9月25日に迎えた大相撲九月場所の千秋楽。

37歳の玉鷲と、32歳の髙安という二人のベテラン力士が優勝をかけて直接対決し、玉鷲が3年半ぶり2度目の優勝を飾った。

この九月場所の玉鷲は、横綱 照ノ富士から金星を挙げたほか、三大関もすべて破り13勝2敗。

番付に載る全ての横綱、大関に勝利するのは、1985年の名古屋場所で北尾(のちの横綱・双羽黒)が2横綱、3大関を破って以来で、37年ぶりとなった。

3年半ぶり2度目の優勝を飾った玉鷲
3年半ぶり2度目の優勝を飾った玉鷲
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しかも37歳10カ月での幕内優勝は、年6場所制が定着した1958年以降では最年長。まさに“角界の鉄人”の名にふさわしい、底力を発揮しての優勝となった。

そんな玉鷲の強さについて、現役時代に何度も対戦経験があり、同じ一門として切磋琢磨してきた元横綱 稀勢の里こと二所ノ関親方に語ってもらった。

そして優勝を争った2人が明暗を分けた最大の要因は何だったのか、二所ノ関親方の分析をもとに紐解いてみる。

爆発力を生んだ下半身から上半身へのパワーの伝達

まずは二所ノ関親方に、今場所の玉鷲の強さについて聞いた。

「馬力ですね。手足が長くて、一般的に足が長いと不利だと言われるんですけど、それをカバーするくらいの馬力と出足があり、足の長さがもの凄いエンジンになっている。その足の強さを上半身に繋げて一気に爆発させていく爆発力が今場所は特にすごかったです」

身長189センチ体重174キロの体格を活かしたパワー溢れる突き押し相撲が持ち味の玉鷲だが、 今場所は日頃の鍛錬からくる下半身の強さ、そして上半身へのパワーの伝達がその突き押し相撲をさらに強力にしていたと二所ノ関親方は見る。

稽古方法について語る玉鷲
稽古方法について語る玉鷲

そこで玉鷲本人に、自身の充実ぶりについて聞いてみると、ある意外な稽古方法が明らかになった。

「(体重の)重い人が自分の部屋にいないので、若い衆を2人、3人、前と後ろに立たせて一気に押すんですが、これが自分の体力をつける稽古になりました」(玉鷲)

「意外と難しくて、バランスをすぐ崩してしまうので、しっかりバランスを取るのが結構きついです」(玉鷲)

若い衆を相手に稽古する玉鷲
若い衆を相手に稽古する玉鷲

実は玉鷲の所属する片男波部屋には、十両以上の関取が玉鷲一人しかおらず、力士はたった4人。部屋に関取がいないため、日頃から力を出し切る稽古相手がいない。

かつては連日のように出稽古をしてきたが、コロナ禍でおよそ2年にわたって出稽古が禁止された。相撲教習所での合同稽古こそ実施されたものの、解禁後の今も、番付発表以降は制約される日々が続いている。

場所前の大事な時期に力を出し切る稽古ができないもどかしい環境が続く中で、部屋の若い衆を一度に何人も相手にすることで稽古不足を補ったのだった。

稽古の実演で見えた部屋一丸の成果

優勝した夜、優勝旗を部屋に持ち帰ったばかりの紋付き袴姿で、この稽古を実演してくれた玉鷲。

「自分はまず前の相手と組んで、後ろからも抱きつかせます。この状態でまず前の相手を押し出してから、後ろの相手を突き放して、押し出す」のだという。

玉鷲は優勝した夜、紋付き袴姿で実演してくれた
玉鷲は優勝した夜、紋付き袴姿で実演してくれた

さらに左右に並んだ複数の若い衆を相手にする時は、「一人を押し出すと、もう一人が横から来るじゃないですか。そうしたら、普通は脇が開いて中に入られやすいんですが、脇を締めてまた下から下から押し出すようにするんです」。そんな工夫を凝らした稽古を積んだのだという。

前方左右の二人を相手にする時は、まず一人を押し出す
前方左右の二人を相手にする時は、まず一人を押し出す
脇に注意して次の相手に
脇に注意して次の相手に
脇を締めて下から押し出す
脇を締めて下から押し出す

一般的に手足の長い力士は身体の小さな力士に下からおっつけられやすく、脇に入られる事もあるが、同時に複数の力士を相手にすることで、弱点ともなりかねない身体的特徴を強みに変えていたのである。

この斬新な稽古の提案者である師匠の片男波親方は「部屋に関取がいて稽古ができれば一番いいんですが、できないことを嘆いてはいられないので、今の環境でできることを工夫しようと思いついたんです」と、部屋一丸の稽古の成果であったと語る。

翔猿戦で見せた怒涛の突き押しと精神力

その効果が顕著にあらわれたのが、九月場所14日目の翔猿戦だ。

何をして来るのか読みにくい翔猿を相手に、玉鷲は迷うことなく立ち合いで頭からぶちかますと、左の強烈なのど輪で土俵際に追い込み、一気に押し倒した。

翔猿戦、のど輪で押し倒す玉鷲(九月場所)
翔猿戦、のど輪で押し倒す玉鷲(九月場所)

この九月場所で一横綱一大関を倒し殊勲賞を獲得した好調な翔猿に、一切つけ入る隙を与えない完ぺきな相撲内容だった。

「(翔猿は)止まったら横に食らいついたり、抑えてもまた逃げてしまうのですごく苦手でしたが、迷わず自分の相撲ができて本当に良かったと思います」(玉鷲)

この出足と突き押し相撲に、二所ノ関親方も興奮気味にこう語る。

「翔猿戦でのメンタルは解説出来ないくらいのメンタルでした。本当は小兵の翔猿を相手にあそこまで突っ込むのは、もの凄いリスクなんですけど、(優勝争いの状況で)勝負をかけてくるあの姿は、すさまじいものがありましたね」

二所ノ関親方
二所ノ関親方

――親方から見て今場所の玉鷲で、一番良かった取組を挙げるとすれば?

