る貴景勝
初場所を振り返る貴景勝

昨年の11月場所での優勝決定戦は阿炎、髙安、貴景勝の3力士での争いとなったが、勢いに乗る阿炎が28年ぶりの巴戦を制し初優勝。貴景勝はそのかげに隠れる存在となった。

だがその負けがあったからこそ、決意を新たにした貴景勝。

この初場所は125年ぶりに1横綱1大関という状況の中、横綱・照ノ富士が休場。出場力士の最上位に立つものとして、流血も伴う激しい突き押し相撲で白星を重ねて見せた。

初場所で流血を伴う激しい相撲を見せた貴景勝
初場所で流血を伴う激しい相撲を見せた貴景勝

ーー初場所は流血の一番が多かったですが。

自分の相撲から激しさと気持ちと気合をなくしたら普通のお相撲さんになってしまうので、そこだけばブレずにやって行こうと思っていました。

自分のスタイルとしては身体がないので、気合で。それで何かお客さんに喜んでもらって、激しい相撲もひとつの魅力だと思って貰えたら嬉しいです。

ーー合計で何日流血したか覚えてますか?

いやー、だいたいシャワーでは血を吐いてましたから(笑)。

まあそういう職業なので、口の中が切れるとか擦り傷みたいなものと一緒です。 

ーー毎日、食事の苦労はありませんでしたか?

痛いと思ったらキリがないので、無かったことにしています(笑)。

食べたら口が痛いのはあたり前で、場所中は食事も大事なので、痛いから食事をやめておこうとはいかないので、その辺りは気の持ちようですね。

横綱昇進が「白紙」に。貴景勝は何を思ったのか

身長175センチ、体重165キロ。決して大きいとは言えない身体から闘志みなぎる相撲で10日目を終わって9勝1敗。

徐々に横綱昇進への期待が高まる中、まさかの落とし穴が待ち構える。

11日目と12日目にまさかの連敗を喫し、今場所での横綱昇進は白紙となった。

さらに優勝争いでもリードを許すなど、一気に崩れてしまいそうな展開。この時貴景勝は何を思っていたのだろうか。

11日目琴ノ若に負けた貴景勝
11日目琴ノ若に負けた貴景勝

ーー10日目でトップに立ち、これで綱とり行けると我々は思いましたが連敗を喫した時の心境は。

11日目に負けて精神的にもう一段階踏ん張って、もう一回“考え直して”という作業が大変でした。

横綱というのは江戸時代から始まって70数人しかいない世界なので、「そんな簡単にはいかない」と思っていましたが、いろいろな先輩方の成績とかを勉強させて頂いたり、やっぱりみなさん厳しい所を乗り越えて上がって行ってるので、「もっと自分も厳しい経験をしないといけない」と思いました。

2連敗した時には少し残念な気持ちもありましたが、ここでずるずる行ってるようでは大関の務めすらも果たせないので、ここから気合入れてやろうと思いました。

ーー「考え直した」という言葉がありましたが、何をどう考え直したのでしょうか?

相撲の内容ではないです。相撲というのはほとんど精神の競技なので、負けた時は自信をなくしてしまう時もありますし、自分のやって来た事を疑う自分もいます。

でも強気の自分もいるので、ブレては駄目で。夜、ベッドに入ると“弱い自分”と“強い自分”が葛藤というか。2人の自分がいて、そこの戦いですね。

それで“強い自分”がまさった時に「よし!」ってなるので、土俵に上がるまでの準備と気の持ちよう、それが難しいというか、そこを切り替えたという感じですね。

でも大体“弱い自分”の方がまさるので、“強い自分”でなんとか抑え込むというか。もうコツはないですよ(笑)。とにかく自分のやって来たこと信じて。

あと自分の夢のためにやっているんですけど、いろんな人に支えられてやってるので、その期待に応えたいという気持ちを持ち直すようにしています。

優勝から遠ざかっていた間もメンタル作りを欠かさなかった
優勝から遠ざかっていた間もメンタル作りを欠かさなかった

長く優勝から遠ざかり、その間に大関以下の力士が次々と優勝。大関・貴景勝のふがいなさに批判が集まることもあったこの2年余り。

そんな中でも土俵に立ち続け耐え忍んだ日々が、どんな逆境にも崩れない強靱なメンタルを作り上げていた。

そして13日目には、少年時代からのライバルで、星一つの差で優勝争いの先頭に立っていた阿武咲と対決。激闘を制し、再び首位に浮上した。

「小さい頃からずっと知ってて、『打越(うてつ)』『佐藤』(2人の本名)と言われて。今は阿武咲、貴景勝ですけど、小さい頃はずっと追いかける立場でした。中学2年生の時に手合わせをして、ボコボコにやられました。

中学2年だったので調子に乗ってて不良にあこがれた時代があって、その時にボコボコにされたことで目が覚めたというか。『日本にこんなに強い中学生がいるんだ』『もう一回相撲頑張ろう』と思ったんですが、その頃を少し思い出しました。

なので対戦する時に、同級生だからという感情はなくて、『こういう舞台でまた結びで優勝争いして戦えるのは中学生の時には思ってなかったな』と。だから『恥ずかしくない相撲を取ろう』と思いましたね」

