実に28年ぶりとなる巴戦による優勝決定戦が行われた大相撲九州場所。
制したのは、前頭9枚目のダークホース・阿炎だった。

14日目までは優勝争いで単独トップに立つ高安が2敗を守り、千秋楽で勝てば悲願の初優勝という展開だったが、その流れを打ち破っての逆転優勝となった。

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果たして優勝争いの流れはどこで変化したのか。そして千秋楽までリードした髙安が、またしても賜杯に手が届かなかった原因はなんだったのか。

二所ノ関親方(元横綱 稀勢の里)の解説と、阿炎のインタビューをもとにひも解いて行く。

「髙安ムードをぶっ壊した」千秋楽の本割

「完全に千秋楽の髙安戦ですね、あれしかないですね。
髙安に向いていた流れというか、場内も髙安ムードでしたし、それをいっぺんにぶっ壊すというか、ガラっと形勢逆転。それぐらいの破壊力がありました」

勝負の分かれ目についてこう分析した二所ノ関親方。

親方が注目したのは千秋楽、本割での一番。優勝争いでトップを走る髙安は12勝2敗、対する阿炎は星の差一つで追う展開で対戦した。

阿炎はのど輪で執拗に攻め返した
阿炎はのど輪で執拗に攻め返した

立ち合いは、髙安が右からかち上げようとするが、阿炎は突き押しでこれを制し、のど輪で執拗に攻め返す。優勝をかけた一番にふさわしい激しいせめぎ合い。次の瞬間、たまりかねたように髙安が引くと、そこで阿炎が前に出て突き倒し、髙安は土俵下へと転げ落ちた。

二所ノ関親方はこの場面を“我慢”という言葉で解説する。

「相撲って我慢なんです。あそこまで来たら我慢比べ。それを制したのが阿炎だと思います。
あの相撲を取り続けたら近いうちに大関もあると思います。優勝をつかんだのはあの相撲ですね」

一方、髙安はなぜこの大一番で負けを喫してしまったのだろうか。

「私は最後に引いた方が負けると思ってみていましたが、髙安が引いた所を阿炎が突いて来たという感じでした。あそこで根負けしなかった阿炎に対して、髙安は根負けですね。

14日目の輝戦もはたいて勝ちましたが、安易に勝つことを選択してしまったのが千秋楽の相撲にも影響したのかなと思います」

髙安関
髙安関

実際、髙安は14日目の輝戦で、立ち合いこそかち上げを見せたが、最後は土俵を回り込むようにしてはたき込み、辛くも勝利を収めている。

「輝戦を、いっぱいいっぱいで勝って、固くなっているというイメージが伝わって来ましたが、そうすると相手は自信を持って来るんです。ああいう時こそ、前に出て行くイメージを持ってやって欲しかった。

最後も根負けしてはたいてしまったのも、流れがガラッと変わってしまった印象です。いいはたきもあると思いますが、今回はものすごく悪いはたきだと思います」

ともに切磋琢磨して来た兄弟子として、厳しい言葉とともに勝負の分かれ目を分析した。

優勝決定戦で見せた阿炎の“いなし”が持つ意味

“我慢”で流れをつかんだ阿炎だが、優勝決定戦は12勝3敗で並んだ髙安、貴景勝との巴戦。先に連勝した力士が優勝となる28年ぶりの展開となった。

高安との優勝決定戦では“いなし”を見せて勝利
高安との優勝決定戦では“いなし”を見せて勝利

ところがその初戦で阿炎は、連戦となった髙安を相手に、今度は打って変わって立ち合いで左にいなし、はたき込みで勝利すると、大関・貴景勝に対しては立ち合いから力強いもろ手突きを見せ連勝。この日だけで3連勝を上げて、逆転初優勝を飾った。

二所ノ関親方は、巴戦に入り土俵下で待つ貴景勝の目の前で見せた、この一番にこそ重要なポイントがあると見ている。

「(決定戦の髙安戦は)阿炎が変わってくるなと自分は思っていました。私ならあそこは変化すると思ったからです。

そしてあの変化を見せているので、大関は突っ込めなかったですね」

阿炎関
阿炎関

「(本割で)我慢して勝って、決定戦では変化で勝ち、大関に悪いイメージを持たせて、そのまま一気に持っていくと。もう完璧ですね。完璧な流れです。“詰将棋”じゃないですけど、詰めまくっていますね。