いやもう、翔猿戦です。完全にこれで優勝だなと思いました。あれがターニングポイント。勝負あったという感じで、あそこで自信を持ちましたね。よく手も足も出ていて、下半身のパワーが上半身に伝わっていました。

熱く語る親方の口から賛辞の言葉は尽きない。

「ベテランになってくると汚い技を覚えたり、はたいたり、廻しを取ってみたり、 突き押しの力士であってもそうなりかねないんですけど、『俺はこれなんだ』というような、一つのものを追い続ける職人ですよね。あの年になっても(迷うことなく)やり続けられるのがスゴイ」

「何歳までやるんでしょうね。何なら若手力士より若いじゃないですか。気持ちも明るさもそうですし、まだまだ玉鷲の時代が続くんじゃないかと思います。なにしろケガをしない。連続記録を伸ばしていることもスゴイと思います」

賜杯を受け取る玉鷲
賜杯を受け取る玉鷲

16年前の初土俵以来、一度も途切れることなく土俵に上がり続けた連続出場数は歴代3位の1463回。このまま行けば2年後には歴代最多の1630回(青葉城)を更新する勢いだ。

39歳で迎えるその瞬間はもちろん、土俵を降りるその時まで、貫き続けるであろう“突き押し相撲”に、玉鷲の凄さを見た九月場所だった。

千秋楽まで優勝を争った髙安と玉鷲を分けた要因

一方、千秋楽で玉鷲に敗れ、またもや優勝を逃した髙安について、二所ノ関親方はどう見ているのだろうか。

「優勝したいと思う力士、一番優勝したいと思う力士じゃないと優勝は出来ないと思うので、その気持ちでは、今場所は玉鷲が髙安より上回ったと思います。髙安も追いかける立場だったので、伸び伸び出来るように思いましたが、それ以上に玉鷲が厳しくきたじゃないですか」

「だから本当に優勝したいんだって気持ちがね、髙安の何十倍もあったと思います。その気持ちが全部土俵に出たと感じました」

二所ノ関親方
二所ノ関親方

――優勝への気持ちで上回った方が勝ったと感じますか?

(千秋楽の)私の見立ては、星ひとつの差で玉鷲がリードしていても、ほぼ五分くらいかと思っていましたが、それを一発で仕留めてくる玉鷲の精神力に凄みを感じました。

――髙安関は何が足りなかったと思いますか?

うーん。(かなり長く考えて)まあ星が足りなかったという事ですけど、やっぱりその一つに私も苦しんでずいぶん泣きましたし、宇良(二日目に対戦)に対しても簡単に負けてしまった。貴景勝に負けた後、妙義龍戦では見てから立って、勝ちに行ったんですよね。玉鷲が翔猿戦で見せたような破壊力が無かったですね。

それでも髙安は千秋楽の直接対決で、立ち合いから激しくかち上げる気迫を見せた。同じ部屋でともに切磋琢磨してきた兄弟子として、勝負の分かれ目をどこに感じとったのだろう。

「あそこは自分の人生を全部かけて行く所だったかも知れません。立ち合いは変化でも良かったかも知れません。なんかそんな気がします。しがみついてでも取りに行く一番というような意識が、玉鷲の方が断然上だったと」

「うーん。神様が髙安を…なんだろうな。簡単には優勝させないような気がしますし、だから精神的にも技術的にも肉体的にも、あっさり負けてしまう相撲を脱しないといけないですね」

弟弟子の髙安について、時に厳しく語りながら、ふと我に帰ったのか、短い沈黙の後、「僕のファンはこういう気持ちだったんですかね?」と 苦笑いをしながらこちらに問いかると、「日曜日の夜にかけて元気がなくなるというか、そういう方々を笑顔にして欲しいと思いますね」と語った。

二所ノ関親方
二所ノ関親方

――髙安関は今回で4回目の優勝争いでしたが?

まだまだ足りないですね。私からしたら。まだまだ足りない(笑)。

私は12回ですからね。でもこれで変わっていかないと何の意味もない一敗になりますから、意味のあるものにして欲しいですね。

現役時代、優勝を信じて用意されたお祝いの鯛が、会場から戻ると刺身に変身していた苦い経験を何度も味わった二所ノ関親方だからこそ、髙安の心情を察している。

――今、髙安関にかける言葉があるとすれば?

強くなるしかないし、成長するしかないんですよ。寝たら黙ってでも明日は来るんですから、現実を受け止めて。優勝するには気持ちがね、何か変えて行かないといけないし、何か今までと違うことをしないといけないと思います。

待っているファンもたくさんいると思いますし、優勝するとしないとでは、私も大きく人生が変わりましたから。そういう気持ちを持ってやって欲しいですね。

必ず努力した人間は報われると思います。

現役時代、優勝争いをいく度となく繰り返し、乗り越えて来た二所ノ関親方の言葉は、今の髙安の心にどう響くだろうか。苦い経験を糧に力強く成長したその姿を、多くのファンが待ち望んでいる。

奇しくもベテラン力士が活躍し、明暗を分けた九月場所。一年納めの十一月場所はどんな力士が土俵を沸かしてくれるだろうか。

(取材:横野レイコ、髙木健太郎、山嵜哲矢 文:吉村忠史)