こうして終盤に優勝争いを自分の流れに引き込んだ貴景勝は、千秋楽でも、星で並んでいた琴勝峰との直接対決を制し優勝を遂げた。

宮城野親方が見た心技体の充実

そんな貴景勝の成長ぶりを、宮城野親方(第69代横綱・白鵬)はどんな部分に感じているだろうか。

「貴景勝は去年の秋から相撲が良くなってきていた印象があって、すごくいいなと思っていました。支度部屋での体の動かし方もそうですし、取組のあとに貴景勝関が自らアドバイスを求めに来たり、そういう姿を見ていると人間力が上がってきている印象が相撲だけでなく、ありました。

初場所はいい内容の相撲をとっていましたし、来場所はいよいよ綱とりという場所になりそうですね」(宮城野親方)

宮城野親方
宮城野親方

ーー綱とりがかかる場所の心境というのはどんなものでしょうか?

私も2度ほど失敗しましたからね。大関としてカド番も経験しましたし、そういった苦労をした分、横綱になった時に長持ちするというか、貴景勝関もケガがあって苦労して来ましたが、今場所も苦労しながら勝ち取って優勝、11月場所も巴戦を経験した。これが次につながると思います。

もしかしたら、来場所は全勝優勝で横綱になるのではないでしょうか。今場所の相撲を見ていると、優勝を決めた一番も四つ相撲の琴勝峰をすくい投げで破りました。他の四つ相撲の関取衆にも対応出来ています。心技体が揃って来ているなと思います。

ーー貴景勝関から親方にアドバイスを求めたそうですが、どんな事を聞いて来たんですか?

それは2人の秘密です(笑)。でも嬉しかったですね。上を目指しているのを感じました。

まあ私の考えでは、横綱、大関というのは攻め過ぎず守り過ぎず、中間で相撲が取れるのが横綱、大関だと。この千秋楽の相撲は素晴らしかったですね。自信というか、相撲の幅が広がっていると思います。

代名詞の突き押しに四つ相撲への対応力も増した貴景勝
代名詞の突き押しに四つ相撲への対応力も増した貴景勝

貴景勝の代名詞とも言える突き押し。そこに四つに組んで投げる技も加わったことで対応力が増したという現在の貴景勝。

さらに “横綱に求められる相撲”として宮城野親方はこんな点をあげる。

「やっぱり苦手意識を作らない事と取りこぼしをしないことです。そのためにも2月中にしっかり身体を作って、今場所負けた相手の部屋に出稽古に行ってしっかり稽古を積んで、苦手意識を無くすことだと思います。

大関はとりこぼしを2回3回出来ますが、横綱になるためにも、横綱として生き残っていくためにも1つ2つの取りこぼしが優勝に手が届かない結果となってしまうので、取りこぼしを少なくする稽古・考え方・相手の分析が大事ですね」

歴代最多45回の幕内優勝。そして横綱在位の最長期間となる84場所を誇るレジェンドの言葉は実に重い。

「なんとしても横綱に」来場所にかける決意

来場所は地元・大阪で再び横綱に挑戦する貴景勝。

令和初の日本人横綱誕生へ、相撲ファンの期待が集まる。

23日に開かれた横綱審議会のあと、高村正彦委員長は「ハイレベルな優勝とはいかなかったが、大変な重圧の中で大関の責任を果たした」「全力士の中で横綱に一番近い位置にいることは間違いない」と高く評価した。

ーーこれで来場所は綱とり場所になりますね。

選ばれた人しかなれない、「70数人しかいない横綱の一員になんとしてでもなりたい」「なんとしてでもなりたい」と思います。小さい頃から家族で誓った夢ですので。

でもやる事は頑張って稽古して強くなることしかないので、身体を直してまた来場所に向けて頑張って行きたいです。

ーー優勝インタビューでは、義理の父である北天祐関(元大関)の優勝回数をこえたことが「すごく嬉しい」とも語ってましたが。

義理の息子になれたのは何かのご縁だと思いますし、優勝も三賞の回数も同じだったんですよ。優勝が2回で三賞が7回か8回だったんですけど、こえたいというよりもこえさせて頂きたいと思っていたので、おこがましいですが本当に良かったです。

北天祐関がまだ生きていらっしゃった頃に、ふと「横綱になりたかった」と言っていたと伺っていたので、やはり引退してもそう思うということは、よほど悔しかったのだと思います。

自分がその立場だったとしても同じだと思うので、(横綱は)自分だけの夢ではないですし、両親の夢でもありますし、自分の家族の夢も全部背負っているので、その期待に応えたいと思います。

大関を決めたのも大阪場所でしたし、関取昇進を決めさせて頂いたのも大阪場所だったので、そういう意味で良い場所にしたいですね。

横綱昇進という夢を、強い決意で見据える貴景勝。大阪場所の初日は3月12日(日)。そして2月5日(日)には日本大相撲トーナメントが待ち受ける。

(協力:横野レイコ、髙木健太郎、山嵜哲矢、文:吉村忠史)

日本大相撲トーナメント 第四十七回大会
2月5日(日)16時05分~17時20分(フジテレビ系にて放送)