すべての相撲が相手に脅威を与えていました。なんか“阿炎ワールド”みたいな、そんな感じでしたね」

決定戦直前、阿炎が実行したデータ確認

親方が“阿炎ワールド”と表する完璧な流れ。

実はその流れをもたらしたものが、優勝決定戦の前に阿炎がおこなった行動にあった。

「2番以上取るつもりで、自分の中にあるデータで考えて取り組みに臨みました」

優勝後のインタビューで、「データで考えて臨んだ」と語った阿炎。優勝決定戦が決まってから支度部屋で待つ短い時間、阿炎はこれから巴戦で対戦する髙安と貴景勝のデータを確認し、戦い方を整理していたのだという。

「前に貴景勝関とやった時は、右に動くのがクセだったので、それを意識したりしました。勝負所で髙安関はいなしというか、土俵際でクルっと回るのもそうですし、全部頭に中にあったので、これは先手先手だなと思って活かしました」

――こう来るだろうなという予想は?
髙安関は“調子がいい時は調子がいい時の相撲を取り続ける”関取なので、かち上げてくるだろうなと思っていました。

――頭で考えていることと、身体が結びついた相撲でしたか
そうじゃなかったら、こんなに勝てなかったですね。それがかみ合った場所だったと思います。


相手を冷静に分析し、それを行動に移せる身体能力。そして、ここ一番の勝負どころで実行できる大胆さはまさに勝負師。不利な状況からでも自分の流れを作り出した阿炎に、“角界の新たな勝負師”の誕生を感じる優勝となった。

優勝インタビューで溢れた想い。錣山親方との絆

そして阿炎は優勝賜杯を手にした後の土俵下のインタビューで、体調不良で入院中の錣山親方から「一番集中」と書かれたメールを毎日貰ったことを語った。

「迷惑しかかけてこなかったので…、少しでも喜んでもらえたらいいなと思います」と話すと、感極まる姿も見せた。

3場所出場停止などの懲戒処分を受けて幕下まで転落、苦しい時期も支えてくれた師匠への想いがこの瞬間に溢れ出していた。

――師匠とは? 
メールは来ていましたが、絶対に言わないです(笑)。胸にしまっておきます。
部屋のみんなにも毎日メールが来ていたみたいで。(入院中も)そこまでやって下さっているので、頑張るしかないというか、一番一番に集中しました。

――どんなメールでしたか?
内容は言ったら怒られます(笑)。「とにかく一番に集中だぞ」という事を教えて頂きました。

――今師匠に言葉をかけるとしたら
自分も頑張ったので、早く良くなって下さいと伝えたいです。

様々な経験を経て成長を見せる28歳の阿炎。

波乱万丈の土俵人生を、二所ノ関親方は温かく見守っている。

「本当にいろんな我慢をして、厚みが増して帰って来ましたね。ドン底を経験して上がってくる力士は強さが変わってくると思いますし、我慢して我慢して、そういう所を持った力士は深みや厚みが出てくるんだと思います」

髙安関
髙安関

そして髙安に送った厳しい言葉も、兄弟子であればこその愛情の現れだろうか。一年のうちに4度優勝争いをして、それでも賜杯に手が届かない状況に、こう言葉をかける。

「先代の親方が大関になる時に言われた言葉に『引くな、はたくな、腰おろせ』というのがあります。
大関挑戦、横綱挑戦というのは相撲内容にも品格が問われるので、そういう気持ちも必要なんだと思います。『引くな、はたくな、腰おろせ』、それを胸に刻んで頑張って欲しいですね」

来年1月場所は、125年ぶりに1横綱1大関という稀有な状況で迎える相撲界。救世主誕生が望まれる中、一体誰が抜け出すのか。

阿炎のさらなる成長と、髙安の再起に注目したい。

(取材:横野レイコ、髙木健太郎、山嵜哲矢 文:吉村忠史)